御嶽山の宿坊は
神社の宿坊です
御嶽神社は、関東平野を見下ろす山の上にある |
江戸時代までの日本の宗教は、仏教と神道が融合した神仏混淆が基本となっていました。お寺と神社が同じ敷地にあることも珍しくなく、とりわけ、御嶽山に伝承されている山岳信仰は、古来から日本にあった土着信仰に仏教や神道、道教が混じった日本独特のものでした。
しかし、明治時代のはじめに神仏分離令が発布され、お寺と神社、仏教と神道は明確に分けるべしというお達しがあったため、御嶽山は神社であることを選びました。
御嶽山と並んで東京都民に親しまれているハイキングコース、高尾山も、同じような山岳信仰の聖地ですが、こちらはお寺であることを選びました。そのため、御嶽山にあるのは御嶽神社という神社で、高尾山にあるのは薬王院というお寺なのです。
江戸の庶民たちは
団体旅行がお好き
宿坊「御嶽山荘」の内部には、あちこちに、講を組んでやってきた人々が奉納した額がある。平成になってからやってきた講もあるようだ |
しかし、神社や寺参りが目的なら話は別。ということで、各集落でお金を集め、代表者が「講」と呼ばれる団体を組んで、遠くの神社仏閣にお参りに出かけたのです。その際彼らは、どんな理由で、お参りする神社や寺を選んだのか。そしてそもそも、どこにどんなご利益のある神社仏閣があるかを、どのようにして知ったのか?
それは、優秀な営業マンが、全国を歩いて、「うちの神社(寺)はこんなによいところで、お参りするとすごくよいことがある」と宣伝してまわったからです。
そうした営業マンを「御師(おし)」と言います。今も人気の熊野や伊勢は、江戸から遠く離れているにもかかわらず、江戸時代にも大人気でしたが、それは、この御師たちの宣伝が、特に行き届いていたためです。
ちなみに、伊勢の場合は、おし、ではなく、おんし、と読みます。また、長野の善光寺には「牛に引かれて善光寺参り」という言葉がありますが、実は、牛に引かれるのではなく、御師に引かれて善光寺に行ったのだ、という説もあるそうです。
御師は宿泊施設も提供した
それが宿坊の起源のひとつ
宿坊は歴史が古く、中には、こんな立派な萱葺き屋根を残す建物もある |
御師は、営業マンであると同時にツアーコンダクターで、講の人々を道案内して神社仏閣まで連れてきました。そうした神社仏閣は遠くにあるので、宿泊や食事の場所も必要です。ということで、御師は、自分の家を宿として人々に提供しました。御嶽山の上に立ち並ぶ宿坊の起源はその御師の家で、宿坊のご主人は、神主さんであると同時に御師でもあるのです。
このように、神社の近辺には、今も御師の家が宿坊となって残っている場所がいくつかあります。たとえば、神奈川県の大山や、長野県の戸隠などがその例です。
ここ御嶽山の宿坊もそうですが、大山や戸隠などの宿坊も、旅館に近い性質のものが多く、「お寺の宿坊は、たまに、ちょっと厳しい決まりがあるケースもあるから」と敬遠している方にもお勧めできます。
御嶽神社の参道には、講の人々が奉納した石碑が立ち並ぶ。やはり、東京都内からやってくる人が多かったようだ |
次のページでは今回宿泊した「御嶽山荘」での一泊二日をレポート。居心地がよく、お料理も盛りだくさんでした。