会津若松の老舗、満田屋は昔のまま |
1982年
夢にまで見た東京生活が始まったのは1982年のことだ。北海道の田舎町から出てきた私にとって東京は刺激的な街だった。当時は新宿や渋谷のディスコが全盛時代で、1000円も払えばワンドリンクと味のしないパスタなどが食べ放題だったことを思い出す。入学式の翌日から西永福の総菜屋さんで時給550円でアルバイトを開始。大学には午前中は行くものの、午後はクラスの友人達と麻雀に明け暮れる毎日だった。福西さんはその中でもほぼ毎日顔を合せる仲の友人だった。彼は爆宙が得意で、コンパでは酔うとくるりと「回転」し、みんなの中でもたいへんな人気者。会津若松出身のそんな彼の実家へ遊びに行ったのは入学してまだ間もない頃だった。上京してはじめての旅でもあったのだ。
老舗の味噌問屋「満田屋」の、みっちゃんの車に乗ってはじめて訪れた会津地方。五色沼や猪苗代の野口英世記念館、鶴ヶ城、武家屋敷、飯盛山のさざえ堂等などほぼすべての名所に連れて行ってもらったことはまるで昨日のようだ。
ゲートからホテルまでのアプローチも楽しい |
「ホテルプルミエール箕輪 リゾート&スパ」はバブルの頃に贅を尽くして建設されたホテルだ。その後いくつかのオーナーチェンジを経て今はソラーレホテルグループのリゾートホテルとして見事な再生を果たしている。