日系人たちの歴史

『夫のルーツをたどる旅』3連作でも書きましたが、戦前アメリカに渡った日系一世と、その後現地で生まれた二世の人たちは、第二次世界大戦で2つの祖国が戦うという大変つらい時代を生き抜いてこられました。

私はカナダに住んでいた頃、同じ状況下にあった日系カナダ人の歴史を勉強したことがあります。一世の人たちは、できれば二世同士で結婚させたいという希望があり、戦前はよく出会いの場となるパーティーなどが催されたそうです。言葉で苦労した一世たちは、二世である子供たちに英語で話せるよう教育に力を入れました。が、同時に、日本語や日本的な精神も受け継いでほしかったので、家庭内では日本語を話し、日本語学校にも通わせたそうです。

しかし、二世の人たちが育っていく過程で、第二次世界大戦が起きました。そして、カナダでもアメリカでも、日系人は強制収容所に収容されることになり、住み慣れた家や土地を離れなければならなかったのです。

日系人は二世たちが生まれた国への忠誠を表すため、進んで軍隊に志願したりしました。あえて日本語を学ばせることをやめ、二世の人たちは自分たちの子供、つまり三世には日本語を教えなかったとも聞いています。カナダでは、戦後も、徒党を組んで何かを企てているとの疑いをかけられないように、戦前は賑わっていた日本人街を再建することはせず、みなバラバラに住むようになったとも聞きました。

伝えたかった“日本”

そのような事態を、スコットさんのおじいさんとおばあさんも体験していらっしゃるのです。お2人は日本語が話せますが、三世であるお父さんは話せません。これは私の想像ですが、そこには教えたくても教えられなかった歴史があったのではないかと思いました。

現在82歳のおじいさんは、10代後半に強制収容所での生活を経験します。おじいさんのお母さんは、再会を願っていた長男への手紙を書き、その2日後に亡くなりますが(詳しくは第16話 「ルーツをたどる旅 [2] …届かなかった手紙」へ)、それはすべて強制収容所の中での出来事だったそうです。あの手紙は、スパイ容疑がかかる可能性があるため、強制収容所からは出せなかったのではないでしょうか。

戦争が終わっても、状況はそうすぐに変わるわけではありません。子供たちに日本語は教えられない、それは我慢しなければならない。その代わりにおじいさんが伝えたのが、日本の食文化だったのではないかと思うのです。

中でも梅干しは“母の味”とも重なる郷愁の味です。おじいさんが大切にしていたレシピには、そんな想いが込められていたのではないかと感じました。


おじいさんの想いは伝わっていくのでしょうか……