こんなことちょっと知りたかった、そんな中国茶TIPS、取り上げてみます。

その第一回目は、中国茶の「」の単位。是非覚えておいてください。




▼ 中国の度量衡
皆さんもご存知の通り、中国の歴史を紐解くと、様々な王朝が早くから国土の統一を目指して来ました。国土を統一し、政を統一するためには、その王朝共通に使用される統一規格は書かせません。その代表的なものが、「長さ」、「体積」、「質量」といった度量衡の統一です。

古代中国の度量衡は、秦の始皇帝が中国を統一したとき最初に統一されたと言われています。秦は紀元前350年に商鞅(しょうおう)という大臣が度量衡制度を大改革し、ますと分銅を使った度量衡を導入しました。始皇帝はそれを引き継いだといわれ、始皇帝の詔を刻んだ分銅が百数十個も各地で発見されています。またすでに紀元前五世紀にはとても精度の高い天秤が使われるようになったといわれています(中国における天秤の歴史はこれより1000年から2000年は遡るといわれています。)。

「漢書」律歴志(暦や法に関する歴史書)に初めて成文化された度量衡が現れますが、それは、黄鐘管(おうしきかん)という笛(黄鐘という鐘の音にあわせた律管を作ったところ、同じ長さになったことから、それを長さの単位としたとされます。)を使うという非常にユニークで科学的なものだったと言われます。笛の長さで「長さ」、笛に詰めることのできる秬黍(クロキビ)の量で「体積」と「質量」を図ったといわれています。

今回取り上げる中国茶の「量」の単位も、元をただすとこの笛の中に詰められた秬黍の重さにたどり着きます。笛一杯の秬黍の重さを12銖(しゅ)、その2倍を1両、16両を1斤、30斤を鈞(きん)、4鈞を1石(こく)という風に、重さの単位としても利用したのが現代にも継承された度量衡の「量」の単位だったわけです。

もっとも、時代の権力者の趣味により音律の好みに多少の違いがあって黄鐘管の音調の長さが変化したため、度量衡も変化したといわれます。漢の武帝の時代(265-290)に黄鐘管の長さに見直しが行われ、中国の最も権威ある度量衡が統一されたと言われています。

▼ 「斤(きん)」って?
よく中国茶を買う場合、台湾では「1斤3000元」というような表示を目にすることがあります。では、この斤って一体どんな単位なんでしょう。

これは中国、台湾の伝統的な度量衡の一つ「質量」を図る単位の一つです。漢の武帝の時代に標準的な質量が決定したことは先に触れましたが、さらに中国の文明が花開いた唐代に一斤がグラム法で換算した600g相当に定められたといわれています。

この度量衡の中でお茶の単位が「斤」を中心にされてきたのが何故なのか、実は良く分かりません。恐らく生産量が少なく貴重品だったお茶が専売制をとって市中に卸売りされるときに丁度適当な重量が「鈞(=1.8kg)」や「斤(600g)」だったのだと推測されます。

この重さの単位は中国を中心に各地に広がり、日本や韓国でも唐代の重さの単位がそのまま使われました。

その後も中国では、中央集権国家が多く成立したため、新しい王朝ができる度に度量衡の海底統一が行われていますが、「斤」に関しては基本的には600gを基準としてきたようです。しかし、中国では中華人民共和国が成立した後、「中国市制」と呼ばれる度量衡が採用されるようになりました。文化大革命の発想に繋がるのかもしれませんが、他の国の多くが「斤」を600gとして継承しているにも関わらず、本家の中国では、公制と呼ばれるメートル法や英国のポンド制などを勘案し過去の度量衡との整合性を見直した結果、「市斤」と表示された斤の目方は「一斤=500g=1.1023ポンド」に統一されたのです。

▼ 中国と台湾の「斤」の量
さて実は、とても戸惑うことに中国と台湾の「斤」の分量が違うのです。中国では上記のとおり「一斤=500g」で統一されています。では、台湾ではどうなっているのでしょうか?

これは日本にとても関係が深いのです。この「斤」という単位は、ご存知のように日本でも古くから使われていました。たとえば、今でも食パン一つを「一斤」と呼ぶ習慣が残っているご家庭もあるでしょう。

この「斤」という単位が使われる度量衡は、日本では唐からもたらされた度量衡を元に8世紀初頭に公定斤が制定されたことから始まったと言われています。重さのことを目(め)とも呼んでいたことから、日本では斤のことを唐目とも呼んでいました。その後、律令体制が崩壊するにつれ、いくつもの私的斤が登場しました。

斤(きん)はおおよその目安で言い表される単位だったようで絶対的な重さの単位とはなりませんでした。そのため、品目によって目方を異にする場合もありました。ちなみに先の食パンのような小麦製品は、渡来した英国の度量衡ポンドにあわせて一斤=120匁=453.56g(そのため英斤と呼ばれました。)とされていましたし、薬屋が使った大和目では180匁、山椒用は60匁、そして日本茶は200匁(750g)が一斤とされました。

しかし、日本では明治時代になると1891年(明治24)年に計量の単位や計量器について定めた「度量衡法」が成立して、欧米文化を積極的に導入する明治政府は基本的にはメートル法グラム法を採用しますが、すべてを切り替えるのではなく、従来の尺度である尺貫法も統一された上で併用されていました。

従来、基本となる度量衡「尺貫法」では、一斤は160匁(もんめ)=600gとされてきました。中国古来の一斤=600gに統一されたのが由来だといわれています。ちなみにこの「斤」という単位は、1951年(昭和26年)計量法が成立し「メートル法」や「グラム法」が採用されるまで使われたといわれています。

さて、長々と日本の度量衡を説明したのは、実は台湾と中国の度量衡が違うことの理由を説明するためなのです。何故なら、台湾では日本の植民地統治(1895-1945)に日本の度量衡の単位が導入され、従来から使われてきた「一斤=600g」という量がそのまま継承されたからなのです。長年中国で使われてきた度量衡、それを日本が統一度量衡として採用したわけで、それをその後見直す理由は全く見つからなかったというわけです。そのため、中国が一斤=500gとされたにもかかわらず、1斤=600gとされ、そのまま現在に至っています。

 ▼ 画像:天秤を使用するマーケットの人々 (とんでもとらべるより借用)



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