切ない過去
「そうよね、練習してからじゃないとね。でも、うちの子はまだ5歳だから、まだまだ早いと思ってるの。でも、絵里さんとこは…」「子どもが電話に出るのよね」
「そう。それで、あのときも子どもが電話に出たから、ちょっと頭に血が上ってしまって。絵里さんは、昔からズバズバ言う人だったのね。で、うちの子のことをいつも、あまりにも私を怖がらせるようなことばかり言うの。いつも女の子は危ない、気をつけないと、ってまるで私を責めるように言うのよ」
「本人には責めているつもりはないんでしょうけど」
「でも、言われる私にしたら責められているように感じるのよ。女の子は性被害とか受けやすいから気をつけろって。でも、男の子だって同じじゃない?」
「それはそうよね。男の子だって実は被害には遭っているはずよ。確率は同じだと思うけどな」
「でしょう? それなのに私のところだけがまるで四六時中危険にさらされているみたいに。私は精一杯気をつけているのに」
「彼女自身は女の子が欲しかったらしいけど、男の子ばかりだったから。やきもちもあるのかもしれないわよ。嫉妬ね」
女の子は危ない? |
一気に話をして少し興奮したような美枝をなだめようと、手を差し出してカップを受け取ると、麻季子はレジャーポットからまだ十分温かい紅茶を注いで手渡した。目を細めてゆっくりと紅茶を飲んでから、美枝が麻季子を見た。
「ごめんなさい。初めて会ったのに、いきなりこんなに話してしまって」
「あら、全然、気にしないで。でも絵里さんは、彼女自身が女だってことを忘れているわよね。同性を責めるのは自分を責めることじゃない。あなたのお姑さんだって、ご自分がしっかり家を切り盛りしてきたのに女より男じゃなきゃなんて、頭が古すぎると思うわ」
「そうよねえ。でも加瀬さんって不思議。私、こんなに話したの初めてじゃないかしら。絵里さんとも、こんなふうに話せればいいんだけど。でも昔から彼女のほうがなんていうかパワーが強くて」
「圧倒されちゃうのね。分かるわ。二人いれば絶対に力関係はあるもの」
「加瀬さんって、なんだかすごく頼りがいがあるのね」
「絵里さんにも、“おま加瀬さん”なんて言われちゃって」
「あら、ウフフ」
やっと美枝が笑った。だが、彼女がしたことは許されることではない。その点はハッキリさせておくべきだと思った。
誰にも話していないこと |
「ええ。そうよね。ちゃんと会って謝るわ。なんか、加瀬さんと話せたから気持ちがずっと楽になった」
「よかったわ。お役に立てて」
「もう一つだけ、誰にも話していないことがあるんだけど。聞いてもらえる?」
海を見つめながらそう言った美枝の横顔が心なしか硬い表情だった。
麻季子も海に視線を向けて言った。
「私でよければ」
「私ね、今の桜子の年のころにね、性被害を受けたことがあるの」
「!」
「当時住んでいたあたりでね、後になってけっこう何人も被害に遭っていたらしいと噂で聞いたけど、私は誰にも親にも言わなかった。言えなかったの」
「それは…。辛かったでしょうね」
「だから、絵里さんが桜子のことを気をつけるようにいろいろ言ってるとき、私は自分のことを責められているように感じたのよ」