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ブルースとは何か:文化として、音楽としてのジャズ用語

「言葉」と「音」をより密接に結びつけるガイド流ジャズ用語解説。音楽をより深く、広く楽しむために。今回は「ブルース」(blues)を徹底解説。アメリカでの黒人差別から生まれたとされる、ブルースとは何か。その意味を、文化面と音楽面から解説します。

執筆者:鳥居 直介

ジャズ用語、「ブルース」

ブルースとは一体何?

ブルースとは一体何?

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とっつきにくいジャズ用語をわかりやすく解説。その言葉に含まれている様々なエッセンスを知り、それが指し示す音楽を楽しむための用語解説シリーズ『「言葉」と「音」をつなげる ガイド流ジャズ用語解説』。今回はブルース(blues;英語の発音では「ブルーズ」のほうが近いのですが、ここでは一般に流布している表記である「ブルース」を採用します)を解説します。
 

ブルースとは? 言葉の持つ「2つの意味」

ジャズ用語としてのブルースには、大きく分けて2つの意味があります。1つは音楽理論用語、「楽理としてのブルース」。もう1つは、生き方、精神など、ある種の魂のあり方を表現する「文化としてのブルース」。1つの言葉である以上、この2つの意味は重なり合っていますが、この2つをしっかりと区別して理解することはジャズを聴き、演奏して楽しむ際には重要なことだと私は思います。

 

ブルースという音楽の誕生

ブルースが音楽史の正史に登場するのは19世紀末のこと。もちろん、ブルース前史としての、「ブルースらしきもの」の系譜はそれこそ果てしなく辿ることが可能です。実際、ブルースやジャズについては、「アフリカ黒人が奴隷として大陸に連れてこられて、白人の音楽と融合してできた音楽」といった説明がなされがちです。

例えば、奴隷船や農場で黒人たちが歌っていた「ハラー」と呼ばれる歌には、コール&レスポンスや平均律に収まらない独特の節回し(=ブルーノートらしきもの)など、今日のブルースに通じる音楽的要素が多く含まれていたという記録も残っています。

ただ、こういった「起源辿りゲーム」にはキリがないのも確か。特に、「楽理としてのブルース」に関しては、録音による記録が存在する20世紀以前については確定的なことは何一ついえないでしょう。

ここでは、ひとまず「文化としてのブルース」の誕生を1860年代に求めることにします。なぜならこの時期、少なくとも「文化としてのブルース」の形成に大きく寄与する歴史的出来事があったからです。それは、アメリカ史上最大の内戦、南北戦争です。
 

ブルース前史~南北戦争と奴隷制度

南北戦争が起こったのは1861~1865年のこと。南北戦争と奴隷制度の関連については、奴隷制を維持したい南部諸州と反対する北部諸州との対立から勃発、最終的には北部諸州が勝利を収め、黒人奴隷は解放される、という説明が一般的です。

しかし、ここで忘れてはならないことは奴隷解放がそのまま黒人の人権保証につながったわけではない、ということです。むしろ、今日私たちがイメージするいわゆる「黒人差別」「人種差別」はこの時にスタートしたといっていいでしょう。

奴隷解放は、労働市場に安価な黒人労働力を送り込みました(北部諸州にとっての奴隷解放の主たる目的は流動的な労働力の確保であったとされていますから、これは当然の帰結です)。畢竟、職にあぶれた白人青年たちの不満、あるいは危機感は、「解放」された黒人に向かうことになります。

南部に駐留していた北軍が撤退するや、南部諸州では黒人が私的・公的に追い詰められます。1883年には最高裁が黒人への公民権保証を「憲法違反」と断じ、また90年以降、黒人の権利・権力を制限する州憲法が南部諸州で次々に定められました。

人間ですらなかった「黒人」が、南北戦争を経て「人間」として認知されるや、差別・リンチがスタートする。この時、黒人は白人にとって「愛すべき財産(=奴隷)」から「恐るべき競争相手」となったのです。とりわけ黒人が持つ肉体的・性的なポテンシャルは過剰に白人社会において脅威と見られるようになりました。

奴隷解放宣言は1862年、アメリカで公民権運動が盛り上がりを見せるのが1950年代のことですから、あしかけ1世紀近くの間、黒人への差別・リンチは行われたことになります。そしてまさにこの100年の間に、ジャズをはじめとする黒人音楽の原型のほとんどが完成するのです。

黒人たちは自らのおかれた理不尽な境遇を歌に託します。どこにも出口がないように見える絶望的な状況、どん底に置かれた人間が見出す救いとはどのようなものなのか。ブルースとは、その答えの1つなのだと私は考えています。では、彼らはいったいどのように歌ったのでしょうか。
 

