破壊されたドブロブニクと奇跡の再建
スルジ山から眺めたドブロブニク。1991年12月6日、ユーゴスラビア連邦軍は山から2,000発もの砲弾を町に撃ち込んだ
そして1991年のクロアチア独立。6月25日に独立を宣言するとユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに侵入、ドブロブニクは数千発の砲弾にさらされて街の70%が破壊された。
1979年に世界遺産登録されていたドブロブニクだが、ユネスコはこのクロアチア内紛を受けて1991年に危機遺産リストに記載。1995年に戦争が終結するとユネスコの支援によって世界中からボランティアが集まって街を修復し、屋根や彫刻・レリーフが建築当時と同じ素材・工法・意匠で再建されると、1998年には危機遺産リストから解除され、アドリア海の真珠はふたたびその美しさを取り戻した。
世界最先端を誇った古都ドブロブニク
オノフリオの噴水。1438年に造られた噴水で、この水はいまでも飲むことができる
ドブロブニクは、城壁内ですべてが完結するように設計された計画都市。背後にそびえるスルジ山の泉から水を引いたオノフリオの噴水はいまだきれいな水をたたえているし、上下水道も完備されている。公衆衛生も見事に整備され、市が清掃を管理したほか、早くから種痘を採用。フランシスコ修道院にある薬局はヨーロッパで3番目に古い薬局で、なんと1317年の創業だ。
ツルツルピカピカの石畳が美しいプラツァ通り。石は隙間なく組まれており、建築水準の高さがうかがえる
そして街のランドマークとなっている時計台横にあるのが、政治の機能が集中したスポンザ宮殿。自由を愛したドブロブニクの人々は、独裁を極端に嫌ったため首長たる総督の在任期間はたったの4週間。この宮殿にこもり、旗に掲げられた通り、「私事を忘れ、つねに公共に心を配るべし」を実践したという。