世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ウィーン歴史地区/オーストリア(3ページ目)

音楽、絵画、建築、文学、喫茶、食事…ヨーロッパ芸術の中心地であり、アダルトな魅力で旅人を誘う世界遺産「ウィーン歴史地区」。今回はその街の魅力と、ヨーロッパ中世の半分を占めるハプスブルク家の歴史を解説する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

テーマ別散策3 音楽の都ウィーンを堪能する

シュテファン寺院の内部

シュテファン寺院内部。ここでモーツァルトとコンスタンツの結婚式が行われた ©牧哲雄

楽友協会

ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートが開催される楽友協会 ©牧哲雄

ハプスブルク家の庇護のもと、ウィーンには優秀な作曲家が集い、大音楽都市に成長した。現在でもウィーンのあちこちでコンサートやオペラ、ミュージカルが毎日のように演じられている。ウィーンに深く関係する作曲家を紹介しよう。

■ハイドン(1732~1809年)
シュテファン寺院の聖歌隊のメンバーで、のちに作曲家として活躍した。「交響曲の父」「弦楽四重奏曲の父」とも呼ばれる。ハイドンがハプスブルク家のフランツ2世に贈った曲が現在のドイツ国歌の元になっている。見所はハイドン記念館など。

 

■モーツァルト(1756~1791年)
ブルク庭園

ブルク庭園にあるモーツァルト像

ザルツブルク出身で墓はウィーンの聖マルクス墓地にある。3歳でクラヴィーアをひき、5歳で作曲、6歳でウィーンで演奏を開始して、この年にシェーンブルン宮殿で7歳のマリー・アントワネットにプロポーズした。ゆかりの建物は数多い。

■ベートーヴェン(1770~1827年)
ドイツのボン出身で、ウィーンの中央墓地に埋葬されている。晩年は聴力を失ったが、それでも作曲を続けた。ゆかりの建物は、「交響曲第1番」初演のブルク劇場、「献堂式」が初演されたヨーゼフシュタット劇場、遺書の家など。

 

■ヨハン・シュトラウス(父:1804~1849年、子:1825~1899年)
2代にわたってワルツで名を残した作曲家。ウィーン・フィルの舞踏会やオペラ座舞踏会は有名で、冬のウィーンでは200以上の舞踏会が開催される。その中心となるのがヨハン・シュトラウスの曲だ。

この他にもシューベルト、マーラー、ワーグナー、ブルックナー、リストなど、ゆかりの作曲家は数多い。

テーマ別散策4 ウィーンで楽しむ絵画

グスタフ・クリムト「接吻」

グスタフ・クリムト「接吻」1907-08年、オーストリア美術館、トリミング

エゴン・シーレ「意地悪な女」

エゴン・シーレ「意地悪な女」1910年、アルベルティーナ美術館

芸術を愛したハプスブルク家が世界中から集めたコレクションは数多くの美術館に収められ、その豊かな文化は多くの画家を育んだ。

有名なのはヨーロッパ最高の美術館・博物館といわれる美術史美術館と自然史博物館、近代絵画のルートヴィヒ近代美術館、シーレで有名なレオポルト美術館、クリムトならオーストリア美術館など。以下3人の名画はお忘れなく。

■クリムト(1862~1918年)
ウィーン出身の画家。ユーゲントシュティールの影響を受けてウィーン分離派を組織し、初代会長に就任した。「接吻」「抱擁」「ダナエ」「ユディト」など、女性を題材に金箔を多用した独特の画風で知られる。

 

■シーレ(1890~1918年)
ウィーン近郊出身で、クリムトと共にウィーンで活躍した。同じ性を描いてはいても、シーレは性器を生々しく描いたり、自画像を多く描いて自分の内面を追ったりと、対照的なイメージ。

■ココシュカ(1886~1980年)
クリムト、シーレと並ぶウィーン三大画家のひとり。作曲家マーラーの未亡人との恋愛話は有名で、破局後に等身大の人形を作らせて傷を癒したという。
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