悲しさを明るさに乗せて

抑圧された黒人たちが、どん底で産み出した音楽・ブルース。しかし、だからといってそこに単純な「悲しさ」「つらさ」が歌われているわけではありません。ブルースで歌われる詞の多くは悲しみというよりは愚痴であり、その表現はそれまでの西洋音楽(=クラシック)が表現してきたストレートな「悲哀」とは異質な、力強く、陽気さすらうかがわせるものでした。悲しさと明るさ。我々には対極に思える感情が同居するのがブルースの表現の特徴です。そしてそれこそが、苛酷な状況の中で黒人たちがつかみとった表現手段だったのです。

例えば1950年代以降、半世紀にわたって活躍を続けるブルースメンであるアルバート・コリンズ(Albert Collins)はオーバーオールのジーンズに水玉のシャツという奇矯ないでたちで、吹き出しそうなくらい「ベタ」なギターソロを展開します。
『アイス・ピッキン』
アルバート・コリンズ『アイス・ピッキン』
1978年作品。アリゲーターレーベルから出したアルバート・コリンズの代表作の1つ。冒頭から狂乱のギタープレイが楽しめる。


彼のライブに訪れたお客さんは誰1人として悲しそうな顔をしていません。ステージの上のコリンズはもちろん、サイドメンも皆にこやかに演奏しています。しかしながら、彼こそが「ブルース」であることを否定する人はいないでしょう。

「ブルースメンは楽しそうに歌う」。このことは、文化としてのブルースを理解するうえで重要であるのはもちろんのこと、「楽理としてのブルース」を理解するうえでも非常に重要です。
 

ギターヒーローの系譜 音楽が個人のものになった時

ブルースミュージックがアメリカ音楽、ひいては文化に残した、(あまり指摘されることのない)もう1つの功績は、ギター・ヒーローの系譜を形成したことだと私は考えています。ブルースの歴史をひもとくと、アコースティックギターを独自の技法で演奏しつつ、自作の詞を歌い上げる、多くのブルースメンに行き着くことになります。

Big Bill Broonzy、Robert Johnson、Lonnie Johnsonら、初期のブルースメンに共通することは、非常に個人的な感情を詞に乗せたこと、さらには、自らをスター、タレントと自認していた点です。

名詩人として名高いRobert Johnsonの詞にはボブ・ディランをはじめ、多くのアーティストが高い評価を与えています。

自ら詞や曲を書き、ギターを弾き、歌う。今日では当たり前のことのようですが、彼らのような総合的な音楽表現者が登場したのは歴史上、この時が初めてといっても過言ではありません。もちろん、ストリートミュージックの歴史は「裏の歴史」ですので真実は闇の中ではありますが、少なくともエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリクス、ジェフ・ベックらへと連なる「ギター・ヒーロー」の系譜の源流がこのあたりにあったことは確かだろうと思います。

アメリカ黒人の抑圧の歴史と、個人的な感情を音楽芸術に昇華するギター・ヒーローの誕生。この2つの歴史的事実を結びつける実証作業は今の私の力の及ぶところではありません。とりあえず私に言えることは、ブルースは、その誕生の瞬間から近代的な自我の確立、引いては音楽を自己表現の手段となすようなあり方への志向性をはらんでいた、ということだけです。

この志向性がジャズの世界に色濃く受け継がれたことはあえて指摘するまでもないでしょう。マイルスやモンク、ミンガス、コルトレーン、オーネット・コールマンといったミュージシャンに見られる徹底した自己表現へのこだわり、Only Oneであることへの情熱は、モダンジャズが文字通り「modern=近代」の産物であったことを物語っていると思います。そのルーツにはブルースがあったと考えることは、それほど無謀ではないと私は考えています。
 
「彼の演奏にはブルースがある」「やつは本当のブルースメンだ」と言う時、ブルースという言葉が指し示すのは、文化的な意味合いがほとんどです。つまり、非常に個人的な感情、悲哀のようなものをあくまで力強く、明るく歌い込むという姿勢があれば、それがヴォーカルであれギターであれ、どのような曲であれ編成であれ、「そこにブルースがある」ということになるわけです。

しかし一方で、「ブルース」という言葉には音楽理論用語としての側面も厳として存在します。そしてこちらの側面でも、ブルースは西洋音楽理論体系に文字通りの「ビッグバン」を与えたのでした。
 

喜びの長調、悲しみの短調。そしてブルース

それまでの西洋音楽の多くは長調と短調という、2つの調性にしたがって構築されるものと考えられてきました。もちろん民謡や無調性音楽をはじめ、例外はあるのですが、ここではひとまず大雑把にそのように規定することにします。
譜例1「長音階」
譜例1「長音階」
keyがCの場合の長音階。
長調というのは、譜例1のような、いわゆる「ドレミファソラシド」の音階のことであり、短調というのは譜例2のような「ドレミbファソラbシbド」という音階にしたがった音楽のことです。
譜例2「短音階」
譜例2「短音階」
keyがCの場合の短音階。譜例はC Natural Minorと呼ばれるもの。このほかMerodic、Harmonicなど、合わせて3種類の短音階がある。
こういった基本となる音階=調性の範囲内で和音と旋律を作る、というのがそれまでの音楽の基本ルールで、基本的にはこのことは、現在のポップミュージックにおいても守られています。このルールに従っている限り、私たちの耳は伴奏やメロディが「合っている」と感じるし、ルールを破っていると「合っていない」「気持ち悪い」と感じることになっています。

