ジャズとファンクの違いって?
ジャズとファンクの違いとは?
ジャズと他の音楽の違い第五弾は、検索でよく見かける「ジャズ」と「ファンク」の違いがテーマ。はたして違いはあるのか?3つのキーワードで、誰にでもわかるように説明いたします。
<目次>
その1:ジャズは鑑賞するもの、ファンクは踊るためのもの
一部のジャズを除いて、ジャズは鑑賞のための音楽です。(例外については、「ジャズで踊る スウィングからアシッド・ジャズまで」参照)そして、ファンクは踊るための音楽、つまりはダンス音楽です。この違いは大きいです。鑑賞にたえるためジャズは、音楽の構造自体や、コード進行、構成がどんどん複雑化しています。ダンス音楽であるファンクは一発ものと言われているように、同じことを繰り返し、音楽自体が簡素化しています。
ジャズは、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらによって、ビ・バップが生まれ、それまでのダンス音楽としての機能を一切捨て去ることになりました。スウィング・ジャズからモダン・ジャズに変わることによって鑑賞のための音楽になったのです。
そのため、次のダンス音楽が、ロックやソウルに取って代わられました。そして、50年代の後半になって、ソウル畑から一人の天才ヴォーカリスト&パフォーマーが現れます。ジェームズ・ブラウンです。このジェームズ・ブラウンによって、ファンクが生まれました。
ジェームズがやったことは、ジャズやブルースで使われていたセブンス・コードを用いて、そのコード内で延々と同じパターンで繰り返し、ダンスの興奮度を高めるという手法。そして、そのいわゆる一発ものと言われるパターンの中で、自らがマッシュポテトと呼ばれたダンスをステージで踊り、聴く者を踊らせたのです。それが、「ファンク」の始まりとなりました。
つまりは、ジャズは鑑賞のための音楽、ファンクは踊るための音楽。ここが大きく違います。
ライヴ・イン・パリ ‘71
ジェームズ・ブラウン「ライブ・イン・パリ’71」より「イントロ~ブラザー・ラップ」
ジェームズ・ブラウンのライブはさながらダンス・ショーです。それは観客を踊らせるためにジェームズ本人が一所懸命に踊って見せる踊りの祭典です。
ジェームズの自伝によると、ジェームズは、ライブに限らずレコーディングにおいても、曲をその曲ごとに終わらせるのではなく、続けて演奏することにこだわりました。そのためにレコード会社の社長と毎回のようにもめるのですが、ジェームズはその考えを曲げることはありませんでした。
それはひとえに、際限ないダンスの興奮を最大級に盛り上げることを目的としていたからです。このライブでもその特徴は十分に発揮されています。
出だしのイントロからファンキー・ミュージックは始まっています。有名なジェームズへの司会役の呼び出しからライブは始まります。大歓声の中、ステージに登場したジェームズの掛け声から「ブラザー・ラップ」が始まります。この地底から湧き上がってくるような重量級のビートには、聴くほどに興奮し、体を動かさずにはおられません。
そしてこのパリ・ライブは、この後ジェームズの後を継ぎ、ファンク界の大立者になるベーシストの「ブーツィ・コリンズ」の若き日の演奏でも有名なものです。これぞ、ファンク・ビートと言える名演を聴かせてくれます。
その2:ジャズは4ビート、ファンクは16ビート
ジャズとファンクとでは、リズムが違います。ジャズは色々なリズムの曲がありますが、いわゆるモダン・ジャズと呼ばれているものは、4ビートが基本。4ビートとは、1小節に4つの音で構成されている音楽のことで、つまりは小学校で四分の四拍子と習ったあれです。ジャズでは、ベースの音に注目して聴いてみると、4つ弾いているものが多く、そこだけは、わかりやすくなっています。ただ、ジャズでの4ビートは、音の範囲が広いために正確に4つに刻むのではなく、それぞれの楽器のリズムのとり方にゆらぎがあります。そしてそれが相まって、スウィングと呼ばれるジャズ独特のノリを生んでいます。
一方ファンクは16ビート。これは、1小節に16個の音が入る非常に細かいリズムです。そのために、リズムがゆらぎにくく、正確に刻まれダンスにもってこいのリズムと言えます。70年代に流行ったダンス音楽、「ディスコ」もみな16ビートでした。そういう意味では、ファンクは、大きな意味でのディスコの一種類とも言えます。
Magnifique! The Very Best of Chic
これがファンク系ディスコ!「シック」の「おしゃれフリーク」
