キャリアプラン/キャリアプラン事例

25歳会社員が夢と志で議員に(6ページ目)

大田区区議会の田中健議員(27)は、25歳で区議会議員に立候補し、見事当選、都内最年少区議会議員(当時)に就任。2世でも、地元でもない。1人のサラリーマンが、ゼロから議員になるストーリー

執筆者:角田 正隆

なぜ大田区なのか?

大田区は面白い地域
田中さんの立候補について、私はもう1つ疑問があった。それは、静岡県出身の田中さんが、地元ではない大田区で立候補したことだ。

「議員として日本の中心部である、東京で活躍したいという思いがありました。しかも大田区は羽田空港があり、高い技術を持った中小企業も多い。世界に情報発信する仕事ができると思ったのです」

「大田区は面白い地域なのです。多摩川や海の自然もあれば、田園調布のような住宅地と町工場のような工業集積地が同居している。それを“日本の縮図”と呼んだ人もいるぐらいです。つまり、環境問題や住宅問題、産業政策など、さまざまな課題を抱えているのです。重責ですが、この経験は、もし僕が将来、国会に出れたとき役立つと思うんです」


国政を目指す

「将来は国会を目指す」と抱負を語る田中議員の課題は、自分と同じように今の政治に問題意識を感じ、立候補したいと考える若い仲間を増やすことだ。

「政治家は基本的に孤独な存在です。僕は、将来ビジョンとして、若い人が夢を持って活躍できる、誇りある日本を作りたいと考えていますが、自分1人でそれが達成できるとは思っていません。日本中に多くの仲間を作り、一大ムーブメントを起こしたい」

志が高い人がいると聞けば、新幹線に飛び乗って会いに行くこともある。これから政界を目指す人には、「高い志を貫き、不屈の精神でやり遂げてほしい」と田中議員はエールを送る。

師に学んだ「不屈の精神」

 
この「不屈の精神」こそ、師匠である松原議員に教えてもらったことだ。松原議員は、衆議院議員選挙に2度落選し、3度目の挑戦で当選を果たした苦労人。やはり2世議員ではなく、マイク1つ、旗1つで、議員の座を射止めた。

彼は50代になった今も、街頭演説を続けている。衆議院議員になってからも、街頭演説を続ける議員は少ないのだ。その愚直な行動を通じて、田中議員は多くを学んだ。

「たとえあのとき落選しても、僕は議員の道を諦めなかったと思う。僕のやりたいことは、若者が夢を見れる社会を作ること。それができるのは、この仕事しかないと信じています。政治家の道に終わりはありません。いつまでも活動し続けるつもりです」

大田区区議会議員 田中 健 氏 プロフィール

1977年静岡県生まれ。2001年第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行、蒲田支店配属。2002年10月同行退行。03年4月、大田区区議会議員選挙に最年少候補として出馬。4,818票を獲得し、新人ながら立候補者66人中7位で当選。東京都最年少区議会議員(当時)。目指す政治家像は、熱い情熱と冷静な頭脳を併せ持った人物。目先の情に流されず、確固たる決断を下せる政治家を目指す。ホームページ「田中健 ken-ken.net

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