普段、何気なく見ている求人広告ですが、何かの拍子にふと「最近、パートの時給が全体的に低くなっているな」とか「介護系の仕事が増えているな」など、その時その時の社会の状況を感じることがありませんか?

実は求人広告も、年代を追ってみると、掲載されている時給や職種、キャッチコピーなどから、「時代」を知るための貴重な資料となります。

例えば、私たちの記憶にある大きな変化で言えば、1986年の男女雇用機会均等法施行後の求人広告。それまでは、女性の就ける職種や働き方も限られていましたが、施行後は、「総合職」や「女性の管理職」募集が掲載されるようになりました。

今回は、このように女性を対象にした求人広告の変遷をまとめた冊子「女性と求人広告」(財団法人 女性労働協会発行)から、その内容の一部をご紹介しましょう。
財団法人 女性労働協会 女性と仕事の未来館発行 渡邉嘉子さん著 *画像をクリックすると、「女性と仕事の未来館」のHPに飛びます。

女中、花魁…江戸時代の女性たち

お城に使える女性たちも、座敷での仕事をする者たちと炊事や掃除を担当する水仕女は、下女としてはっきりと区別されていました。*画像は、イメージです。
まず、江戸時代の女性の職業を見てみましょう。

庶民生活においては、下女として有料で洗濯を請け負う「水仕女(みずしめ)」や洗濯用の糊を売る「糊売」、また、小間物売りもかねてお裁縫用の針を売る「針売」などの職業がありました。

また、江戸時代の吉原には、数千人の遊女がいたとされていますが、花魁といえども年季奉公で働いていた人が大勢おり、中には、売られてきた子どもたちもたくさんいたそうです。ちなみに花魁候補の女性は、10歳前後から和歌、古典、お茶、生け花、書道、茶道、箏、三味線、囲碁などの教養を身につけさせ、芸事を仕込まれていたそうです。

花魁の下の階層である遊郭で働いていた遊女たちは女性によって料金が決められていましたが、時に「座敷持遊女 金壱歩のところ、銀拾弐匁」など、「大安売り」として料金を引き下げ、お客を呼ぶという、バーゲンセールのような手法が用いられていたこともあったようです。。

また、当時の人材斡旋業であった「口入屋(くちいれや)」「肝煎屋(きもいりや)」には、「月極めの囲いもの」つまり、男性の妾になるための面接にやってくる女性もいました。

次に明治時代を見てみましょう。1869(明治2)年に、江戸が東京として首都となり、近代日本への一歩を踏み出した時代の求人とは、どんなでしょう。