破壊されたドブロブニクと奇跡の再建

スルジ山から眺めたドブロブニク

スルジ山から眺めたドブロブニク。1991年12月6日、ユーゴスラビア連邦軍は山から2,000発もの砲弾を町に撃ち込んだ

千年にわたって自由を守り抜いたドブロブニクだが、1806年、ナポレオンに降伏して元老院が解散。ナポレオン失脚後の1814年にはオーストリア=ハンガリーの二重帝国に組み込まれてついに自治は終焉を迎える。第一次世界大戦後にはユーゴスラビア領となり、「理想の社会主義国」と呼ばれて繁栄する。

そして1991年のクロアチア独立。6月25日に独立を宣言するとユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに侵入、ドブロブニクは数千発の砲弾にさらされて街の70%が破壊された。

1979年に世界遺産登録されていたドブロブニクだが、ユネスコはこのクロアチア内紛を受けて1991年に危機遺産リストに記載。1995年に戦争が終結するとユネスコの支援によって世界中からボランティアが集まって街を修復し、屋根や彫刻・レリーフが建築当時と同じ素材・工法・意匠で再建されると、1998年には危機遺産リストから解除され、アドリア海の真珠はふたたびその美しさを取り戻した。 

世界最先端を誇った古都ドブロブニク

オノフリオの噴水

オノフリオの噴水。1438年に造られた噴水で、この水はいまでも飲むことができる

街を見渡すと、その堅牢な造りに驚くことだろう。ドブロブニクが全盛を誇った15~16世紀、この街はまさに世界最先端の街だった。

ドブロブニクは、城壁内ですべてが完結するように設計された計画都市。背後にそびえるスルジ山の泉から水を引いたオノフリオの噴水はいまだきれいな水をたたえているし、上下水道も完備されている。公衆衛生も見事に整備され、市が清掃を管理したほか、早くから種痘を採用。フランシスコ修道院にある薬局はヨーロッパで3番目に古い薬局で、なんと1317年の創業だ。
石畳が美しいプラツァ通り

ツルツルピカピカの石畳が美しいプラツァ通り。石は隙間なく組まれており、建築水準の高さがうかがえる

学問や芸術を振興して美術学校や造船所、新聞所なども建築された。ヨーロッパ中に出かけていった貴族たちが最先端の文化を持ち帰ることでさらに街は洗練され、その反映は「スラブのアテネ」と呼ばれた。

そして街のランドマークとなっている時計台横にあるのが、政治の機能が集中したスポンザ宮殿。自由を愛したドブロブニクの人々は、独裁を極端に嫌ったため首長たる総督の在任期間はたったの4週間。この宮殿にこもり、旗に掲げられた通り、「私事を忘れ、つねに公共に心を配るべし」を実践したという。