10歳の節目に、母から娘へ伝えたいこと

10歳になる娘に母として伝えたいこと

10歳の娘に母として伝えたいこと
 

<目次>
2分の1成人式を知っていますか。あなたの学校にもあるかな。10年ほど前から、東京や近郊の小学校でも広く行われるようになりました。20歳の成人の半分、10歳を迎えた小学校4年生のみんなが、これまでの人生のふりかえりや将来の目標の発表、合唱などを交えて、先生や保護者と「よくここまで成長したね」とお祝いをする式です。

式自体は、する学校もしない学校もあります。以前はしていたけれども、この数年は学校の先生も忙しくなって2分の1成人式をやめてしまったという学校もあります。式があってもなくても、お母さんは、あなたがここまで10年すくすくと育ってくれたことを心から嬉しく思い、祝福しています。お母さんもまた、「あなたのお母さん歴10年」。あなたよりも少し早くから女のひととして生きてきて、泣いたり笑ったりしながら、いろいろなことを考えてきました。

10歳というちょうどいい節目に、お母さんから同じ女のひととしてあなたに伝えておいてもいいかな、伝えておきたいな、と思うことがあります。聞いてくれるかな。あ、ただね、お母さんも人間なので間違います。だからお母さんの言うことを全部真に受けなくていい。お母さんの言葉に囚われる必要はなくて、「あぁ、何か言ってるなーお母さん」と聞いて、頭の隅のどこかに「何か言ってたお母さん」の記憶が残るくらいでいいです。
 

1. 自分を好きになろう

自分のことは好きですか。どんなところが好きですか。テレビや雑誌を見てごらん。そこには沢山の女性が出ています。大抵は、とても綺麗だったり可愛かったり賢かったり、うわぁスゴいな、そんな風に思わせられるキラキラした女性ばっかりです。

それをまるで教科書のように思わなくていいの。女の子はあんな風に可愛くなきゃとか、ああいう服を着なきゃとか、スタイル良くなきゃとか、そうじゃなきゃひとに愛されない、なんて思わなくていいです。そのままでいいです。だって、お父さんもお母さんもあなたが何も持たずに生まれてきた時から、ただただずっとあなたの大ファンです。そこにいるだけで、モーレツに可愛い。いつまでも見つめていられる。子どもは、親にとって絶対的な魅力を持っているのよね。で、問題は外の世界よね。まずは自分が自分を愛していないと、ひとには愛されないの。自分をちゃんと愛している人が放つ光は、それだけで魅力なんです。誰がなんと言おうと、あなたは私とお父さんにとって大好きな宝物だから、あなた自身のことを自信を持って好きでいてね。
 

2. 自分のこころとからだを理解しよう

自分のこころとからだを知る

自分のこころとからだを知る


これから小学校の高学年になり、中学校に入り、あなたは外側も内側も子どもから大人の女性へと少しずつ変わっていきます。これは怖いことでもなんでもなくて、成長し、成熟していくとは素晴らしいこと。その変化の過程で、あなたは「こんな性格でありたい」「こういう外見になりたい」と考えるようになるでしょう。人と自分を比較することも多いでしょう。自分っていい感じ、と満足することもあれば、自己嫌悪も、嫉妬も生まれるでしょう。

こころとからだは、じつは表裏一体です。特に女性は「出産できる性」として生理があるので、その周期に従ったホルモンバランスの変化で幸せな気分になったりイライラしたり、いろいろな精神状態になることがあります。それでいいんです。(男のひとにも男性バージョンでそういうことがあります。)女の人であるということは、自分がそういうこころとからだを持っていることを受け止め、受け入れ、それらと一緒に生きていくことです。

だから女のひとの人生には、ある大きな意味を持つ時期があります。自分の中から別の人間を生み出すことができる、生き物としてもっともエネルギーが充実している時期です。もしあなたの人生でその頃にいい出会いがあり、あなた自身が可能なら、ぜひ子どもを産んでみるといいと思う。でも人間は誰もが加齢していくから、それは生物学的に限られた時間しかないの。産みたいと思っても自分のからだがもうその力を失っていて、悲しい思いをするひともお母さんの世代にはたくさんいます。

出産を自分の人生のどこに、どのような形で位置づけるか。それは男性にはない、女性だけが持つ能力、特権でもあるの。そして、その能力を過小評価してはだめ。まるで出産は損であるかのように言う寂しいひとたちが世の中にいるかもしれないけれど、子どもを持つことは純粋に喜びであり、あなたの人生を豊かにこそすれ、損などひとつもないのよ。というよりも、自分の人生をどんな条件でも「豊か」にするのは、あなた自身の感じ方、考え方、人間性でもあることを忘れないでね。
 

