16年つきあったパートナーに先立たれた孤独
この時代のアメリカでは、ゲイはパートナーの葬儀にすら出られませんでした(僕らにとっては、未だにリアルな現実です)。どんなに長く連れ添い、まるで夫婦のように、家族のように、純粋な愛を育んできたとしても、親族が認めてくれなければ、愛する者の亡骸に触れることも、見葬ることもできないのです…身を引きちぎられるようにつらい、残酷すぎる現実です。
そういう意味で、ゲイは二度、死を経験するのです。一度目は肉体的な死として。二度目はそのパートナーを襲う精神的な死として。
ジョージは嵐の中、親友の女性チャーリー(ジュリアン・ムーア)の家を訪ね、慰めを求めます(彼女の前でだけ、彼は本当の自分でいられるのです)。しかし、「きっとジムの代わりは見つかるわよ」と言う慰めの言葉に対し、ジョージはこう言います。「ジムの代わりなんていない。彼はかけがえのない存在だったんだ…」
シックで高級なジョージの家でゆったりくつろぎながら、本を読む夜。ジョージが読んでいるのが『変身』なら、ジムが読んでるのは『ティファニーで朝食を』。かたわらには飼っている2頭の犬がいます。
そしてその犬たちと外で遊んだり、海に出かけたり…思い出は尽きません。
そこに描かれているのがまさに僕らの姿そのものであるだけに、やりきれない思いがつのります。
ジムの死後、孤独のうちに生きていたジョージは、生きる意味を取り戻すには至りません。
ついに、この世に別れを告げることを選びます。自らの葬儀に向けて、スーツやシャツ、靴を丁寧に並べ、「ネクタイの結び方はウィンザーノットで」と書いたメモを残し、身支度を整えはじめるのです。(その几帳面さに、ジョージらしさとトム・フォードらしさが表現されています)