「父親」を感じる作風は貴重!
EMORIのビスポークシューズを象徴する、ノルウィージャン・ウェルテッド製法の出し縫い部分をアップしてみました。耐久性・防水性に格段に優れるため、かつてはスキーや登山の靴に多用されたこの製法は、ちょっとクセのある顔立ちに仕上がりがちなのですが、彼の靴の表情はいたって自然です。 |
EMORIの靴が日本の他の誂え靴と明確に異なるのは、その風貌から必要以上の緊張感や繊細さを感じさせない点でしょう。代わりに前面に出てくるのは、些細なことではへこたれず、かつ決して乱暴ではない「健全なたくましさ」です。例えば上の写真に見られるノルウィージャン・ウェルテッド製法の出し縫いも、決して靴全体の雰囲気をぶち壊しにすることなく、同時に耐久性や防水性のような機能は十分に備えた絶妙な頃合い。1990年代終わり頃イタリア製の靴を中心に流行した、これの亜種(ノルベジェーゼ製法)のようなアクの強いだけの風貌とは、全く似て非なる深い意味合いを持っています。
通常のハンドソーンウェルテッド製法で作られたドレスシューズを見ても、より端整ではありながら作風にブレはなく、瑣末なことにとらわれ過ぎず大らかな姿勢で履き手を包み込む、言うなれば父親的な包容力が伝わってくるのです。既製靴のブランドにたとえると、そう、プラダに買収される前のチャーチや、ミッシェル・ペリーが監修する前のJ.M.ウエストン、それに(こちらは昔も今もあまり変化していない)オールデンなどと一脈通じる、安定感がありながらも頑張り過ぎてはいない気風。これは日本に限らず、誂え靴の領域では世界的な規模でありそうでなかった、文字通り間隙を突いた存在です。
ですので、いやだからこそEMORIの靴は、実は「履き手」を相当選びます! 誤解を承知の上で敢えて申し上げると、自ら望む靴の理想像がより精緻かつ流麗なもの、例えばそれはエドワード・グリーンやジョン・ロブ(パリ)、それにベルルッティやピエール・コルテの靴のような雰囲気を持つものと申せるでしょうが、これはこれで大変素晴らしい世界観で小生も個人的には大好きではあるけれど、これらだけを唯一絶対視されている方は、EMORIの門は叩かない方が宜しいかもしれません。また、イタリアの靴などに間々見られる直截的な「色気」を、曖昧な形で第一義とされている方も同様です。なぜなら、賢明な読者の方はもうお解かりでしょうが、それらは江守氏が靴に託そうとする「等身大の姿勢」とは、明らかに異なるからです。
次のページでは、EMORIの靴の周辺事情について、じっくり解説致しましょう!