3. 近くを見よう/遠くを見よう

主体的に学ぼう

主体的に学ぼう


大人になるとは、どこに住むかとかどういう職業に就くかとか、今日何を着るか食べるか、自分で自分のことを決められるということ。自由になるということです。「大人になりたくない」と言う、アンバランスで自分の責任を引き取れないひとがいるけれど、そのひとは周りに素敵な「自由な大人」の見本がいなかったのかもしれないわね。

自分が「あんな風になりたい」と思うひとを、男の人でも女の人でも、近くの人でも遠くの人でも、現代の人でも歴史上の人でも、たくさん探して知りなさい。ひいおばあちゃんでも、友だちや先輩や先生でもいいし、人気のあるミュージシャンや、ニュースでスピーチしていたどこかのCEOや、もう何でもありよ。なぜその人に憧れるのか、その人のどの部分を自分は真似したいのか、どうしたらそうなれるのか、掘り下げてごらんなさい。自分のこころも姿も映す、鏡を持ちなさい。

同様に、ものをたくさん見て、聞いて、知りなさい。素直な気持ちと、疑う気持ちを等しくもって、手に触れる近くのものや人とふれあい、また遠くのものや人にもアンテナを広げなさい。そして五感をフルに使って、色や音やにおいや味や空気を感じて、脳をたくさん刺激するの。自分の中に豊かな感覚のデータベースを持つと、人生は爆発的に楽しくなるのよ。
 

4. 自由な人間―自己完結できる/ひとと繋がれる人間になろう

自由な人間であることは、責任と背中合わせ

自由な人間であることは、責任と背中合わせ


自由な人間とは、自分のことは自分でできる、自己完結できる人間なの。他の人がいなければ何かができないとなると、その存在がなくては動けなくなってしまうから。

災害の話をするわね。大きな地震が起きて、土砂や瓦礫で家が埋まり、道も分断されてしまったとき、その瓦礫を乗り越えることができない大きな救助車は、助けを求める人々がその先にいることを分かっていても引き返すしかなかったの。でもそのとき代わりに活躍できたのは、小さなバイクだった。動力があるから自転車よりも速くて、ひと一人分の隙間があれば通れる小ささで、馬力があるからちょっとした瓦礫を越えて、人々のもとへ届くことができたのよ。

でも、被災地ではガススタンドさえも潰れているから、そのバイクに乗る人たちはバイクの燃料を小さなタンクに入れて携帯し、自分たちで補給しながら走ったの。あまりに遠く険しい場所へも行かざるを得ず、そこから帰れなくなってしまった場合にも備えて、厳寒下での野宿もできる装備をバイクに括りつけてもいたそうよ。「自己完結しているからこそ、人を助けに行くことができる」と学んだわ。

生きるうえで、厳格な意味で自己完結しているなんてことはたぶんなくて、人間は本当は周囲の人や環境に「生かされている」のだけれど、意識として自己完結できていることは大切かもしれない。それは、自分の暮らしは自分でまかなえるとか、そのお金は自分で稼ぐとか。自由と責任はセットだ、という話を学校で聞いたことはある? 自分の行動に責任を取れて初めて、ひとは自由に行動できるし、人を助けにいくこともできるのよ。

そして、自分のことに関しては自己完結する能力を持ちながら、ひとと繋がれる能力があることも大切よ。相手の気持ちと状況を想像し、理解し、思いやることのできるひとは、相手からも思いやってもらえるから。人種や性別や宗教や育った環境や、自分とは異なる他者の背景を想像し理解して共存するための総合的な思慮分別、つまり人生の引き出しの多さこそが本当の教養であり、あなたが学校の中でも外でも学ぶことを通して、最終的にひととして身につけるべきものよ。
母から娘へ、これまでも受け継がれてきたこと

母から娘へ、これまでも受け継がれてきたこと


英語で’Womanhood has to be told’、「女性であることと、その生き方は、社会が子どもに教えるものだ」というのだけれど、意外と大人の女性も振り返ってみると、教えてもらっていなかった、だから苦労した、なんて思うことがたくさんあるの。でも、教えてもらえなかったなんて大の大人が言うのは、カッコ悪いことね。自分で知りにいかなかった、知ることが自分の人生にとって大切だとわかっていなかった、ということだから。自分から主体的に学ばなきゃ。

でも、同じ女性として、あなたもいずれ、自分の娘や、自分よりも若い女性たちに何かを伝えることがあるかもしれない。そのとき、語れる内容をきちんと持った女性に育っていて欲しい、お母さんはそう思っているわ。

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