名誉革命と権利の章典
テムズ川から見た景色。左からウェストミンスター寺院、タワーブリッジ、そして大観覧車ロンドン・アイ
1689年、イングランド王に共同で就いたウィリアム3世とメアリー2世は権利の宣言に署名して法の支配を認め、議会優位を記した権利の章典が承認された。
現在イギリスは文書としての憲法を持たないが、以上で登場したマグナ・カルタ、権利の請願、権利の章典が文書として残っており、憲法の基礎をなしている。
もともと議会とは、王と諸侯たちが顔を突き合わせて話し合う場だった。彼らは王の居城であるウェストミンスター宮殿と、聖地であるウェストミンスター寺院に集い、交渉の場を持った。これが近代議会のはじまりなのである。
国会議事堂ウェストミンスター宮殿の誕生
チャールズ・バリーによって設計されたネオ・ゴシックの刺々しい印象が特異なウェストミンスター宮殿の夜景。右の塔がビッグ・ベン、左の塔がヴィクトリア・タワー ©牧哲雄
それまでは宮殿の名残を残していたために議会らしい部屋がなかったが、1860年前後に完成した新しいウェストミンスター宮殿には貴族院(上院)と庶民院(下院)の議事堂などが設置され、現在も国会議事堂として利用されている。
ちなみに、ウェストミンスター宮殿のウェストミンスター・ホールは11世紀に建てられて残っている数少ない場所だ。数々の王がここで議会と対立し、熱い論争を繰り返してきた。
聖マーガレット教会(セント・マーガレット教会)
左が聖マーガレット教会、右がウェストミンスター寺院。3つの世界遺産はいずれも夜、ライトアップされる
有名なのはヘンリー7世の長男であるアーサー王子とカタリナ王女に贈られたフランドルのステンドグラスだ。その他にもミルトンをはじめ、多数の有名人がここに埋葬されている。
また、有名人の結婚式もよくここで行われている。