まずは市場の純粋なニーズを把握することが大切です。そのニーズに自社のシステムが適合しているようであればそのまま活用すればよいし、適合していないとしたら新たなシステムが必要です。
既存のシステムが適合できないということは、そのシステムは時代のニーズにあわなくなってきている可能性があります。
今回は信長の事例に「攻めのIT導入」を学んでみましょう。
●居城を移す |
桶狭間で今川義元を破った信長の次のターゲットは美濃です。この時、信長はとんでもないことを言い出します。
「居城を清洲城から二宮山へ移して、そこに城を築く」
信長は二宮山というへんぴな山にまず家臣を連れて登ります。
山に登ると、「ここは、お前の屋敷とする。ここは、そこもとだ。」と区割りをして、家臣に清洲から引っ越して来るように言いました。
二宮山は居住するのも大変な土地で、家臣からは当然、反対が巻き起こりました。
反対を受けて、信長は「では、小牧山へ移す。」と言い出しました。
小牧山は清洲にまだ近く、水運もあり城を建築するための資材の運搬も比較的容易な土地です。そこで、家臣も二宮山よりはましと小牧山への移転には賛成しました。
実は信長の最初の狙いは小牧山でした。小牧山からは尾張平野を一望でき、美濃攻めに絶好の位置にあります。
最初から小牧山へ移転すると言い出すと、猛反対が起きますので、まずは小牧山より条件の悪い二宮山への移転を持ち出し、小牧山への移転をスムーズに行った、なかなか心理的な作戦です。
●大黒柱に車をつけよ |
戦国大名は鎌倉時代から続く一所懸命が共通理念でした。居城を中心に版図を拡げることが中心で居城を移すという発想はありませんでした。
現在では本社を臨機応変に移動させることになりますが、これを社訓にしている会社があります。
イオングループ(ジャスコ)で、その前身である岡田屋呉服店の社訓が「大黒柱に車をつけよ」というものです。
社訓の意味するところは、時代が変わって市場が変われば会社の大黒柱は移動しなければならない。つまり市場に合わせて事業を変えていかなければならないというものです。
既成概念に捕らわれることなく変化し続けなければ会社は永続しません。実際に岡田屋呉服店では、先祖伝来の店を売り払って当時最も人通りの多いところに店を出しています。
さて信長の小牧山移転には実は大きな目的が隠れていました。