名所・旧跡

崖の上のポニョの舞台&坂本龍馬ゆかりの港町・鞆の浦

広島県の東側に位置する鞆の浦(とものうら)は、瀬戸内海に面する港町。遥か昔から「潮待ちの港」として数多くの船が立ち寄ったことから、古い町並みなど絵になる美しい風景が揃っています。映画『崖の上のポニョ』の舞台のモデルと言われたり、幕末の志士・坂本龍馬との縁があった鞆の浦の観光スポットや宮崎駿監督がデザインした喫茶、アクセスなどをご紹介します。

村田 博之

執筆者:村田 博之

名所・旧跡ガイド

潮待ちの港、広島県の鞆の浦に出かけてみませんか?

潮待ちの港、鞆の浦

潮待ちの港、鞆の浦

穏やかな海がどこまでも広がる瀬戸内海。遥か昔から海運が盛んで各地に港が造られて賑わいました。そんな港町の一つ、鞆の浦(とものうら)は昔ながらの街並みが残る貴重な場所。かの幕末の志士、坂本龍馬も鞆の浦の歴史に名を残しています。

最近ではスタジオジブリの映画『崖の上のポニョ』の舞台としても話題になった鞆の浦をご紹介します。

<目次>

『崖の上のポニョ』の舞台?

映画公式サイトより引用

映画公式サイトより引用

古い町並みと美しい海の風景が揃う鞆の浦。広島県の東側、福山市にあります。ここはスタジオジブリ制作の人気映画『崖の上のポニョ』の舞台のモデルとされています。

宮崎駿監督が実際に鞆の浦を訪れ、いろいろな所を歩きまわって映画の構想を練ったと言われていますが、監督自身は明言されていません。その代わりに『崖の上のポニョ』を見た方が鞆の浦に来て、映画で見たイメージに近いと感じたスポットが口コミで取り上げられるようになりました。
鞆の浦(15)/ともてつバスセンター

鞆の浦バス停の前にある「ともてつバスセンター」。建物の中に映画『崖の上のポニョ』に登場したと思われる鞆の浦のスポットをまとめた手作りのマップが掲示されています(2016年2月撮影)

鞆港バス停の一つ手前、鞆の浦バス停の前にある「ともてつバスセンター」では、『崖の中のポニョ』に登場した思われる鞆の浦のスポットをまとめた手作りのマップが掲示されています。ポニョに登場したとされる風景を訪ねてみたい方は、まず「ともてつバスセンター」に立ち寄ってみて、ポニョゆかりの地を訪ね歩くのも良いですね。

ともてつバスセンター アクセス(Yahoo!地図)

ちなみにポニョに登場したとされる風景は鞆の浦の周辺なのですが、沼隈半島を尾根づたいに横断する道路 福山グリーンラインの後山公園展望台なども含まれているため、徒歩で全部巡ろうとするとかなりの時間が必要になります。


「潮待ちの港」として賑わった鞆の浦

鞆の浦(1)

「潮待ちの港」として賑わった鞆の浦。
昔ながらの港町の雰囲気を現代に残す貴重な場所です(2016年2月撮影)

鞆の浦は、瀬戸内海に面した港町。 大昔はエンジンがありませんので、船を動かすには手漕ぎと潮の流れを読むしか方法がなく、潮の流れの影響を受けにくい場所は当時の船にとって大変貴重なポイントでした。

鞆の浦は地形の関係で潮の流れの影響が少なかったため「潮待ちの港」として多くの船が立ち寄る港町として発展を遂げました。その歴史はとても古く、平安時代初期には天台宗を開いた最澄や真言宗を開いた弘法大師(空海)が鞆の浦を訪れており、布教のための寺を建立するほどの賑わいでした。

時代が進み、鉄道や道路など陸路の交通が整備される中、鞆の浦は瀬戸内海に突き出た沼隈半島の先にあったことから、陸路のメインルートより外れてしまいます。この結果、近代的な街並みへの衣替えの影響をあまり受けず、昔ながらの港町の雰囲気が現代に残りました。懐かしく感じられる風景が注目を集めて、いつしか多くの観光客が鞆の浦を訪れるようになりました。



江戸時代の雰囲気が残る港町をゆっくり歩いてみましょう

鞆の浦(2)/雁木と常夜燈のある風景

鞆の浦を代表する風景の一つ、常夜燈と雁木のある船着場の風景(2016年2月撮影)

