自分を変えられないのはなぜ?
変わりたいのに変われないのはなぜ?
では、どうして「ダメなワタシ」を変えられないのか? 私は、次のような要素が邪魔をしているせいだと考えています。
(1) 自分を変えるのは「たいそうなこと」だと思っている
(2)「カンペキ」に変えなければ、変わったことにならないと思っている
(3) 変えるプロセス、変わる自分を人に見られたら恥ずかしい
(4) 本音は「変わらない自分」の方が楽だ
どうでしょうか。思い当たる項目はありますか? それぞれの項目について解説しましょう。
(1) 自分を変えるのは「たいそうなこと」だと思っている
たまにスーパーに弁当を買いに行くだけでも、何かが変わる
「こんな自分はイヤだ」と思ったら、今までの生活とは少し違う「何か」を新しく始めてみる。
たとえば、学校にもバイトにも行かなくなって、ダラダラとプチこもり生活をしている学生。毎日の行動範囲が家とコンビニに限られているなら、1週間に2回くらいでも、そこに「スーパー」を加えてみる。すると、「家→コンビニ」の直線的な行動範囲が、「家→スーパー→コンビニ」という三角形に変わり、目に飛び込んでくる風景が途端に新鮮になる。またスーパーでは、「いつものコンビニ弁当」とは違う惣菜類を目にし、「これはおいしそうだ」「食べてみようかな?」と興味が湧いてくる。このドキドキ、ワクワク感が、自分を変える動機になります。
やめようと思ってもゲームをやめられない、やめたいのに過食をやめられない……こんな自分には、ほとほと嫌気がさすでしょう。でも、そんな自分をスパッとやめなくてもいい。大切なのは「何かをやめる」のではなく、「何かを始める」ことなのです。1日は24時間しかないのですから、何かを始めれば相対的に今までの行動に費やす時間が少なくなります。これが続くと、いずれ自分は変わっていきます。
(2)「カンペキ」に変えなければ、変わったことにならないと思っている
何か一つでも変えれば、その周辺も変わっていく
たとえば、部屋を片づけられない人が「片づけ上手な自分」に変われないのは、雑誌に出てくるように整然と片付いた部屋にしなければ、と思いこんでいるからでは? そのこだわりが片づけをいっそう面倒なものにし、いつまでたっても片づけに着手できなくしてしまうのです。
こうした場合は完璧を目指さず、たとえばグチャグチャなままのテーブルの上に、思い切ってドンと好きな花を活けてしまう。すると、花を楽しみたい気持ちからその周辺だけでもきれいにしたい、と思います。山のように積まれた写真の束にうんざりしたら、とりあえず最近の写真だけアルバムに貼ってしまう。すると、「今度はその前の写真も貼るか」と思います。
一つ何かが変わるだけで、他も変えたいという気持ちが生まれるもの。だからこそ、まずは楽しそうなことから着手してしまうこと。「完璧に片付けなくちゃ」という、ネバならない思考や○×思考が自己変革への足かせとなります。まずは、楽しそうな変化を一つだけ始めてしまいましょう。すると、必ず自分は変わります。
(3) 変えるプロセス、変わる自分を人に見られたら恥ずかしい
親しい人ほど変化の足かせになる
しかし、そもそも他人は周囲の人の変化にネガティブな反応を示すものです。特に、恋人、夫婦、親友、同級生や会社の同僚など、同じレベル、同じ立場で行動を共にしてきた人ほど、その傾向は強い。「似合わないよ」「そのままでいいのに」「無理に決まってる」「失敗したらどうするの?」……変わっていく相手に、近しい人ほどこんな冷たい言葉を投げてしまうもの。変わっていく相手を見ると、不安やジェラシーなどの複雑な思いが入り乱れ、ネガティブな反応を返してしまうのです。
しかし、他人の反応を気にしていたら、いつまでたっても変われません。自分が変わることは、付き合ってきた人との関係も変わっていくこと。人間関係の変化は、あらかじめ覚悟しなければならないことです。
(4) 本音は「変わらない自分」の方が楽だ
「俺は変わる」と豪語する人ほど変われない訳は?
大嫌いな自分でも、そのままでいつづけた方が安心できるもの。ダメな自分とのズルズルの蜜月関係は、慣れてしまうと奇妙なほどに居心地がよく、新しい行動を起こすことに強い恐怖を感じるからです。
たとえば、飲みに行くと必ず「今年こそ、○○の資格の勉強をして独立する」と豪語するのに、結局いつまでも同じ会社にいる人。親から自立して働かなくちゃと思っているのに、結局すねかじり生活をやめられない人。
意識の上では変わりたくても、無意識では「結局、今までの方が得だ」という計算が働いています。(1)~(3)とも共通することですが、どんなに小さくても、「はじめの一歩」を踏み出さなければ何も変わりません。たとえ「三歩進んで二歩下がる」としても、とにかく前に進んでいくことです。
あなたが踏み出したい「はじめの一歩」とは? ぜひ、どんな道でもまずは一歩、歩き始めてみようではありませんか。