寺・神社/東京の寺・神社

花見情報第一弾!目黒で桜と仏像を楽しむ

今年の冬は寒かったけれど、ようやく春の到来です。お花見の予定も、そろそろ気になりますね。今回は、東京の目黒で、有名な目黒川沿いの桜と、意外に豊富な仏像ウォッチングを楽しむお話です。

吉田 さらさ

執筆者:吉田 さらさ

寺・神社ガイド

秋刀魚は目黒に限る

現在の目黒。江戸時代は行楽地であったが、今も桜の名所である
東京の目黒は、「目黒の秋刀魚」という古典落語で有名です。あるお殿様が、そのころは江戸の郊外の行楽地であった目黒に遊びに出かけました。すると、庶民の家から、秋刀魚の焼けるよいにおいが漂ってきます。秋刀魚など見たこともないお殿様は、「その魚を食べてみたい」とご所望になり、家来たちは、その家の主人から焼いた秋刀魚をもらって殿様に差し上げました。

これは東京都心部の桜の一例、西新宿パークビル前の桜。目黒川沿いでも、現代的なビルと桜の組み合わせが楽しめます
それをいたくお気に召したお殿様は、屋敷でも秋刀魚を食べたいとだだをこね、家老は「秋刀魚は下魚でございますから、本来お殿様が召し上がるようなものではございません」と困り果てます。どうしてもとおっしゃるので、日本橋魚河岸から秋刀魚をとり寄せ、お体に触ってはたいへんということで、蒸して油を抜き、小骨もすべて抜いて、ぱさぱさになった秋刀魚を差し上げました。

するとお殿様は、「これが秋刀魚か? もっと黒くこげていたはずだ」といぶかしがられます。
「これは以前に食べた秋刀魚とは違うようだが、どこから取り寄せたのじゃ?」
「日本橋の魚河岸から取り寄せた最高級でございます」
「あっ、そりゃいかん。秋刀魚は目黒に限る」

※お詫び!
ここで、美しい目黒川の桜の写真を掲載したかったのですが、昨年撮りそこなったため、手持ちがありません。代わりに西新宿のビル街の桜の写真を載せておきますので、あくまでイメージカットとしてお楽しみください。

江戸には五つの色の
お不動さんがある

お殿様は、内陸部の目黒では秋刀魚はとれないということもご存知なかったようです。ところで、今は東京都心部の住宅街である目黒が、なぜ江戸時代は行楽地であったか。それは、土地が高低に富み、目黒川沿いの景観が美しかったことと、目黒不動を中心とする神社仏閣が多かったことに由来します。

目黒不動近辺には、今も寺が多く、桜やその他の木もたくさんある散歩道となっている

そもそも、なぜ目黒という地名になったかというと、その目黒不動があったからです。目黒にあるお不動さんだから「目黒不動」なのではなく、目黒という名のお不動さんがあったから、目黒という地名になったのです。

山手線にもうひとつ、目白という駅があります。目白にも、実は「目白不動」があります。そのほか、文京区の本郷に目赤不動、世田谷の三軒茶屋に目青不動、台東区の三ノ輪と江戸川区の平井に目黄不動が二つあります。


風水によって配置された
江戸五色不動

目黒不動にあるお不動さんの像のひとつ。現代のものだが、なかなか立派だ
お不動さんが江戸の人々に大人気だったお話は、以前の記事にも詳しく書きました。それは、歌舞伎役者の初代団十郎さんが、成田山新勝寺のお不動さんを深く信仰し、その霊験をテーマとした芝居を打って、プロモーションしたというのが理由のひとつです。

●成田のお不動さんについては、こちらをごらんください。

しかし、江戸五色不動ができたのは、それより前の江戸初期。徳川三代将軍家光が、深く信頼を寄せる天海僧正という謎のお坊さんの提案により、江戸の周囲にある著名なお不動さんを「五色不動」と定めたということです。これらは、風水によって、江戸を守る地ともされます。

天海僧正は、上野の寛永寺を建立するなど、これ以外にも、江戸の町の成立に大きく関わっています。

●天海僧正と上野寛永寺については、こちらをごらんください。

●次のページは、江戸の行楽地、目黒の中心となった目黒不動尊 瀧泉寺をご案内します。このお寺にも桜の木がいっぱい。
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