それでは鞆の浦の街をゆっくり歩いて、昔ながらの港町の雰囲気をたっぷりと味わうことにしましょう。

福山駅から鞆の浦へ向かうバスの終点、鞆港バス停で降りると、そこはもう鞆の港。海を向いて右側を見るとそこには鞆の浦を紹介する写真として良く登場する常夜燈のある船着場の風景が見えてきます。
鞆の浦(3)/常夜燈

鞆の浦の常夜燈。幕末に再建されたものが今も残っています(2016年2月)

常夜燈は近くまで行って、目の前で見ることができます。ちなみにこの常夜燈は、幕末に再建されたもので花崗岩で造られているとのこと。
鞆の浦(4)/雁木

船着場から海面に向かって段々に石が組まれた雁木。
潮の満ち引きで潮位が変化しても船を着けて水平動作で荷役を行うための昔の人の知恵です(2016年2月撮影)

また船着場から海面に向かって段々に石が組まれた「雁木(がんぎ」と言う工作物も、江戸時代のもの。潮の満ち引きで潮位が変化しても船を着けて水平動作で荷役を行えるようにした昔の人の知恵です。このような江戸時代の船着場が昔のまま残っている所は貴重で、鞆の浦が注目される理由の一つです。
鞆の浦(5)/太田家住宅

船着場に向かう途中にある太田家住宅(左)。
江戸時代の建物が今もそのまま残っています(2016年2月撮影)

船着場に向かう途中には、江戸時代の建物が今も残る太田家住宅があります。ここは明治維新直前に尊王攘夷派の三条実美(さねとみ)らの公家が公武合体派に追われて都落ちした際に立ち寄った史実が残ります。
鞆の浦(6)/鞆の津の商家

江戸末期の商家の建物が残る鞆の津の商家(2016年2月撮影)

また鞆の浦歴史民俗資料館の前には、江戸時代末期の商家が「鞆の津の商家」として残っています。他にも保命酒で知られる入江豊三郎本店など、あちらこちらで昔ながらの街並みを見ながら歩くことができますよ。


高台から鞆の浦を見下ろしてみましょう

鞆の浦(7)/医王寺への道

鞆の浦で2番目に古い医王寺への道。
医王寺は高台にあるので、ちょっと急な坂を上ります(2016年2月撮影)

鞆の浦には最澄や弘法大師(空海)などが建立した寺が、今もたくさん残ります。その中の一つ、医王寺は弘法大師(空海)が開いた真言宗のお寺で鞆の浦では2番目に古い歴史を持っています。
鞆の浦(8)/医王寺の境内

高台を登り切った先にある医王寺の境内(2016年2月撮影)

港からは道案内に従って高台まで急な坂を上っていく必要があります。お詣りを済ませたら、後ろを振り返ってみて下さい。
鞆の浦(9)/医王寺からの眺め

医王寺から眺めた鞆の浦の全景(2016年2月撮影)

ここからは鞆の浦の全景を眺めることができます。奥に見える小高い山は仙酔島(せんすいじま)です。
鞆の浦(10)/医王寺から鞆の港を望む

医王寺から眺めた鞆の浦。港にズームアップしてみます(2016年2月撮影)

実は1934年(昭和9年)に日本で初めての国立公園の一つとして瀬戸内海国立公園が指定された際、小豆島の寒霞渓(かんかけい)、屋島、鷲羽山と共に鞆の浦と仙酔島が指定範囲に含まれました。美しい風景ですね。

医王寺へのアクセス


鞆の浦には坂本龍馬ゆかりの史跡がたくさん!

鞆の浦(11)/龍馬ゆかりの地をまとめたマップ

鞆の浦歴史民俗資料館の駐車場に掲示された坂本龍馬ゆかりの地をまとめたマップ(2016年2月撮影)

鞆の浦はコンパクトな港町なのですが、あちらこちらに坂本龍馬にゆかりのある史跡が点在しています。なぜ幕末の志士、坂本龍馬が鞆の浦とつながりがあるのでしょうか? これは一隻の船の沈没に関係があります。

龍馬が結成した亀山社中は貿易を通じて幕末の政治を大きく動かす存在となり、"海援隊"と名前を変えて精力的に活動していました。そんなある日、海援隊が運航していた蒸気船「いろは丸」が長崎から大坂(現在の大阪)へ向かう途中、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突する海難事故が発生。事故の場所から近かった鞆の浦に曳航する途中で「いろは丸」は沈没してしまいます。

