女性の転職/女性の再就職・職場復帰

「容姿端麗、良家の子女」求む!(2ページ目)

「求人広告『乳母』の条件とは?」に続き、新聞の求人広告から女性の仕事の変遷をご紹介しましょう。「容姿端麗」が求められたのはどんな職業だったのでしょう?

執筆者:川崎 あゆみ

敵国語だった英語のニーズがUP

英文及び和文タイピストの求人広告では、和文英訳の能力のある女性が求められています。
戦後になると、GHQとやりとりする必要性が高まり、英文・和文タイピストの求人広告が出されるようになりました。また、日本大学の博士が、アメリカ生まれの女性を秘書として求める広告もあります。

販売員の応募上限年齢は、23歳

初めての女性警察官募集でも、求められたのは、やはり「容姿端麗」。
1946(昭和21)年に初めて婦人警官が募集されました。35歳の年齢の壁に悩む今から考えたら信じがたいことですが、デパートの販売員も応募年齢の上限が23歳までとなっていたようです。

この頃から雑誌編集者や女子テレビアナウンサーの募集記事も増え始めます。ちなみに雑誌編集者の年齢制限は、「35歳まで」、アナウンサーは、「25歳以下」となっています。

主婦の友社が募集した婦人記者の募集内容は、「洋裁・料理・育児等、家庭生活の実践知識と経験豊富 25~35歳くらいまでの健康な方。自筆の履歴書に加え、実力を示すに足る文章、応募感想文」とあります。

女性営業職の草分け 保険外交員

また、女性が活躍する代表的な職業である保険営業ですが、この頃に、「奥様未亡人へ」として、戦争で夫と亡くした多くの女性を営業職として雇用し始めたのが生命保険会社でした。

1958(昭和33)年頃の求人には、「パートタイマー」という言葉が出てくるようになり、1973年(昭和48)には、今ではセクハラの対象にもなっている「職場の花」という表現が使われています。

銀行で働く女性も増えましたが、1972(昭和47)年の求人広告に「素敵な制服」であることがアピールされ、銀行の制服によって勤務先を決める人が多かった時代だったことがわかります。

この後、「キャリアウーマン」という言葉が生まれ、女性も社会でバリバリ活躍できるという期待が高まっていきました。四大卒の女性にとっては、大変な就職難の時期でもありましたが、1986年には、先述の男女雇用機会均等法が施行されました。



さて、ざっとではありますが、江戸時代から遡って女性の求人広告の変遷を見てきました。実際問題として、今現在、大変厳しい雇用状況にはあるものの、女性の地位向上、職業選択の自由など、時代を経ながら少しずつ少しずつ得てこられたものなのだということが、わかります。「自分らしさ」「自分の価値観にあった」仕事を選択できる時代に生まれたことを本当に幸せだと感じました。

今回、参考にさせていただいた「女性と求人広告」には、広告の実物や、おのおのの時代の働く女性の写真などがわかりやすい解説とともにふんだんに掲載されています。さらに巻末には、働く目的にあわせて、求人広告から発せられているメッセージの分析など、読みどころ満載の非常に興味深い冊子となっています。

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