恥ずかしい行動も、健康だからこそ!
非合理的な行動も心の健康を保つため
裸足で外に出て泣きじゃくったり、やたらと悪口を言ったり、やけ食いで太ってしまったりと、理性のある大人とは思えない非合理的な行動が目立つこともあります。しかし、それらも「心の健康」を保とうとするために行っている必死の行為なのです。
したがって、思いがけずそうした行動に走ったとしても、「自分は弱い人間」だなんて思わないこと。むしろ、防衛を働かせられる健康でエネルギッシュな人間なのだ、と自信を持ってもいいのではないでしょうか。
人はショックを受けても、すぐに元の自分に戻れるような単純な生き物ではありません。しばらくは、非合理的な防衛を繰り返すかもしれません。激しく極端な行動がやめられずとても苦しくなるとき、または自分や他人に害を与えてしまいそうなときには、心の専門家に相談することが大切です。
しかし、「時薬」(ときぐすり)という言葉があるように、多くの場合は、こうした防衛反応を繰り返しながら時間が経過してけば、傷は自然に癒えていくでしょう。
「防衛」もお互いさま。温かく見守ろう
温かく受け止めてもらえば傷は和らぐ
「大人なのに恥ずかしい」「失恋くらいでメソメソしないで」「もっと強くなって」というような言葉を向けがちですが、傷ついている人が思わずとってしまう行動を否定しても、何の益もないどころか、傷をさらに深くしてしまいます。
泣きたいならしばらく泣かせてあげ、悪口を言いたいなら黙って聞いてあげましょう。「思いきり食べたい、買い物をしたい」と言うなら、一緒に付き合ってもいいでしょう。一見「恥ずかしい」と思われる行動をしても、受容的な態度で受け止めてみてください。温かく受け止めれば、傷が和らいでいき、防衛的な行動も少なくなっていくはずです。
とはいえ、付き合う人にも自分の心の健康を守る権利がありますし、際限なく相手の要求を受け入れると依存を誘いやすく、自分のためにも相手のためにもなりません。時間を決めておき、長引くようなら改めて時間を設定する、というメリハリを持つことも必要です。
人は誰でも、「防衛」のような繊細で奥深い心の動きを持って生きています。こうした心の動きをもっと肯定的に捉える人が増えれば、人にやさしい社会になるのではないかと思います。