シックは、70年代後半に活躍したファンク系のディスコ・バンド。79年に発表したこの「おしゃれフリーク」はディスコを代表する名曲といえます。
ディスコとは、つまりはアシッド・ジャズと同じで、ディスコと呼ばれる踊るための場所でかけられる曲の総称です。ですから、そこでDJによってかけられるものは、ソウル系であれロック系であれ、ファンク系であれすべてはディスコと言うわけです。でも、そのダンスとの相性からファンク系が一番ディスコとしてなじんだというわけです。
その代表なのがこのシックによる全米NO.1ヒットとなった「おしゃれフリーク」。この曲の原題は「Le Freak(ラ・フリーク)」。それが邦題で「おしゃれフリーク」となったように日本でも大ヒット。当時のディスコ・ブームをけん引しました。
一方、最大級のダンス音楽・バンドだったファンクの創始者ともいえるジェームズ・ブラウンのバンドですが、実はこの世界的なディスコ・ブームには乗れませんでした。それは、意外でもあり、皮肉な結果とも言えます。言ってみれば、ジェームズのファンク・ミュージックから、インストの部分を打ち込みにし、重厚なホーンセクションを軽やかなストリングスに変え、さらにポップなノリにしたものがディスコだったからです。
原因としては、ディスコにおいては踊ることを優先するために、曲が変わっても、同じようなリズムを同じようなテンポで流れるのがよしとされたことが挙げられます。ジェームズの音楽は、ディスコにはあまりに激しすぎたのかもしれません。ジェームズ自身もディスコは嫌いだとはっきり言っています。
いずれにしても、ジェームズはディスコ時代の数年間を不遇に過ごしましたが、80年代に入って、「ブルース・ブラザーズ」の映画で取り上げられ復活を果たします。
その当時のジェームズがまだまだ誰にも負けないファンクの帝王だったと知ることができるDVDがこれです。当時の音楽界のスーパースターを迎え、余裕の帝王ぶりを発揮するジェームズがカッコイイ名盤です。
ジェームス・ブラウン ソウルセッション 1987 [DVD]
「ソウル・セッション・1987」より「プリーズ・プリーズ・プリーズ」
自身もシャウトすることで有名なソウル・シンガーのウィルソン・ピケットが一緒に歌うジェームズの曲の歌詞を渡されたエピソードを語っています。歌詞を見たら、「ナウ・ナウ・ナウ!ヒットイット・ヒットイット・ヒットイット!、なんだこれって思ったよ(笑)」
そして、メイン・ゲストである「クイーン・オブ・ソウル」と呼ばれるアレサ・フランクリンは、ジェームズと初めての共演と言っています。ジェームズの自伝では、「アレサはガールフレンドだったことがある」と言っています。どちらが本当なのでしょうか。
アレサとジェームズがデュエットする「プリーズ・プリーズ・プリーズ」では、「アイ・ラブ・ユー!」「イエー!」と掛け合う二人にどうしても意味深な大人の関係を感じてしまいます。
いずれにしても、参加した大スターたちが皆「ソウルの神様」「ファンクの帝王」ジェームズをリスペクトしているのが観ている方にもストレートに伝わるDVDになっています。
その3:ジャズとファンクが一緒になった、「ジャズ・ファンク」
ジャズは、ニューオリンズで生まれた当時から、色々な音楽と融合して形を変えてきたのが特徴です。ラテンと出会いラテン・ジャズが、ロックと出会いジャズ・ロックが、ボサノヴァと出会えばジャズ・ボサがというように、両者の良いところを融合させて大きくなった音楽と言えます。ファンクとも、もちろん融合しました。ジャズ・ファンクと呼ばれるジャンルは、60年代になって、オルガンやギターが中心となって多く現れました。でも、これという決定盤が出ずに、どちらかというとマイナーなジャンルでした。
そこに、70年代に入り一人の大物ジャズマンが参加します。ジャズの帝王と呼ばれたトランペッターの「マイルス・デイヴィス」です。
1969年にフュージョンの先駆けと言われた「ビッチェズ・ブリュー」を発表し、時代の先端を行っていたマイルスが次に着目したのが、ファンクでした。
当時のファンクは、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンに代表されるようにロックからの影響が強く、そこにロックの大スターで早逝したジミ・ヘンドリックスからの影響や、当時のダンス文化、流行っていたインド・ミュージックなどをミックス。それをジャズ・ファンクに掛け合わせたアイディアで、1972年に発表されたのが「オン・ザ・コーナー」というアルバムです。