譜例3は調性にしたがった音楽の典型例です。臨時記号の♯が登場している部分は一時的な転調箇所であり、旋律と和音を縦に見ていった時には、その都度の調性から外れた音は使われていないことがわかります。
譜例3「調性に従った音楽の例」
譜例3「調性に従った音楽の例」
Fly me to the moon(Bar Howard作/Key=C)の前半部。全体にKey=Cの長調で作られた楽曲(和声は便宜上、簡略化しています)。譜中、赤丸で示したところは臨時記号が登場しているが、旋律と和声が同時に変化しているため、不協和を起こしたり、調性感を失うことはない。典型的な調性音楽である。

ところが、ブルースはこのルールを破壊します。譜例4は典型的なブルースの音使いですが、和音が長調(ドミソ)を弾いている時に、旋律がミbソbシbなどの音を使っています。

 
譜例4「ブルース」
譜例4「ブルース」
Walkin'(Richard Carpenter作/Key=C)の冒頭2小節(原曲はKey=Fですが、説明のためにKey=Cに転調しています。また、和声も便宜上簡略化して書いています)。譜中、赤丸で示したところがブルーノート。和声との対応関係に注目。

こうしたミb、ソb、シbを含んだ音階はブルーノートと呼ばれており、これを調性に制約されず、自由に楽曲の中で用いるということが、ブルースが持つ大きな楽理的特徴の1つです。ブルースの楽理的特徴には、ほかにも12小節のドミナント7thのみの3コード進行であるとか、リズム、節回しなど、さまざまなものがありますが、「ブルーノートの発見」が音楽史的には一番大きな出来事だったのではないか、と私は考えています。
 

ブルーノートに託された「ブルース」

西洋音楽では基本的に、ドレミファソラシドの「長音階」は明るい、「喜び」のイメージを表わし、ドレミbファソラbシbドの「短音階」は暗い、「悲しみ」のイメージを持つものとされています。

しかし、ブルースでは、短音階を含んだブルーノートが、調性と無関係に登場します。長音階で構成されたドミソ、ファラドなどの和音の上に、ミbソbシbといった短音階で用いられるメロディを重ねるという発想は、それまでの西洋音楽には存在しませんでした。これ以上楽理的に踏み込んだ説明を行うことは私の能力を超えてしまうので控えますが、この後、ブルーノートを用いた音楽が、商業音楽を中心に世界中に広がることになったことは紛れもない事実です。

なかでもジャズは、同じアメリカ黒人が牽引した音楽でもあり、ブルースとは兄弟関係にあるといってもよい間柄です。ジャズの理論的側面は、それまでの西洋音楽理論の蓄積と、楽理としてのブルースとの「すりあわせ」の中で成熟しました(ジャズ演奏、特に「アドリヴ」は、そのすりあわせ作業の「実践的検証」作業でもあったのです)が、ブルーノートも同様にジャズの中に消化され、あらゆる楽曲で効果的に用いられるジャズ理論の1つとなりました。ですから、まったくブルースではない曲の演奏においても、ジャズではしばしばブルーノートが登場します。

長音階上に載った短音階(ブルーノートは厳密には短音階ではありませんが便宜的にこう説明することにします)。そして、悲哀を力強く、明るく歌い上げるブルースの文化的側面。ブルースが持つ楽理的側面と文化的側面の関係性、アナロジーには、実証的な根拠は何1つありません。しかし、関係性がないと考えることが困難なぐらい、この2つの「形」が似ているということに気づかれると思います。

悲しみと喜び、長調と短調、さまざまな二項対立を包含するブルースは、紛れもなく「近代」の産物でありながら、「近代」を解体する力を内包しているように思えます。ブルースのことを考えると、悲しみと喜び、長調と短調が、もともとは1つのものだったという、「失われた記憶」に近接できるような錯覚すら、私は覚えます。そして、ブルースや、ブルースの影響を受けた音楽が、多くの現代人の耳を捉えて離さないという事実(ロックはもちろん、今やJ-POPですらブルーノートを使用しない楽曲のほうが少ないくらいです)に、私は不思議な心地よさを感じないわけにはいかないのです。

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●参考文献
菊地成孔, 大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編』
→新たなモダン・ジャズの音楽理論的位置づけを探求。
ポール・オリヴァー (著), 米口 胡 (翻訳)『ブルースの歴史』
→音楽研究の大家、ポール・オリヴァーの古典的名著。豊富な歴史・民俗学的資料からブルースの歴史を探求している。研究者向け。
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