女性の転職/女性の再就職・職場復帰

求人広告 「乳母」の条件とは?!(2ページ目)

毎日、何気なく見ている求人広告は、実は、時代を強く物語る貴重な歴史的資料となります。江戸時代までさかのぼり、当時の女性の仕事や珍しい求人広告など、その変遷を見てみましょう。

執筆者:川崎 あゆみ

日刊新聞初の求人は、「乳母」

明治29年に募集された乳母の条件は、「20~25歳で過去数カ月の間に出産し、体格肥大にして強壮なる者」。
1872(明治5)年に日本最初の日刊紙として発刊された「東京日日新聞」に掲載された最初の求人広告は、「乳母」。商売をしている家では、乳母や子守を雇うことは珍しくありませんでした。広告の内容は、以下の通り。

「報告
乳母を雇入れたいので心あたりの者は(中略)御尋ねください。本乳にして乳さえよろしいならば給金は、他のところより高く差し上げます」

400人もの工女たちが働いていた富岡製糸工場

1872(明治5)年に群馬県に設立された官営富岡製糸工場で工女を募集しましたが、「異人(いじん)に生き血をしぼりとられる」という噂が広まり、人集めに苦労したようです。そこで、各府県に確保する人数を割り当て、全国各地の士族の子女たちが集められました。

彼女たちは、フランスから招かれた技師の指導のもと、製糸器械を使った新しい技術を身に付け、伝習工女として全国へ技術を広めたのです。彼女たちの労働力により、日本の絹は、日本輸出商品の第一位にまでなり、「日本は絹で軍艦を買う国である」と言わしめるほどになりました。

子どもが欲しい、子どもを譲る。結婚相手も

子どもを産んでも育てられない人、欲しくてもできない人たちが、新聞の広告を使ってそれぞれ、もらってくれる人、譲ってくれる人を求める時代もありました。
また、同じ求人でも「2歳ぐらいまでの子供をくれる人を求める」貰い子、「昨年10月生まれた女子 血統正し、慈悲深き方に至急遣りたし」という子供あげます広告も多かったようです。また、「日本画家と結婚したい」という縁談を求める広告、「宝くじが当たったらその10分の1を与える」という条件付きで結婚相手を求める広告など、今では考えられない内容のものが掲載されていました。



大正時代になると、女性に「容姿端麗」であることを求める広告が見られるようになってきます。続きは、こちら→「容姿端麗、良家の子女」求む!
【編集部おすすめの購入サイト】
楽天市場で転職関連の書籍を見るAmazon で転職関連の書籍を見る
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます