新たな名作ゲイ映画の誕生:その魅力を徹底解剖

あしたのパスタはアルデンテ

 

ゲイの息子とそれを認めない父親との葛藤というシチュエーションは、ともするとシリアスなものになりがちです。ところが、「この映画では、ゲイの弟は『変な来訪者』ではない。騒ぎを繰り返すお父さんの方が『変な人』になるわけで、ファミリーコメディの保守性をさらりと逆立ちさせているわけですね」と週刊『AERA』で指摘されているように、いまどきゲイのことを全く理解していない時代遅れの父親こそが滑稽で、笑われる対象になるという巧妙な仕掛けになっています(なんと痛快な脚本でしょう)。そして、父親のリアクションが滑稽であるがゆえに、どこか憎めないキャラクターになっているのです。

また、この映画は腹を抱えて笑えるシチュエーション・コメディなのですが、それだけに終わっていません。最後にはあっと驚く展開が用意され、そのあまりにもけなげで美しいラストシーンの数分間、自分でもビックリだったのですが、あふれる涙でスクリーンが見えなくなってしまいました(まるで『ニュー・シネマ・パラダイス』を観たときのように)。これがもし東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されていたら、間違いなく大きな拍手が起きていたはずです。

ゲイ映画という視点に立つと、この作品は、たとえば過去に映画祭で上映された『ブロークン・ハーツ・クラブ』や『ベア・パパ』や『シェルター』のような、現代に生きるゲイの姿をリアルに描きながら最後に爽やかな感動を与えてくれる名作たちと同じライン上にあると言えます。と同時に、『ブロークバック・マウンテン』や『シングルマン』のようなせつなさ、『トーチソング・トリロジー』のような家族との葛藤、フランソワ・オゾンの『サマードレス』のようなキャンプさ…そうしたゲイ映画らしい要素がギュっと詰まっています。それでいて、ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』のような、イタリア映画ならではの美しい名シーンを生み出すことにも成功しています。

ちょっと大げさですが、「今、新たなゲイ映画の古典となるような名作が誕生した」と言っても過言ではないと思います。僕はこれから「心のゲイ映画」を10本選べと言われたら、必ずこれを入れると思います。僕的には、2011年のNo.1ゲイ映画です(今のところ)

あしたのパスタはアルデンテ

 

『あしたのパスタはアルデンテ』の原題は「MINE VAGANTI」というのですが、これは、浮遊する地雷(歩く危険人物)という意味です。大家族の中の危険人物…一見、ゲイの兄弟たちのことを指しているように思えますが、実はそれだけではありません。
たとえば、不本意な結婚を余儀なくされ、今は糖尿と闘いながらも、家長(ゲイの兄弟の父親)を牽制したりもするおばあさま、昔駆け落ちしてひどい目にあい、今は家に縛り付けられ、夜な夜な男を部屋に誘い込んでいる過剰にセクシーなルチアーナ叔母さま、アントニオがいなくなったあと、工場で「今こそ自分の出番だ」と張り切るトンマーゾの姉エレナ…みんな、男社会で涙を呑んできた女たちであり、表には出さないながらも、どこかで父親/夫/男たちを見返してやろう、権威をひっくり返してやろうと機会を窺っているように見えます。
この映画は、男たちが結託して女性やゲイを抑圧している(旧態依然としたホモソーシャルな)社会で、女たちとゲイたちがいっしょに自由を求めて立ち上がる、というようなテーマ性をも含んでいます。そういう意味で、フランソワ・オゾンの『しあわせの雨傘』などにも通じる「女性讃歌」でもあります。 

あしたのパスタはアルデンテ

 

それから、この映画に出てくる男たちが、イタリアだけに、色気のあるイイ男ぞろいだということも付け加えておきます。ゲイの友達たちなんて、海外のゲイツアーのモデルみたいですし、一瞬登場する男性も「イカニモ」なクマ系(写真右)だったりして、ゲイの観客へのサービスって感じがします。

また、マドンナが「音楽のセンスが素晴らしい。天才よ!」と絶賛したように、ときどき挿入される、60年代ポップス風味の歌(日本で言うと昭和歌謡)が、絶妙な味付けになっています。ゲイテイスト以外のなにものでもない、素敵な歌です。サントラがほしくなります。