25年前の「電通事件」が再び…? 問題の本質はどこにあるのか

過重労働によるストレス

新入社員を死に追いやってしまったと報道されている過重労働、過労死の問題。繰り返されるこの問題の本質がどこにあるのか、しっかりと考えて改善していく必要があります

25年前の1991年、ラジオ広告の企画・営業の仕事をしていた25歳の男性が亡くなられました。いわゆる「電通事件」です。この事件がきっかけとなって、「過重労働を許さない」という国の政策が強まり、メディアの後押しを受けて、過重労働対策は少しずつ前に進んできました。2014年には日本で初めて「過労死」が法律に明文化され、過労死等防止対策推進法が制定されました。今回の事件が起きたのは、労働基準監督署も過重労働が疑われる事業所への是正勧告を強化していた、まさにそんな時でした。

広告代理店として日本一、世界で第5位のグローバル企業である日本を代表する企業で、再び悲劇が起こってしまったのです。24歳の女性が過労自殺で亡くなられたという事実に多くの方が悲しみ、メディアやSNSでこのニュースに触れるたびに悔しさを感じられていることでしょう。

今回の悲劇の本質はどこにあるのでしょうか? 私は、経営と医療(産業衛生)両面から考察の必要があると感じています。事業戦略の視点、働くひとの健康のプロの視点から、今回の問題点について掘り下げてみたいと思います。

過労自殺は個人の問題にしてはならない

今回の痛ましい事件をきっかけに投稿される様々なコメントを見ましたが、 “個人の問題”に終始したコメントが多いことに私は大変違和感を感じています。良く見かけるコメントとして、「こんなに辛いのであれば辞めれば良い、逃げれば良い」といった論調がありますが、メンタルヘルス失調になっている状態で「辞める」という正常な選択肢を判断ことは困難です。様々な報道を見る限り、彼女はうつ病に罹患していた可能性が高く、「辞めればいいのに」という正常な判断を行うことは難しかったのではないかと推察されます。また、倍率140倍を勝ち抜いた東大卒の彼女が、「辞める」、「休む」という選択をすることはエリートコースから外れることを意味し、そのような背景を鑑みても今回のような結果に繋がってしまったのではないかとも考えられます。また、部署全体が疲弊していた可能性も高く、上司も高いストレス下で部下の管理を行わなければならない環境であったため、ハラスメントとも取れるようなコメントをしてしまったのかもしれません。

働くひと全員が対象となりうる過労死を防ぐことは、企業にとっても社会にとっても最重要テーマです。ただ、新入社員の過労死と、40代~50代のベテラン社員の過労死では、少し特徴が異なります。

違いの1点目は、新入社員は「スキルが未熟で仕事の仕方が理解出来ていない」という点です。職場のストレス研究理論でよく用いられる理論に、1990年にカラセックが提唱した「仕事の要求度−コントロールモデル」があります。仕事の要求度が高いにもかかわらず、十分なコントロールが出来ない状態にある従業員ほど心身のストレス反応が高いとされます。新入社員はスキルが未熟であることが多く、仕事のコントロールも難しいことが多いです。これらの要素に、「職場のサポート」という要素もストレス度合いに大いに影響すると言われており、今回のケースは、仕事の要求度が高く、コントロール度が低く、かつサポートが少ないという最もストレスが高く、健康障害が発生しやすくなる状態であったことが容易に想像できます。

違いの2点目は、若い社員は「ギリギリまで体調不良に気が付きにくい」という点です。若さで体力があるため、ベテラン社員と比べ、夜遅くまで残業してもカラダへの影響が出にくいので、身体は大丈夫だが急にココロががくんと折れてしまうのです。ココロが折れる前に、本当はカラダの不調もあるはずなのですが、なかなかそれに気が付きにくい傾向があります。また、今の若者が扱っている情報は、30年前の企業戦士たちが取り扱っていたものと量も質も全く異なるものです。入社早々即戦力として活躍が求められる現代の新入社員は、極度の高ストレス状態になりうる可能性を構造的に持っています。

