▲ソニー銀行 石井 茂 社長 54年生まれ。78年東大(経)卒業。山一証券入社。山一証券経済研究所に出向。85年エール大学ビジネススクール留学。93年山一証券企画室配属。97年11月山一証券が経営破たん。98年ソニー入社。01年4月ソニー銀行社長就任。著書『決断なき経営』。記事「参謀からリーダーへの転換点」 |
ソニー銀行の石井茂社長もそうだった。山一証券のエリート社員として、会社の中枢で忙しく働いているうちに、自分を見失っていたという。そこからいかに自分を見つめ直し、主体的な生き方を獲得したのか?
Contents
1.山一崩壊をもたらした主体性の欠如
2.批判の矢を自らに向ける
3.ソニー取締役会で否決
4.クビ覚悟の再提案
5.スケジュールを立てることが出発点
山一崩壊をもたらした主体性の欠如
「いい提案だと思って、真剣に訴えたプランが、あっさり破棄されてしまう―――」
そんな経験がある人も、少なくないだろう。インターネット専業銀行「ソニー銀行」社長の石井茂氏も、前職の山一証券時代、何度か苦い思いを味わった。
1997年11月に同社は経営破たんし、日本中に大きなショックを与えた。だが、その兆候はだいぶ以前から現れていた。その頃石井氏は企画室という経営の中枢で、経営者の意思決定を補佐する立場であり、何度も改革プランを提案したものの、ことごとく「組織の壁」に阻まれ、日の目を見ることはなかった。
結局、山一証券は抜本的な策を打ち出せぬまま沈没してしまう。会社を離れた石井氏は、著書『決断なき経営 山一はなぜ変われなかったのか』をまとめながら、同社崩壊までのプロセスを見つめ直した。
そこから導き出された崩壊の主要因は、会社全体にまん延していた「主体性」のなさだった。
会社が傾いているのであれば、なんとかしようと一致団結するもの。しかし、長く続いていた大蔵省(当時)の金融行政に慣れきっていた社内には、「最後はなんとかなる」という雰囲気が漂い、自分たちで問題を解決しようとする気運が乏しかった。自部門の利害を損なう石井氏の意見に、耳を貸そうとしなかった。