美穂への電話
翌日午後、春彦が社内での打ち合わせを終えて席に戻ると、携帯電話に北村から連絡が入った。星野美穂に連絡したことについて報告したいという。2人だけで居酒屋にでも行こうかと思ったが、妻も同席してたほうがいいと思い、すぐ麻季子に連絡をして、夕方以降、翔太を近所の友だちのところにでも預けられないかと訊いた。折り返しの電話を待っている間に、北村に詩織を誘うように連絡した。麻季子は横山絵里に電話をかけた。絵里の家は男の子ばかり3人の子がいて、翔太ともみな仲がいい。事情を話すと二つ返事で了解してくれた。夕食も食べるように言ってくれたので、徒歩3分の距離にある横山家に翔太を送り届けた。自宅に戻って春彦にメールでその旨を伝えると折り返しまた電話がかかった。4人で食事に行こうということで、麻季子は身支度を整えて約束の場所に向かった。
ビールで乾杯 |
「じゃ、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
「悪いね。週明け早々」
「あ、とんでもないです」
「いや、北村君が早速、今日連絡してくれたと言うからね。こうして集まってもらったんだけど」
「善は急げですから」
北村が遠慮がちにそう言ったが、なにやら自信ありげにも見えた。料理がある程度揃って、しばらく美食談義をしてから、春彦が北村にうながした。
「ちょっと詳しく報告してくれるかな」
「はい。今日の午後一番で星野さんに電話を入れました。最初、驚いていましたが、従妹の話から振ってみたところ、やはり乗ってきました。どうも同じ漫画家が好きらしくて。で、メールアドレスを伝えることにして、その話は済んだんです。で、ついでにという感じで、先輩のことを話してみたんですが」
「うん」
「先輩にはお世話になった、よくしていただいたと。誉め上手だから、つい仕事も張り切ったと言ってました。でも、それ以上はやっぱり何か気持ちがあるようには感じられなかったですね。声の調子も普通で変わりなかったです」
「ほう」
「僕はけっこう電話の声で相手の様子とか状態が分かるほうなんです。営業ですからね。でも、星野さんは嘘をついているという感じはなかったです」
「そうか」
「で、さらに横井女史のことを聞いてみました」
「うん。そしたら?」
「彼女とは最初、あまりそりが合わなかったそうです。でも、後半になって横井さんのほうから、積極的に話しかけてきたらしくて。しかも、打ち上げの数日前に2人だけで会ったそうです。星野さんが言うには、横井女史が食事に誘ってきて一緒にバレンタインの贈り物をしようとた提案したらしいんです」
「え? どういうことだ?」
「だから、やっぱり送り主は星野さんじゃなく、横井女史なんですよ。ただ、連名で送ろうということにしてたらしくて、チョコレートだけだと思ってるみたいです。つまり、星野美穂はネクタイは送ってない。送ったのはチョコレートですが、それも横井女史と連名のつもりだから、個人名で送ったとは思っていないんです。星野さんはこちらの職場を離れたせいか、けっこうあっさりしゃべってくれましたよ。もちろん、僕も他言しないと言って聞き出したんですが」
「じゃあ、横井さんが……。しかし、いったい何のためにだろう」
「ですから、メールも星野さんからじゃなく、当然、横井女史からですよ。しかも、星野さんを装って、2人だけで会いたいと書いてあったんですよね」
「いったいどういうことだ?」
「一応、星野さんには僕から電話があったことを横井女史には言わないようにと伝えておきました。ついでにもし女史から連絡があったら教えてほしいって。で、考えたんですけど、メールで返事を出しませんか?」
「それは……」
相手が星野美穂でも横井女史からのメールに自分から会おうと返事を出すことには、さすがに春彦は躊躇した。