だからこそ、新入社員の過労自殺を個人の問題とするのではなく、企業として「仕事の要求度」を適切にコントロールし、「職場のサポート」を手厚くする“マネジメント”が重要なのです。

産業構造の変化こそが新入社員の過労自殺の本質だ

それではまず、経営側(事業戦略)の視点で、広告代理店業界について考察してみたいと思います。

この20年で企業の事業戦略は大きく変貌を遂げました。そのきっかけとなったのが、インターネットの普及です。これまでコストがかかりすぎて事業として成り立たなかったビジネスが、インターネットを使うことで成立するようになったのです。EvernoteやDropboxを始めとするフリーミアムモデル(基本的なサービスや製品は無料で提供するビジネスモデル)という、新たな事業戦略が生まれたのもこの頃です。広告代理店という業界も、それまではテレビ・ラジオ・新聞・雑誌というメディア広告中心でしたが、インターネットの登場により、ネット広告という新たな領域が生まれました。そして、インターネットが全世界に普及するにつれて、広告の主戦場が既存メディアからインターネットに徐々に移っていったのは言うまでもありません。

元広告代理店で働いていた方へのヒアリングや、私自身もネット広告企業の産業医をしていて感じるのですが、ネット広告というビジネスは今までのメディア広告業務と全く異なるビジネスモデルだということに気付かされます。これまでの広告ビジネスは、テレビや新聞、雑誌という広告枠を購入して広告を出すという「条件が事前に決まる」ビジネスでした。一方、ネット広告は表示回数などの閲覧結果を踏まえ、「結果によって条件が決まる」ビジネスです。そのため、新卒や若手社員が、朝から晩まで広告の効果改善の修正をしているのです。ネット広告のビジネスモデルは「日々の運用」が肝であり、とにかく労働集約的なビジネスなのです。中小規模の競合企業は、年収300万円ほどの従業員がこれらの改善業務をひたすらに行っています。広告代理店業界のリーダーカンパニーで、倍以上の年収をもらっているであろう電通がこのビジネスで勝負するためには、社員は2倍以上の働きをしないと収益性では理論上追いつけないことになります。この構造こそが、過重労働を状態化させた本質の要因なのです。9月には、ネット広告を扱う部署で一部の広告を契約通り掲載しないという取引が判明したことからも、企業全体がこれらの産業構造の変化に十分対応しきれていなかった可能性も伺えます。

産業構造の変化が起こった業界の既存企業は「ルールを見直せ」

既存メディアで電通が確立した利益を生み出す勝利の方程式は、ネット広告という新しい産業構造には通用しません。推察の域を出ませんが、企業として産業構造の変化への対応を急ぐあまり、ネット広告のビジネスモデルの構造を十分に理解できておらず、必要なリソースも十分に投下されることなく、目標だけが先行していたのかもしれません。

このように、過去に成功体験のある企業が、産業構造の変化にともなって対応を迫られるケースは少なくありません。イギリスの自然科学者ダーウィンの名言でも、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」とあるように、変化への対応こそが、企業が生き残る唯一の方法なのです。産業構造の変化が起こった場合、まったく異なるルールで勝負することが求められます。しかしながら、社内の決裁権、人事や採用、給与待遇等様々なルールは、過去のビジネスモデルに最適化されています。新市場での競争において、既存の業界構造を前提としたルールを適用したいびつな運用が、今回のケースのように過重労働を状態化させた可能性は否定できません。

まだまだ未熟な経営者である私がここで議論出来る話ではないことは重々承知の上ですが、こういった産業構造の変化がある限り、新たな悲劇が発生することは容易に想像ができます。企業が事業戦略の見直しを迫られた場合、取るべき手段はルールも含め“抜本的に”見直すことです。多くの既存企業にとって、既存のルールを捨てることは難しいことです。本当に新市場での覇者になろうとするのであれば、それは子会社で行うべきです。そして、そこでは既存の業界ルールではなく、新市場で勝てる新しい“ルール”を整備しなければなりません。例えば、今回のケースでは、給与や人事評価制度自体も新しい別会社にして、ネット広告という新市場で勝てる人材を登用するなどの方策が必要だったのかもしれません。大企業の中で、これを実行することがいかに難しいことなのかは、理解しているつもりです。しかし、企業が本気で考え、覚悟を決めることから始まるのだというのもまた事実なのです。

