王に愛された癒やしの宮殿・昌徳宮

昌徳宮の敦化門

昌徳宮の正門、敦化門。木造2階建ての二層門で、韓国最古の門ともいわれる。赤・青・黄・緑・白の色使いは陰陽五行の五色に由来する

昌徳宮は250年以上にわたって朝鮮王朝の正宮(中心となる宮殿)だった。ソウルに残る五大王宮の中で、もっとも長い間、王たちが生活を送った場所なのだ。

そして昌徳宮はモデルとなった北京の紫禁城や最初の正宮・景福宮の威圧的なデザインと異なり、山と一体化した風情ある造りとなっている。今回は癒やしの王宮、ソウルの世界遺産「昌徳宮」を紹介する。

ソウルに残る朝鮮王朝の五大王宮

王と王妃の寝殿、大造殿

王と王妃が日常生活を送った大造殿。屋根の棟(横に伸びる頂上部)に瓦がないのはここだけ。棟瓦は龍棟と呼ばれ、王=龍であることから省いたともいわれる

仁政殿内部

仁政殿の内部。玉座の後ろの絵は「日月五峰図」で、太陽は王を、月は王妃を表している。いずれの王宮の玉座にもこの絵が掲げられている

高麗の将軍・李成桂(イ・ソンゲ)が1392年に建てた朝鮮王朝(李氏朝鮮)は1910年まで約500年間続いた王朝で、25人の王が誕生した。

王たちは首都・漢陽(ハニャン:現在のソウル)の王宮で政治を行い、日々の生活を送っていた。まずはソウルに残る五大王宮を紹介しよう。

■景福宮(キョンボックン)
1395年に李成桂が建てた朝鮮王朝最初の王宮で、2世紀にわたって正宮として利用された。1592年の文禄の役で焼失。1868年に再建され、26代国王・高宗によって正宮に返り咲いたものの、1897年には正宮は慶運宮(徳寿宮)に移された。日韓併合後に多くの建物が取り壊され、現在見られる建物は多くが近年復元されたもの。五大王宮の中でもっとも大きく壮麗な王宮だ。

 

■昌徳宮(チャンドックン)
仁政殿

昌徳宮正殿、仁政殿

李成桂によって1405年に建てられた景福宮の離宮。文禄の役でほとんど焼失するが、1611年に光海君が再建。景福宮が再建されるまで正宮として使われた。他の多くの宮殿が日本の統治時代に破壊され、復元されたものであるのに対し、昌徳宮には朝鮮王朝時代の建物が数多くの残っており、当時の様子をもっともよく残す王宮として知られている。

■昌慶宮(チャンギョングン)
1428年に4代国王・世宗が建てた寿康宮を、9代国王・成宗が大幅に改修して1483年に完成させた別宮。景福宮・昌徳宮が手狭になり、王の祖母・生母・養母の住居として建てられた。やはり文禄の役で焼失するが、1616年に再建。昌徳宮と並ぶ王宮として利用された。日本統治時代に多くが破壊されたが、元の形に復元されている。

 

■慶熙宮(キョンヒグン)
1616年に15代国王・光海君がこの辺りに王の気を感じるということで建てた別宮。その気を発しているといわれる瑞巌という岩が残されている。当時は100以上の建物を要する壮大な宮殿だったが、1829年に焼失。後に再建されるが、植民地時代に移築されたり取り壊されて建物はなくなった。1988年以降、移築された興化門が戻され、正殿である崇政殿が復元されるなどして現在の姿になった。

■徳寿宮(トクスグン)
徳寿宮

徳寿宮の王宮守門将の交代

もともとは成宗の兄・月山大君のために造られた邸宅。文禄の役で多くの宮殿が焼失すると王の仮住まいとして整備され、光海君が慶運宮と命名して宮殿となった。その後は昌徳宮や昌慶宮が利用されるようになるが、1897年に高宗が正宮として大幅に改修。1907年、純宗によって徳寿宮と改名された。イギリス式庭園など、近代建築が混在しているのが特徴だ。

この中で、見学しておきたいのは趣の異なる景福宮と昌徳宮。それと、景福宮を建てる以前に神々に祈りを捧げる場として建設した宗廟(ジョンミョ:世界遺産)は外せない。昌徳宮と宗廟は隣り合っており、景福宮と昌徳宮の間には韓国の伝統家屋・韓屋が残る北村(ブッチョン)の韓屋村もある。ソウルでもっとも街歩きが楽しい歴史的な一帯だ。