オパールは、ちょっとかわいそうな宝石です。1829年のイギリスで出版されたウォルター・スコット卿の小説『アン・オブ・ガイアースタイン』のなかで描かれたオパールの印象が悪く、不幸を呼ぶ石として嫌われてしまったのです。それ以前は、愛や優しさを強める石、悲しみを追い払って魂を癒す石として大切にされてきたのに、オパールの髪飾りを着けた美女ハーマイオニーが不幸のうちに死ぬという一冊の小説で、そのイメージは一変してしまいました。

1837年になると、イギリスではヴィクトリア女王が即位。やがて植民地であるオーストラリアでオパールが採れるようになり、女王は率先してオパールのジュエリーを身に着け、臣下にも与えます。女王が好んで着けているのですから、臣民も着けないわけにはいきません。女王は自らの結婚式(1840年)でも、人気抜群のフランス製レースではなく、質の劣るイギリス製レースのヴェールを被ったほどの人ですから、こうして帝国領内で採れる宝石の需要をせっせと喚起したのです。「みなのもの、流行に後れたくなくばオパールを着けるのです!」くらいのことは言ったかもしれません。

こんなわけでヴィクトリア王朝期には、オパールをいくつも並べた愛らしいジュエリーがたくさん作られることになりました。それでも、1893年出版のオスカー・ワイルドの悲劇『サロメ』には「氷のような炎をはなちながら、たえず燃えつづける蛋白石、人の心を悲しませ、くらやみをこわがる蛋白石……」(西村孝次訳/新潮文庫)という不気味な一文が出てきてしまいます。蛋白石とはオパールの和名。やはり一度こうむった悪い印象はなかなかぬぐえないようです。

そんななか、この宝石に注目した人々がいました。“アーツ・アンド・クラフツ”と呼ばれる運動に関わった芸術家たちです。彼らはダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドといった値段の高い宝石には目もくれませんでした。宝石は、価値があるから使うのではなく、作品を引き立てるデザインの一要素として使うべきものだというのが彼らの主張です。きれいにカットして形を整えた宝石も好まず、彼らのジュエリーには丸く磨いただけのオパールがひんぱんに使われました。