龍馬は鞆の浦に留まり、紀州藩に対して積荷の損失など事故の賠償交渉を始めましたが、交渉がまとまる前に明光丸は鞆の浦を出航してしまいました。龍馬は賠償交渉を続けようと長崎まで追いかけ、最後は紀州藩が賠償金を支払うことでやっと決着しました。この「いろは丸沈没事件」に関わる史跡が今でも鞆の浦に残ります。
鞆の浦(12)/いろは丸展示館

船着場にあるいろは丸展示館。
白い蔵の建物の中に、いろは丸沈没事件にまつわる資料を多数展示しています(2016年2月撮影)

常夜燈がある船着場に建つ白い蔵のような建物は「いろは丸展示館」。いろは丸の沈没状況を再現したなジオラマなど、いろは丸沈没事件に関する様々な資料を展示しています。
鞆の浦(13)/龍馬が宿泊した桝屋清右ヱ門宅

いろは丸沈没事件で上陸した坂本龍馬といろは丸の乗員が宿泊した桝屋清右ヱ門宅。
内部は公開されていて、龍馬の隠れ部屋などが見られます(2016年2月撮影)

いろは丸沈没に対する賠償交渉のため、鞆の浦で龍馬やいろは丸の乗員が宿泊した廻船問屋・桝屋清右ヱ門宅も現存しています。龍馬が泊まったという隠れ部屋が公開されており、見学できます。
鞆の浦(14)/平成いろは丸

現代によみがえったいろは丸。
鞆の浦と対岸の仙酔島を結ぶ市営渡船として平成いろは丸が運行しています(2016年2月撮影)

また鞆の浦と対岸の仙酔島を結ぶ市営渡船には、2010年(平成22年)より「平成いろは丸」が就航しています。船内に龍馬の写真や磁気コンパスなどが展示されており、短い時間ではありますが、いろは丸に乗った龍馬の気分を味わえそうですね。


宮崎駿監督が鞆の浦に残したもの

鞆の浦(16)/御舟宿いろは

いろは丸沈没事件で龍馬が紀州藩と談判した場所の一つ、魚屋萬蔵宅。
修復にあたって宮崎駿監督のデザイン画を再現し、和風旅館「御舟屋いろは」として生まれ変わりました(2016年2月撮影)

宮崎駿監督が鞆の浦に残したものの一つが、御舟屋いろは。いろは丸沈没事件で龍馬が紀州藩と賠償交渉を談判した町家(旧 魚屋萬蔵宅)があり、これを修復するにあたって宮崎駿監督がデザイン画を描きおこし、和風旅館という形で生まれ変わりました。

喫茶が併設されていて、ポニョに関するグッズも展示・販売していますので、ゆっくり休憩するのも良いでしょう。

御舟屋いろは公式ホームページ


坂本龍馬と『崖の上のポニョ』にゆかりがあった鞆の浦をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。幕末の歴史や映画の舞台などいろいろな思いに馳せながら、落ち着いた雰囲気の港町、鞆の浦を歩いてみて下さいね。


鞆の浦へのアプローチ

福山駅と鞆の浦を結ぶトモテツバス

福山駅と鞆の浦を結ぶトモテツバス

地図:Yahoo! 地図情報
アクセス:
<鉄道>
山陽新幹線 福山駅下車。福山駅南口よりトモテツバス 鞆港行きまたは鞆の浦行きに乗車し、鞆港または鞆の浦バス停下車。

<飛行機>
広島空港からリムジンバスで福山駅へ。または岡山空港から空港連絡バスで岡山駅または倉敷駅へ行き、山陽線で福山駅へ。
福山駅からは<鉄道>と同じ。

<高速バス>
新宿から福山、尾道、三原を結ぶ夜行高速バス「エトワールセト号」(中国バス、小田急シティバスの共同運行)で、福山駅南口バス停下車。
または横浜から福山、広島を結ぶ夜行高速バス「メイプル・ハーバー」「ドリーム・スリーパー」(どちらも中国バス運行)で、福山駅南口バス停下車。
福山駅からは<鉄道>と同じ。

<車>
山陽自動車道 福山東インターチェンジから国道182号線経由で鞆の浦へ向かう県道22号線を利用。
ただし鞆の浦は非常に道が狭く、駐車スペースも少ないので、福山駅に車を止めてバスでアクセスすることをお勧めします。


【関連サイト】 「中国(山陽・山陰)の名所」に、「名所・旧跡」ガイドで中国地方の名所・旧跡を紹介した記事の一覧をまとめてあります。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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