世界遺産/中国の世界遺産

西逓・宏村/中国(3ページ目)

黄山の麓に広がる農村地帯、安徽南部の古村落。古来小桃源として中国の人々を魅了してきた西逓と、中国画の村として写生家を集める宏村では、明・清時代の暮らしがいまもつつましやかに伝えられている。今回は中国の世界遺産「安徽南部の古村落 - 西逓・宏村」!

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

西逓・宏村の歴史1 村落の誕生

宏村の民家

宏村の民家。大きな天窓があり、ここから採光する。一方で窓は小さいのだが、留守がちだった徽商たちが夜這いによる妻の不貞を防止するためだったとか

西逓・宏村を素朴だといったけれど、でも農村というわけではない。

村は壁に囲われていて、家々は白壁にレンガ屋根。村には隅々まで水が引かれていて、とても高度な水利システムであることがひと目でわかる。家に入ればあちらこちらの柱や壁に彫り物が施されていて、これがまた繊細精緻で美しい。ただの村でないことは一目瞭然だ。

最初にイ県のこの辺りに暮らしはじめたのは唐の19代皇帝・昭宗の息子・明経だったという。900年前後、政権抗争に疲れ果てた彼は世を捨て、姓を胡に改めて山に囲まれた西逓の地に移り住んだ。村の人々がいまでも芸術を愛し遊び心を忘れないのは、文化を愛する当時の貴族たちの血を引いているからだとか。

宋の時代から人口は増えていき、明の時代、15世紀に入ると胡家は商人としての仕事を開始する。塩や茶などの取り引きで大成功を収め、中国全土で活躍して「徽商(新安商人)」と呼ばれるようになる。

商人たちは中国各地で成功してはこの地に戻り、故郷に錦を飾って祠堂や橋や家を建てては村を発展させていった。

西逓・宏村の歴史2 徽派文化

宏村の民家

こちらも宏村の民家。柱、壁、手すりに刻まれた木彫りが見事。彫り物は民家ごとに異なり、開放されている数十軒の民家を見て回ることができる

清の時代、徽商は最盛期を迎え、彼らの文化が大いに花開く。

民家の彫り物

民家の彫り物

まず、白壁、灰色レンガで統一された家々は「徽派建築」と呼ばれ、石、レンガ、木を彫った彫刻の美しさは「三絶(徽派三彫)」といわれ重宝とされた。また、南湖をはじめとして池や湖をたくさん造り、水路を作って水利システムを完成させた。

劇では「徽劇」が生まれ、やがて京劇へと発展する。書では「文房四宝」と呼ばれる文房具としての宝物のうち宣紙と徽墨を生産、硯も中国四大名硯のひとつに数えられている。

ほかにも安徽料理をはじめ他に例を見ない多彩な文化は「徽派文化」と呼ばれ、チベット、敦煌と並ぶ中国三大地域文化に数えられている。

現在見られる建築物はほとんどこの時代、いまから約400年も前のものだ。村人の多くはいまだに当時の家に住み、当時の水利システムを使って生活を送っている。 
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