セクシュアルマイノリティ・同性愛/ゲイライフ

ゲイにとってクラブとは?(2ページ目)

今回は、ゴトウの個人的なクラブとの関わりの物語を軸に、ゲイシーンにおけるクラブの意味について書きました。クラブはゲイカルチャーの中心であり、コミュニティのお祭りの開催地であり、パレードやHIV予防啓発にも貢献してきた、ゲイにとってなくてはならない場所だということを、お伝えしたいです。

後藤 純一

執筆者:後藤 純一

同性愛ガイド

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クラブが僕の人生を変えた

ダムタイプ「S/N」

ダムタイプの「S/N」というパフォーマンス公演が、ゴトウの人生を変えました。左が今は亡き古橋悌二さん(ミス・グローリアス)です。

青森の田舎育ちのゴトウが初めてクラブ(銀座とかのクラブじゃないですよ、ダンスする所です)を体験したのは、25歳の時(1996年)でした。関西の大学を卒業して23歳で上京し、某金融系の会社でクローゼット(隠れ)ゲイとしてリーマンをやっていた頃のこと。僕は演劇とかバレエとかミュージカルを愛していて(そういう公演を観るために東京に出て来たと言っても過言ではありません)、ある時、世界的なパフォーマンス集団・ダムタイプの「S/N」という公演を観て、雷に打たれたような衝撃を受けたのでした(ヘレン・ケラーが初めて「ウォーター」と言った時のように)。古橋悌二さんはじめ、多くの方が「自分はゲイです」「HIV+です」と語り、「私は夢見る、私の性別が消えることを」と叫んで壁の上からダイブし、舞台上で化粧をしてドラァグクイーンになり…。あまりに素晴らしかったので、後日行われた団員によるトークセッション(浅田彰さんも出演していました。こちらに浅田さんが「S/N」の意義について語った貴重な映像があります)、そして打ち上げのパーティにも参加したのです。その打ち上げパーティが、恵比寿の「みるく」というクラブで行われたクラブパーティで、ダムタイプの方やお友達の京都の方(シモーヌ深雪さんとか)がドラァグクイーンとしてショーをやっていて、僕は再び、衝撃を受けました。「僕がずっとやりたかったのは、こういうことだったんだ…」と、いてもたってもいられないような気持ちになりました(映画『覇王別姫~さらば、わが愛』で、厳しい稽古を抜け出した主人公が町中で京劇をやっているのを見てダーっと泣くシーンがありますが、あああいう感じでした)

ゴトウのクラブ初体験は、こうして、人生を変えるようなアート・パフォーマンスとの出会いから始まったのでした(ちなみに、クラブで見たドラァグクイーンのショーも間違いなく、アートでした。海外でもドラァグクイーンはファッションやアートのシーンでもめざましい活躍をしています。マドンナの名曲『Vogue』とかもゲイクラブでのドラァグクイーンのダンスから生まれました)

ジュヌヴィエーヴ

デビュー当時のジュヌヴィエーヴ。入り口はアートだったのに、どうしてこんな汚い姿に…

その後、自分でもドラァグクイーンをやるようになり(UCの斎藤先生のおかげです。感謝しています)、ジュヌヴィエーヴとして生まれ変わったゴトウは、人生すらもガラリと変わりました。それまで周りの誰にもゲイだと言えず、鬱屈した生活を送っていましたが、一気にはじけ、解放されたのです。
新宿の「リキッドルーム」、六本木の「ヴェルファーレ」、渋谷の「ON AIR」、日比谷の「ラジオシティ」…いろんなクラブに女装して出かけ(もちろん、そういう趣旨のパーティを選んで行ってます)、楽しんでいました。自慢ではありませんが、「リキッドルーム」のお立ち台で踊っていた時、たまたまフランスからデザイナーのJ.P.ゴルチェが遊びに来ていて、僕を指さして「あの汚い女装をどうにかしろ」と言ったという…(笑)

「リキッドルーム」と言えば、毎月、大規模なゲイナイトが開催されていて、めずらしく素顔(男装)で行ってみましたが、1000人くらいのゲイたちが楽しそうに踊ってる光景は、何とも言えずハッピーな高揚感に満ちていて、「こんなにたくさん、仲間がいたんだ…」って、「こんなに楽しそう、幸せそうに踊ってる…」って、感動しました。

それからも、新宿二丁目の「Delight」や「GAMOS」(どちらも、90年代を知ってる方にとってはとてもなつかしいお店だと思います)でいろんなショーをやったり、いろんなパーティに遊びに行ったりしました。いろんな人とクラブで知り合い、そういうつながりが、後に「90年代リブ」と言われるゲイムーブメントや、2000年以降のパレード&レインボー祭りにつながっていったのでした。また、HIV予防啓発を趣旨とするクラブパーティにも出演したり、オーガナイズしたりするようになりました(そこで僕のドラァグクイーンとしての旅が原点である「S/N」に回帰したのです)

Shangri-la@ageHa

Shangri-La@ageHaのステージ。世界に誇れるエンターテインメントです。

あれから10年以上が経った今も、若いゲイの子たちは、Shangri-La@ageHa(1000人どころか3000人規模。海外からも集まります)で「こんなにたくさん、仲間がいたんだ…」って感動してるでしょうし、二丁目の「ArcH」などのパーティで「みんなこんなに楽しそう、幸せそうに踊ってる…」って感動してることでしょう。世間の同性愛嫌悪(ホモフォビア)にさらされて後ろめたさやネガティブさにとらわれやすい(自殺を考えたりすることも多い)若いゲイたちが、「僕はこのままでいいんだ」「ゲイに生まれてよかった」と自分を肯定できるきっかけに、間違いなくなっていると思います。また、日本エイズ学会のテーマにもなった「Living Together」も二丁目のクラブから生まれました。HIV陽性者が手記を書き、それを別の人が朗読して、という手法は、たくさんの陽性者の方たちを勇気づけただけでなく、NHKの「ハートをつなごう」などにも紹介され、世間の人たちにも賞賛されてきました。大げさじゃなく、クラブは人の命を救っているのです。

こういう話は、日本だけじゃなく、海外でも共通…っていうか、もっとスゴいことになっています。パレードの後には必ず大きなクラブパーティが開催されますし(シドニーのマルディグラではカイリー・ミノーグが出演したりします。レディ・ガガもサンフランシスコのパレードのアフターパーティで歌いました)、そもそもマドンナもレディ・ガガも、ゲイクラブで育ったのです。クラブは(特にゲイクラブは)、世界的な文化の発信地でもあるのです。
つけくわえると、たぶんみなさんご存じだと思いますが、アメリカの多くのアーティストは、シングルにクラブMIXを入れています。クラブでかかるかどうかが売上げを左右するからです。日本のアーティストもだんだんそういうふうになってきました。浜崎あゆみさんなどもクラブMIXのアルバム、発売してますよね。

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