マットやブラシは誰のため?
「掃除するヒト」の意見は大事。でも使うヒトが気持ちよく使えるトイレ、という視点でも見てみて欲しいのです。 |
掃除をする身にとってはありがたい話ですね。何せ男性の排尿時の飛び散りは半端ではないので。「座りション派」には、自分自身が自分の排尿している自宅のトイレを掃除するようになって、汚れっぷりに嫌気が差し、座るようになったという声が多いのも印象的です。
かくトイレ内の事象には、排尿排便という使用者としての当事者視線と、主に掃除という管理者としての当事者視線が入り混じって語られるのが通常です。
そして場所が場所(住まいの中でもとりわけ汚れやすく、汚れが気になりやすい)であるゆえに、家庭のそれにおいては最近「管理者側」の声がよく通るようになりました。本当は家庭外、公共性の高いトイレにおいてもそういう声が当たり前に浸透すべきだとは思うのですが、公衆トイレではなかなか「管理者としての当事者意識」などは抱きづらいようですね。
駅トイレなどの使い方の荒さからくる汚れに対して、不愉快に思っているその当人がまず「汚さない」意識を持たない限り、いつまでも汚いトイレ使用に甘んじなければならない負の連鎖はどこかで断ち切らないといけないです。話がずれました。元に戻しましょう。
かく、家庭内トイレにおいて重さを増す「トイレ管理者としての当事者視線」に基づいたトイレの設えは確かに家事を合理化し、住まい全体からみても衛生状態を良化するのに貢献しているとは思うのです。
しかし、そういった管理の徹底はときに、純粋な「使用者側」の人権を侵してしまう可能性があるということに、少しだけ意識を向けて欲しいと思うのです。人権とか言うとおおげさに聞こえますが、やっぱりいい大人が申告しづらいと思うのですよ。「私のウンチが流れませんのでブラシを貸して下さい」なんて。
皆さん、そんな事態に陥ったらいったいどうしますか? トイレットペーパーを手にとって、便器の中に手を入れてウンチをこそげ落とせるでしょうか。素手で。もともと素手でのトイレ掃除に慣れていれば別ですが、そうできることではないと思いますが、いかがでしょうか。
紆余曲折あり、現在我が家のトイレには、週に数回と、こまめに洗濯できる小ぶりの「綿マット」が足元に、ふつうの「トイレブラシ」も常備し、通常のトイレ掃除は私が(趣味的に)素手で行っています。トイレブラシは主に家人や来客が使っているようですが、使用頻度はさほど高くないようです。たまに便器の水たまりに突っ込んだ状態で漂白したりして衛生を保っています。
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