誰も助けてくれなかった子ども時代
——全国のセクシュアルマイノリティの中高生を応援する「君のままでいい.jp」というサイトを立ち上げられた歌川さんですが、歌川さん自身、もしかしたら、子どもの頃いじめられた経験があるのでしょうか?だいぶやられましたよ。今とちがって中2くらいまではしゃべり方とかもなよなよしてたんで、わかりやすかったし。
——意外! どっちかっていうとガキ大将的な男の子だと思ってました。
学校の先生からも叩かれてた。通信簿に「態度が女性的」と書かれたり。家庭訪問で「親御さんのほうで女性的な態度をなんとかしてください」って言われたり。当時、子どもがやるいじめは無邪気だからまだ飲み込めたけど、大人がこちらを責めるばかりでかばってくれないことにとても傷つきました。
——それはつらいですね…孤立感を覚えたのではないでしょうか。
周りにわかってくれる人が誰もいない。僕だけがこうで、このままずっといくのかなって。痛かったですね。子どものときは無力で、偏見を持つ社会を問題視するなんてできない。こんな自分だから誰も仲間にしてくれない…と、自分を責めるようになってしまう。今でもそんな想いを抱えている子がたくさんいるとわかったんで、「君のままでいい.jp」を企画したんです。大人が声をかけてあげなきゃと思って。
——そうでしたか…。ゲイだと気づいたのはいつ頃なんですか?
小1のとき、三浦友和と山口百恵の『伊豆の踊り子』を見て。三浦友和さんの入浴シーンにウズいてしまいました(笑)
——三浦友和、カッコよかったですよね~わかります。そういう男性にドキドキする自分に気づいたとき、自分は他の人とは違うと自覚したのでしょうか?
はっきり男の子に恋心を抱いたっていうのは、中2の頃かな?
——そのときは「大人は誰もわかってくれない」という心の傷もあったし、後ろめたい気持ちだったのかな…。
僕はものすごくエネルギーがある子だったから、自分のエネルギーに押し流されて、気持ちが外に出ちゃった。
——告白もしたんですか?
ずっとその子を「目がハート」状態で見てたから、周りからはバレバレで。でも、その子も変わった子で、それをいやがらず、「おまえ俺のこと好きなんだもんな」みたいな感じで、僕のことをちょっと特別な存在っていうふうに見てくれて。そんなに悪い関係にはならずに卒業しました。
——なるほど~。そういうふうに接してくれると、少し気持ちもやわらぎますね。
高校に行くとまた人間関係が変わって。自分のエネルギーに押し流される自分と、自分をおさえなくちゃと思う自分とが常にせめぎあってました。でも、初のゲイ友や彼氏も高校のときにできて。
——彼氏も同じ高校だったんですか?
クラスメートでした。
——じゃあ、彼氏もできて、同じゲイの友達もできて、わりと順調に。田舎育ちの僕なんかとはちがって、ちょっとハッピーな路線だったのかな?
全体的にハッピーというカンジではなくて…出てきちゃうエネルギーが押さえきれない、コントロールできないって感じかな。特殊キャラとして、奇異な目で常に見られていましたね。
——クラスでは疎外感を味わっていたのでしょうか?
クラスの友達づきあいとかはできなかったですね。周囲の子たちにしてみれば、なんか出してるオーラがちがってて怖かったのかも。その後、二丁目にデビューしたんですけど、当時は「変わり者オーラ」全開の人が多くて、それと正面衝突してゲイ嫌いのフォビ子になってしまったんです。
——二丁目も80年代はそういう感じだったんですね。昼間はギラギラできないから夜に、みたいな。
昼間でも隠しきれてない人が多くてね(笑)。それをお互いに軽蔑したりすることも多かった。当時は二丁目もゲイフォビア(ゲイ嫌悪)の影響を多分に受けていて、僕も二丁目でフォビアを増幅させた。僕の居場所はここではないと思ってた。