任天堂ゲーム/任天堂ゲーム関連情報

ゲームに「期待すること」アンケート

期待すること~「みんなで」「想像力」「いろいろ」

執筆者:川島 圭太

「みんなで楽しめるゲームを!」


自分だけの世界に陥ることのないように・・・ 投稿者:おおちゃん さん (女性/30代)
最近のゲームはリアルすぎて、子供たちが現実とゲームとの見境がつかなくなってきている気がして心配です。

ファミコンの良いところは皆が集まって、他の人のプレーをみて、次は自分が前の子の記録を抜いてやる!とわいわいがやがや遊べたところだと思うのですが、ゲームボーイが普及して、自分だけの世界に陥りやすくなったのも気になります。

ファミコンというのは名のごとくファミリーで楽しめるものだったはず。ファミコンミニは、ファミコンミニでゲームを懐かしむ大人向けとして位置づけ、子供向けにやはり昔のファミコンゲームをGameCubeなどで楽しめるように復活させて欲しいと思います。

人を切ったり、撃ったりというゲームより、謎解き要素の多いゲームや、記録を競うような単純なゲームを増やしてほしいと思います。

・・・◆・・・

ファミリーで楽しめるコンピュータ 投稿者:みつ さん (男性/20代)
リアルすぎてはまりすぎている人がたくさんいます。2人以上で出来るゲームが減ったのではないかなと思います。ゲームはみんなでやるから面白いのに、こもってやってしまうゲームのほうが多いですね。

ファミリーコンピュータはその名のとおり家族のコンピュータであったのに対し今はゲーマーのゲーム機になっているのではないかと感じました。

・・・◆・・・

人と人の「つながり」を大切に! 投稿者:こもも さん (女性/20代)
最近オンラインゲームが注目されていますが、やっぱり友達の家にみんなで集まってワイワイ遊ぶゲームが楽しいです。

もちろんオンラインゲームも、遠く離れた人たちと一緒に遊ぶことができて非常に魅力的です(私もハマっています)が、料金やインフラの整備などまだまだ敷居が高いですし、一つのゲーム機にいくつものコントローラをつないで目に見える仲間たちと一緒に遊べるようなゲームには、オンラインゲームとはまた違う魅力があると思います。どちらかに偏るということなく、オンラインゲームもパッケージゲームもバランス良く、それぞれの特性を活かした作品がどんどん出てきて欲しいと思います。

GCとGBAをつなげて楽しむ“コネクティビティ“って、人と人の「つながり」も大切にしてくれていると思います。ガンバレ、任天堂!

「想像力をかきたてるゲームを!」


設定が決められすぎていて・・・ 投稿者:りんどう さん (男性/20代)
事細かにキャラ設定やら時代背景が決められすぎていて(キャラの趣味特技なんて必要ないだろう)、自分達の想像力をかきたてるようなゲームが少ないと思います。最近の子供はあまり想像力が逞しくないみたいで、設定がきちんとしていないと面白くないみたいです。

あと、皆で家に集まってワイワイできるゲームってほとんどないですよね。あってもネットワーク対戦とかで。そういう事を含めても、任天堂大好きです。

・・・◆・・・

想像で、より楽しめた 投稿者:だいっけ さん (男性/20代)
グラフィックが良くなったのはいい事だけど、想像力が膨らむような事が無くなった。ファミコンの時代はゲーム画面が汚いお陰で、「本当はこんな感じだろうなぁ」と想像してより楽しめた。

今のゲームは「観せる」事が主体なのでゲームで遊ぶと言うよりはエンディングの為に「流すだけ」の感じがする。

・・・◆・・・

まるで、現在の世相を現しているような・・・ 投稿者:ARK(officeARK) さん (男性/30代)
決して豪華ではないグラフィックとサウンド。しかし、足りない情報は頭の中で補完し、いわば小説を読むかのような楽しみがあった。また、メーカーから与えられたゲームに対して、正面から向き合う素直で純粋無垢なファミっ子が、ゲーム文化を育て、盛り上げていったのだと思う。

最近のゲームは、手を動かして参加する部分が少なく、困難に立ち向かい、努力して次に進むという積み上げる楽しさがない。またユーザー側に新しい遊びを発見するようなスタンスもない。ゲームを通して、得られるコミュニケーションも昔ほどではない。

まるで現在の世相を現しているような気がしてならない。

・・・◆・・・

物が溢れて大切なものを見失っている 投稿者:Sumi さん (女性/30代)
昔のゲームも話は一本道で同じだと思いますが、何故か最近のゲームは「やらされている」感が強い気がします。画像も音楽も素晴らしいゲームは沢山ありますが、そうした外部からの「与えられた情報」はプレイする側の想像力を消失させてしまう、考える・イメージしようとする機会すら無いままゲームが進行して終わってしまう、たまにそんな風に考える時があります。

ファミコン時代のドット絵は華やかさに欠けますが、顔も判らない分(付属のガイドブックにはイラストがありますが)自分で好きなようにイメージを膨らませて楽しめた気がします。

話でいうと最近のゲームは「感動させよう感動させよう」という作り手さん側の気負いの大きさ(?)が伝わってきますね。昔に比べてゲーム数・種類共に増え、どれも類似している。だからちょっとでも変わった・突出した目立つ作品を作ろうと意気込んでしまうからなのかもしれませんが、肝心の「プレイヤー」だけが置いてきぼりにされているような気がするのは考えすぎなのでしょうか・・・?分厚い取り扱い説明書がなんとなくファミコン時代のゲームと対極に位置する昨今のゲームの姿と重なります。

もちろん最近のゲームも好きでよくプレイします。ただ、なんて言うのでしょうか、たくさんありすぎてどれも印象深く残るものがすぐ口頭に出てきません(そんなにたくさんゲームはしていませんが)。

昔の方が選択肢が少ない分、また値段も張る分大事にやり込んでいたかと思います。だからきっと今でも鮮明に覚えているのでしょうね。なんだかまるで現在の物が溢れて大切なものを見失っている、それと同じなのでしょうね。

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