不幸な争族
相続の始まり |
コップの水が勢いよく私にかかり、頭からびしょ濡れになってしまいました。
「あっ!谷崎さんごめん。兄貴にかけたつもりが、手元が狂って……」
テーブルの向こうで、50代後半になる相談者の弟が、申し訳なさそうに謝りました。
「兄貴は俺達が小さいころ、近所から貰ったお菓子をこっそり机の中に隠していたことがあった。昔から兄貴は、兄弟と分かち合おうとする思いやりのない、腐った奴なんだ!俺はあの時のことを今も忘れていないぞ!」
私の隣りで固まったまま動かない兄。静まり返る喫茶店。店員さんも怖がって、床にこぼれた水を拭きに来ない。私は黙ってハンカチを出しました。
相続後の賃貸マンションをめぐる、名義の共有問題トラブルでのひとこまです。まさか子供のころの話を持ち出してくるとは思いませんでした。相続問題による兄弟間の軋轢は、一度歯車がくるってしまうと修復が困難であることをしみじみ感じました。
事の発端は10年前、相談者のオーナーさん(長男)の父の150坪ほどの土地に、長男が父と共有で、5階建てのマンションを建設したところから、始まります。
完成後ずっと、長男と奥さんが管理してきたのですが、父が亡くなって相続が発生し、他の5人の弟妹の名義が土地と建物の一部に登記されたため、不動産の権利と収入の配分でもめるようになったのです。
建物は築10年目を迎え、住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)融資の段階金利が上昇し返済額が経営を圧迫する時期で、併せて賃料の下落や滞納の増加、減価償却効果の減少による所得税負担の増加などにより、長男は現状の厳しい経営に、深く悩んでおられました。
長男の経営上の悩み
1) 公的融資の段階金利の上昇により、月額返済負担がまもなく約20万円アップする
2) 築10年を過ぎ、周辺の新築物件との競争力にも劣り、空室が目立ち始めた
3) 賃料を値引かないと、なかなか入居者が決まらなくなってきた
4) 空室を埋めるために入居審査が甘くなり、不良入居者と契約。滞納者が増え始めた
5) 鉄部の腐食や各種設備の劣化などにより、修繕費が増え始めた
6) 複数の不動産会社との一般仲介のため、専門家からの親身になった経営アドバイスをもらっていなかった
7) 定率法による減価償却の経費計上額が年々減少し、所得税上昇の要因に
8) 元利金等による返済の金利の割合が減ってきたため、所得税上昇の要因に
一番の悩み(本質的な悩み)
共有の長男と弟妹の意見が一致しないため、建物に対して何も対策を打つことができない。その結果、今後の生活設計が見えない。次世代に円満に引き継げるかも不安。
私はコンサルティングを行い、金利の安い金融機関への切り替えと管理体制の見直し、今後予想される長期修繕費用のスケジュールなどを、長男に提示していました。
しかし、経営改善の大前提として共有問題の解決が必須でした。そこで、長男が弟妹の共有部分を買い取ることによって、名義を長男へ一本化しようということになり、弟妹の代表である次男との交渉の場に、私は同席を頼まれたのです。
弟妹たちは過去の収入も含めて、応分の配分と権利譲渡の対価を求めてきました。弟妹たちにもそれぞれもっともな言い分があり、客観的に見ても当然の要求です。
最終的には金銭で解決せざるを得ないので、弟妹たちに現状の厳しい経営環境をオープンにして理解を求め、なんとか低額での金銭解決をお願いする方針でしたが、長男は頭を下げることができず、険悪な言い争いなるという最悪の事態に。そして冒頭の水かけ事件に発展してしまったのです。
その後、話し合いの場を幾度か持った結果、弟妹たちの経済的な事情もあり、無事3ヵ月後に解決に至りました。
喧嘩になってしまうと、兄弟間の場合は、他人同士の場合と違ってお互いに遠慮がなく、エスカレートすると歯止めが利きません。それは大人になってからでも同じであるようです。
相続を考えたとき、相続税をどのように納めるのか、どのような節税方法があるのか、を考えることはもちろん重要なことですが、次世代にどのようにスムーズに引き継ぐかを考えておかないと、「幸せな相続」ではなく「不幸な争族」に発展してしまいます。
これは、ある意味「親の問題」でもあると考えます。親は、生前のうちにどの資産を誰に、どのように分けたいのかを、決めておくべきなのです。
そのための有効な手段の一つが、遺言書の作成です。
次は遺言による幸せな相続のお話をご紹介します。