On the Corner
マイルス・デイヴィスマイルス・デイヴィス「オン・ザ・コーナー」より「ブラック・サテン」
ジャズの帝王と呼ばれたマイルス・デイヴィスも、ファンクにはもちろん敏感でした。スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンやジェームズ・ブラウンを一頃はずっと聴いていたと自伝にもあります。そして、そのファンク熱が高まり、作品として発表されたのが、このジャズ・ファンク・アルバムの「オン・ザ・コーナー」でした。
このアルバムは、そんなマイルスの思いに反して、売れないアルバムの一つになってしまいました。マイルス自身も自伝で、売れなくてイラつくと言っているほどです。
その理由の一つには、この時代が踊れる音楽至上の時代だったということが言えます。時代は、これからディスコに入ります。つまりは、音楽性うんぬんよりも、踊って楽しい音楽。それが最も強く求められる時代になったのです。
そのため、音楽的にへヴィーなものよりも、耳触りが良くて、リズムが強調されている音楽が、好まれました。そして、結果としてジェームズ・ブラウンやマイルス・デイヴィスの音楽は、時代には重すぎるとして、むしろ敬遠されてしまったのです。
確かに、今このアルバムを聴いてみると、マイルスのこだわりが逆に作用して、へヴィーなアルバムになっています。ファンクは踊るための音楽です。そのため、音楽としてはむしろ簡単でわかりやすい方が受ける傾向がありました。マイルスのファンクは踊るには音楽的に難しすぎたのです。
その上、当時の流行だったインドのテイスト、タブラ(インドの打楽器)やシタール(インドの弦楽器)の存在は、賛否が分かれるところではあります。しかし今聴くと、このアルバムの面白さや、マイルスの意図は聴いている我々に伝わってくる気がします。もしかしたらそれは、発表から40年以上たった今だからわかることなのかもしれません。
当時においても、このインド音楽への直接的な接触は、ジャズ界の常にメジャー路線をひた走ってきたマイルスを初めてマイナーにしました。それでも、この作品の価値は、下がることはありません。今になっては、聴けば聴くほどに味わいのある不思議な世界観です。数多いマイルスの傑作の中の一つで、この後に続くウェザー・リポートにもつながるマイルスの重要な作品と言えます。
ジャズ・ファンクの隠れ名盤はこれだ!
ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト
キング・カーティス 「ライブ・アット・フィルモア・ウェスト」より「メンフィス・ソウル・シチュー」
キング・カーティスというと唄伴やスタジオ・ワークが多いポップなミュージシャンと言うイメージがあります。その上、これからという時に、早逝したために残された作品からは、全体像が見えてこない面も確かにあります。それでも、この「ライブ・アット・フィルモア・ウェスト」は、そんな印象をきれいに吹き飛ばしてしまうほど強力な魅力を持った、おススメのジャズ・ファンク隠れ名盤です。
メンバー紹介から始まる「メンフィス・ソウル・シチュー」のカッコよさ。ジェリー・ジェモットのパターン化されたベースとバーナード・パーディーの16ビートを代表するかのようなキレとパンチのあるドラミング。ロック的なギターのサウンドとパーカッションの参加、唸るホーン・セクションとオルガン。そして、キングのファンキーなサックス。これぞジャズ・ファンクといった名演です。
会場のフィルモア・ウェストはサンフランシスコにあった、ロックの殿堂としても有名な場所。多くのロック系、そしてジャズ系の名盤がここのライブから生まれています。
このアルバムは、まさに会場の興奮が直に伝わり、聴いているだけで体が動いてしまいます。このキング・カーティスのライブに参加できた人は、さぞかし踊りまくったことでしょう。キング・カーティスは、多くの才能を抱えたまま、このすぐ後に暴漢のナイフで命をなくしてしまいます。
この「アット・フィルモア・ウェスト」は、惜しまれて早逝したキング・カーティスの代表作と言うだけではなく、後世にまで残るジャズ・ファンクの名盤と言えます。
今回の「ジャズ」と「ファンク」の違いはいかがでしたか?この他にも何か違いを知りたいものがあったら、ぜひお知らせください。
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