働くひとの健康へのアプローチを考える場合、我々専門家は「作業環境管理」⇒「作業管理」⇒「健康管理」という順番で考えていきます。前述の産業構造の変化への事業戦略上の対応は、まさに「作業環境管理」であるといえます。このような考え方をする大きな理由は、上流である作業環境管理に行けば行くほど本質的な課題となり、そこへのアプローチが最も有効になるからです。だからこそ、個々の健康管理に個別に対処することも重要ですが、本質的な課題に切り込むことがこういった不幸な出来事を防ぐ抜本的な解決法だと考えています。

過労死を防ぐ対処法を仕組み化する

次に、働くひとの健康のプロの視点から、解決策について考察します。

前述の通り、過労死を個人の問題にしている限り、この悲劇は日本からなくなりません。皆さんの中にも、徹夜を繰り返して仕事で褒められたこともあるかもしれませんし、死ぬほど働いた結果成果をあげられたことを誇りに思っている人もいるでしょう。しかし、自分の子どもに同じことをさせたくない気持ちがあるのであれば、それはあくまでも自分自身の話として、胸の中にしまっておきましょう。

ここでは、産業衛生の観点から過労死を防ぐ仕組みについて3つのアプローチを提案します。

1. 長時間労働是正に対するトップのコミットメント
組織の健康度を高めるためには、トップがその宣言をしないことには絵に書いた餅となってしまいます。「鬼十則」に代表されるくらいのプロ意識集団を作り上げた電通だからこそ、意識改革は非常に厳しいものになるでしょう。しかし、トップが繰り返し言い続けることで長時間労働に対する社内のあり方が変わり続ける可能性はあります。トップのコミットメントこそが健康経営のスタートであり、これ以上効果的なものはありません。

2. 過重労働対策チームの設立

現在も多くの企業で、職場の安全や衛生を審議する委員会があります。その委員会に付属するチームでも良いですし、プロジェクトベースでもかまいませんが、過重労働対策チームを設置し、PDCAをまわすことが重要です。当然、トップからの号令と権限付与によって、そのチームがよりいきいきとするものになることは言うまでもありません。一部署から始めるといったスモールスタートも成功の秘訣かもしれません。

3. 日常的に利用される独立した相談窓口の設置

どんなに制度を充実させてもビジネスを行っている以上、健康を害する社員は一定の確率で出ます。多くの大企業ではEAP(従業員支援プログラム)などのカウンセリングサービスを導入している場合もありますが、利用率が低いことやアクセスの敷居が高いことが課題となっています。そういった意味では、より気軽に相談ができ、人事からも独立した相談窓口の設置は不可欠になっている時代だと言えるでしょう。

最後に

繰り返しになりますが、過労自殺を個人の問題ではなく、企業全体の問題、さらには社会全体の問題と捉えない限り、このような悲劇は防ぐことが出来ません。インターネットの時代に突入したことで、今までの収益モデルが通用しなくなり、危機感を認識しているにもかかわらずルールを変えられない既存企業の体質こそが、このような悲劇の本質なのではないでしょうか。過重労働が常態化しているような産業は、何も広告代理店産業だけではありません。今回の悲劇から同じような構造を抱えている企業が何を学び、そして産業構造の変化からどのような健康障害が発生するのか。過重労働や過労死と言う問題に対して日本全体で向き合っていき、このような悲劇が起こらないことを願ってやみません。

時代は、健康に配慮する時代から、健康に投資をしていく時代に突入しています。労働生産人口が減少してく日本社会では、健康に留意しない企業は、優秀な人材の獲得が困難になります。その結果、企業の業績は悪化し、その企業の過重性が増していくという負のスパイラルに突入してしまうのです。産業構造の変化に立ち向かっていくためにも、今一度従業員の健康を創り出すために企業としてどんなことができるのかを考えるきっかけにしていただきたいと思います。

参考資料
・電通IR情報、CSRレポート、ホームページ

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