芦屋・六麓荘は新しいお屋敷街
お屋敷街には、道路から中のお家が見えないほどの豪邸が並ぶ。一度は街ウォッチングしてみたいところ。 |
六麓荘は昭和4年に分譲が開始されました。関西で計画的に開発された住宅地は大正時代の開発がほとんど。元祖・建売住宅開発の街「池田」で紹介した池田・室町は1910(明治43)年、戦前からの閑静な住宅街「夙川」で紹介した「夙川香枦園経営地」は1918(大正7)年、日本の田園都市の先駆け「千里山」の千里山では1920(大正9)年に開発が開始されています。
このように大正時代に開発された住宅街が多い中で、「六麓荘」は昭和に入ってから開発が始まったのです。この「六麓荘」は、香港の外国人居留地をモデルに開発されました。当時の敷地は最低でも200坪、1,000坪以上の敷地もたくさんある大きなお屋敷ばかり。道路も地形に沿って作られたり、電線も全て地中化されるなど景観にこだわった街づくりでした。 これらの街づくりに共感したお金持ちが次々と「六麓荘」に移り住み現在に至っています。今も独自の建築協定が守られ、街のステイタスを守り続けています。
元祖芦屋のお屋敷街は浜芦屋
芦屋では、「六麓荘」などの山手の住宅街が出来るまでは、海に近いエリアが住宅街の中心でした。別荘をはじめとしたお屋敷が海の近くに多く建てられていました。今でも阪神芦屋駅の近辺には、大きな門構えのお屋敷がたくさん残っています。なので、この浜芦屋近辺は、元祖芦屋のお屋敷街といったところですね。もともと浜芦屋に住んでいた多くのお金持ちが、山手の住宅街に移り住んだと言われています。とはいっても、この地に住み続けている人も多く、今もお屋敷街の面影を残しています。お屋敷街も時代によって変遷しているのですね。
次のページでは、京都や大阪のお屋敷街について見てみましょう。