キャリアプラン/キャリアプラン事例

クビ覚悟の提案 ソニー銀行石井茂氏(2ページ目)

山一証券のエリート社員として、会社の中枢で忙しく働いているうちに、自分を見失っていたソニー銀行・石井茂社長は、そこからどうやって自分を取り戻していったのか?

執筆者:角田 正隆

MoneyKit
MONEYKit画面サンプル「この画面を使ってユーザー自身が資産運用の方針を決定する。資産運用にも“主体性”という考え方が取り入れられている」

批判の矢を自らに向ける


興味深いのは、その批判の矢を自分の提案を無視した社内だけではなく、その意見を最後まで貫けなかった自分自身にも向けていることだ。

「これまで私は場面、場面によって対応の仕方や感情を変え、人生とはそういうものだとあきらめていた。このことが、主体性を欠き他者への依存にもつながっていた。」(『決断なき経営』P231より引用)

長期間、周囲との調和ばかりを重視していると、無意識のうちに本当の自分すら曲げてしまうことがある。山一崩壊は石井氏1人で止められる問題でなかったが、「他部門の反対」「上司の指示」よりも1人のビジネスパーソンとして貫き通すべきことがあったのではないかと悔やむ。

それから「どのような場にあってもこれが自分だと言うものを持って臨むことが、責任を取れる生き方であり、矛盾のない生き方になる」(同)と決意した。石井氏にとって「主体性」が重要なキーワードになる。


ソニー取締役会で否決


山一証券を辞め、98年6月、石井氏はソニーに入社。銀行業参入を検討するプロジェクトチームのリーダーに就任した。インターネット経由で個人の資産運用を支援する銀行を構想していたが、2000年春にITバブルが崩壊したことなどもあって、石井氏の事業プランはソニー取締役会で却下されてしまった。

プロジェクトチームも解散したが、石井氏にはまだ諦めきれない気持ちがあった。それは山一証券時代から考えていた、日本のリテール(個人向け)金融を変えたいという情熱だった。

「1500兆円もの資産を保有する日本の消費者は、世界有数のお客様であるはずですが、日本の金融機関は自分の都合で商品を売っていました。そこに疑問を感じていた20代の私が、上司にそういう話をすると、『お前がそんなことを言うのはまだまだ早い!』と言われ、30代になっても同じことを言ったら、「お前は青い!まだそんなことを言っているのか』だと言うんです。その疑問は消えることがありませんでした。もっと個人に目を向け、お客様ときちんとして扱う金融機関があるべきだと思っていました」


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