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中秋節にはお茶会を

中秋節。昔から中国では月餅でお月見をしてきました。中秋節の由来、月餅を供える理由、そして中秋節にあったお茶会のおはなしなど、徒然に綴ってみました。

執筆者:平田 公一

日中はまだまだ暑いのですが、朝晩はだいぶ涼しい風が吹くようになり、家の周辺の空き地や土手にもすすきが風に揺れている風景が見られるようになりました。秋といえば、十五夜のお月見。中秋の名月を見上げながら、お菓子とお茶で月見などいかがでしょうか。

月見と言えば、中国では月餅(げっぺい)を食べる習慣があります。今回は、中秋節や月餅、そしてお月見茶会のお茶などについて、徒然なるまに綴ってみました。♪

中秋節の由来

秋の澄み渡った空に大きく輝く月。古来日本でも中国でも、この時期には月を眺めてすごすという習慣がありました。

そもそも中秋は、中国の「嫦娥(じょうが)」の伝説にその由来が求められています。北京在住のぽんずさんのサイトから要約してみると、このお話は、太古に10個もあった太陽に苦しめられている人たちを助けるために、「后(こうげい)」という若者が弓で9個の太陽を打ち落としたところから始まります。英雄となった后[羽+廾]は、その後彼は嫦娥(じょうが)という美しい娘を嫁にもらいました。在る日、狩の帰りに后[羽+廾]は老人の道士に出会いました。道士は后[羽+廾]にすっかり感心し、不老不死の薬を与えました。しかし、后[羽+廾]は自分だけが不老不死になろうとは思わなかったので、家に帰り、嫦娥にそれをしまわせました。

その年の8月15日、后[羽+廾]が出かけている間に、彼が不老不死の薬を持っていることを知った悪党「蓬蒙(ほうもう)」が、嫦娥のところへ押し入り、不老不死の薬を出せと迫りましたが、彼女はその薬を取られまいと自分で飲んでしまいました。そのすると、段々身体が軽くなり、ついには月へと飛んでいってしまいました。

「嫦娥奔月」
(漢代の石に刻まれた月へ飛ぶ嫦娥:中国の切手)
狩から帰った后[羽+廾]は、侍女から事の次第を聞き、月を追いかけましたが、ついに月にはたどり着くことはできませんでした。それから后[羽+廾]は庭に嫦娥の好きだった果物をのせたテーブルを供え心やさしい嫦娥をしのびました。これが毎年続き、やがては世間にも伝わりていき、お月見の習慣へと結び付いていったのだそうです。(もっとも、嫦娥は、西王母(せいおうぼ)(中国の西方に住む女神)からもらい受けた不死の薬を、夫から盗んで飲み、仙女となって月宮(げっきゅう)(月にある宮殿)に逃げ込みヒキガエル(ガマ)になったという伝説もありますが、やはりロマンチックが一番ですから・・・。)

中国では、今でも月には「月娘娘」がいるといわれていますが、この嫦娥の伝説がベースになっているのでしょう。

さて、「中秋」は旧暦八月十五日のことを指しますが、本来は旧暦の八月をいい、七・八・九月を秋とし、それぞれを初秋・中秋・晩秋と呼んだことに由来しています。特に中秋十五日の満月の日を、八月節・中秋節と言いました。もちろん旧暦ですから、必ず9月の特定の日に中秋節が到来するわけでは在りません。ちなみに今年の中秋節は、10月1日になります。♪

【関連お勧めサイト】

ぽんずのページ TOP>北京歳時記>嫦娥のお話

「月とすすきの画像」はMoonlitさんの素材を使わせていただいています。
 



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