求人広告「乳母」の条件とは?!」では、女性と仕事の未来館発行「女性と求人広告」を参考に江戸時代から明治時代の女性の仕事や求人広告をご紹介しました。今回は、大正時代から現代までの変遷を見てみましょう。

今では、性別、年齢も求人広告にうたってはいけないことになっていますが、大正時代は、応募条件に「美人」であることがおおっぴらに記されていた時代でした。

容姿端麗、良家の子女求む大正時代

新聞広告は、女性が結婚相手を探す手段としても、利用されていました。
一瞬、目を疑いますが、「醜婦ではない女」というような女性の容姿に関する表記も多くありました。また、「艶麗なる外妾を求む 手当弐百」という妾募集の広告や「世に不幸なる女子を妻として求めたし」というよう妻を求める広告も。

反対に、結婚をするには広告を出してお願いするしかないと思ったのか、「同情心のあるお方に 38歳 裁縫秀技有りも不幸なる女なり」という切羽詰まった女性が出したものもありました。

マドモアゼル?!募集

「ミス・シセイドウ」は、「キレイ」で「知的」な職業として、さらに2か月の有給の養成期間、服飾、化粧品も支給という当時の若い女性たちの憧れの職業だったことがうかがえます。
昭和初期には、「街のマドモアゼルを求む!」という映画社の経営する酒場で働く女性を求める広告が出ました。「マドモアゼル」というのがいかにもハイカラなイメージですが、映画会社が運営する酒場だったことから知的レベルの高いお客が足を運ぶことが想定されていたのか、「インテリ」の女性が求められています。

資生堂が募集した「ミス・シセイドウ」は、「容姿淡麗なる良家の麗嬢」「女学校卒業程度」と条件が明記されています。別の化粧品会社の募集広告には、「美しい仕事 100名 誰にも出来ます」とあり、15歳~25歳という年齢制限が。

また、菓子工場の募集では、「女子二百名募集 女子向 やさしい綺麗な仕事優遇す」とあり、「特に優れた方は、4、5ヶ月たてば昇給」とあります。

同じく菓子工場の求人では、「家庭婦人百名募集」「十六時までの内職的仕事」、さらに「早退欠勤自由に認めます」とあり、家庭との両立をしたい家庭の主婦には、願ったりかなったりの求人です。応募年齢も45歳までと画期的。

子供が学校から帰ってくる頃には家にいたい、夕飯の支度に間に合う時間には帰宅したいという女性の働き方は、この頃から変わっていないようです。もっとも、「食事の支度は女性の仕事」という世間の考え方や偏見も強かったとは思いますが…。

戦争開始後は、男性の仕事に女性が

戦争が始まり、男性が戦地に赴いたため、それまで男性がついていた職業に女性が就くことも多くなってきたようです。太平洋戦争が始まった後は、「増産戦士募集」として工場で働く施盤工を募集したり、食糧難の中、なんとか食糧を確保するため「はとむぎの種を販売する人」を募集するものもありました。

また、陸軍偕行社が「身体強健ナル高女卒 年齢18-23歳まで 高給にて、食事、宿舎、赴任費も支給」として、ビルマで働く女性を求めた広告もあったようです。

敗戦後、大きく時代が変わります。それまで敵国語として使用を禁止されていたカタカナで外来語を表記することも許されるようになり、さらに英語がわかる女性の募集も見られるようになります。