リーダーにも、人気者にもなりたくない。輪郭を失いゆく子どもたち
日本青少年研究所の調査からは、日本の小学生の、もう一つ興味深い傾向も見えてきます。「どのような人間になりたいですか」という倫理道徳的な質問が並ぶ中で、「人の役に立つ人間になりたい」「努力する人間になりたい」「勇気のある人間になりたい」の項目において、「そう思う」を選択する子どもが中韓の小学生に比べて低いパーセンテージを示しています。また、現実に近い姿でも「勉強のできる子になりたい」「音楽や絵がうまいなど特徴のある子になりたい」「クラスのリーダーになりたい」「先生に好かれる子になりたい」「友だちから人気のある子になりたい」が、中韓の小学生よりも極めて低い結果となっています。
勉強はできなくてもいいから、絵が上手くなりたい、運動ができるようになりたい、人気者になりたい、という思考ではないようなのです。「友達をいっぱい持つ子になりたい」でさえも、中韓よりも低い。では個人主義なのかと思えば、「自分のことは自分で決めたい」わけでもなく、「自分が満足していれば人が何と言おうと気にならない」わけでもない。むしろ逆に「人が自分に対して言うことを気にする」のが50%以上と、他者からの視線を大変気にしている様子です。
もともと、こういった調査には断言を避ける日本人特有の「美徳」が作用しているとは言え、「~になりたい」という質問に対してあまりに「薄い」反応の羅列を見ると、「では、彼らは何になりたいのだろうか?」と疑問が湧いてきます。「何がしたいのか、何になりたいのか」が見えてこない。しかも、「何がしたく『ない』のか」も見えない。比較的はっきり主張する国民性の中国や韓国の小学生たちの陰で、日本の小学生はどんどん輪郭を薄めていっているような印象です。
友だちとの調和志向という「圧力」?
日本の小学生たちが求める友人像は、「一緒にいて楽し」く、「面白い人」で「優しい人」で「いろいろなゲームを持っている人」。中国の小学生が「勉強の出来る人」と友達になりたいと考えたり、韓国の小学生が「信頼でき」、「わたしのことをわかってくれる人」友達が好きと答えるのとは、少しカラーが異なるようです。日本人が集団として持っている価値観は、「裏の承認」だと言われます。集団の中から自分だけ飛び出して先生や大人に誉められ、認めてもらう「表の承認」よりも、友人や同僚と調和する「裏の承認」を重んじる国民性。
先生や親に誉められたいと思わないのは、小学生ながら「裏の承認」を重んじているからなのか。「一緒にいて楽しい人」というのは、みんな肩を並べて歩いて、自分だけ先に行ったりしない、自分に歩調を合わせてくれる、自分にストレスを与えない人なのか。
子どもたちの目は、教師にも、親にも向いていないのではないか。彼らは自分と同じ立場の「ともだち」を強く意識し、「ともだち」が自分をどう思うかを意識し、親よりも教師よりも「ともだち」の方に耳を傾けようとしているのではないか。しかし、子どもたちがお互いにこういった意識で行動しているのならば、それは「調和」という圧力となって、彼らを押さえつけてはいないでしょうか。
特別な努力をして、特別になりたいとは思わない。豊かな国に生まれ育つということは、こんなにも子どもの目的意識を希薄にするものなのだと教えられる調査結果でした。
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