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縄文時代の謎解きツアー 諏訪大社後編(4ページ目)

ミステリーがいっぱいの諏訪大社の歴史、後半は縄文時代の謎解きに挑戦します。諏訪ではどうも、弥生人と縄文人の闘いがあったようです。縄文好きの岡本太郎さんが絶賛した石仏もご紹介。

吉田 さらさ

執筆者:吉田 さらさ

寺・神社ガイド

神長官守矢史料館

藤森先生の設計による史料館はなかなかユニークな建物
さて、中世以来、諏訪大社の神長官を代々務めてきた守矢さんのお宅にやってきました。いやいや、お宅と言っても、その守矢さんにお会いするわけではなく、守矢さん宅の敷地内にある「神長官守矢史料館」を見学するのです。

神長官守矢史料館に関する情報はこちらです

建築探偵団で有名な東大教授、藤森照信先生の設計による史料館は、さすがに、なかなか面白い建物です。中に入ってびっくり仰天。そこに展示されていたのは、恐ろしくプリミティブで狩猟民族的なパワーあふれる、洩矢の神様へのお供え物だったのです。
御頭祭では、鹿やいのししの頭がお供えされた

動物の内臓をミソであえたお供えもの。一般的な神社のお供えは、米、塩、酒、農作物、乾物などである
守矢家は古代から諏訪大社の祭祀を司ってきました。洩矢の祭祀の中心的なお祭りは「御頭祭(おんとうさい)」と言い、いろいろなものが供えられました。鹿やいのししの頭がそのメインです。江戸時代に、このお祭りの様子をスケッチした人物がいて、ここの展示は、それに基づいて復元されているようです。

ここに展示されるものは、主に食べ物です。が、見慣れた神社のお供え物(酒や農作物など)とはまったく違い、生々しい動物、つまり狩猟の獲物です。

「これは縄文文化ではないか」と、わたしはようやく気がつきました。
散々諏訪大社周辺を歩いたのに、なぜ今までわからなかったのでしょう。

縄文人VS弥生人

日本では、仏教の影響により肉食が禁止されたが、諏訪大社では、鹿肉を食べてよいという許可書が出された。現世で業が深かった鹿は、人間の体に入ることによって成仏できるという考え方だという
おばかなわたしは、何年か前に見た、縄文のビーナスについても、やっと思い出しました。縄文のビーナスは、諏訪のお隣の茅野というところの工事現場から発掘された完璧な姿の土偶で、国宝に指定されています。

このあたりには、それ以外にも、縄文時代の遺跡がたくさんあります。この一帯は、かつて、一大縄文文化地帯だったのです。
縄文のビーナスに関する情報はこちらです

それを考えると、タケミナカタさんは、出雲からやってきた稲作民族、つまり弥生文化の人。そしてこの地に古くから住んでいた守矢一族は狩猟民族、つまり縄文文化の人。そして、諏訪大社にまつわるお話は、タケミナカタさんに象徴される弥生人が、土着の縄文人の土地を征服したことを表しているのではないかと、おばかなわたしでも推測できます。

みさく神を祀る祠

みさく神の神事が行われた祠
敷地の奥には小さな祠もあり、やはり、四隅に御柱が4本立っています。「みさく神」の祭祀を行う場所だったそうです。みさく神=ミシャグジ神。つまり、守矢家の一族は、縄文時代以来、この神様とともに生きて来られたのですね。

次のページは、岡本太郎さんが愛した御柱祭と諏訪について。岡本さんは、諏訪に縄文のスピリッツを感じていらっしゃったようです
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