海宝直人 88年千葉県生まれ。95年『美女と野獣』チップ役でデビュー、99年から『ライオンキング』初代ヤングシンバを3年間演じる。08年『ミス・サイゴン』以降、大人のミュージカル俳優として活躍、『レ・ミゼラブル』『アラジン』『ライオンキング』『ノートルダムの鐘』等で大役に挑戦。17年5月からは『レ・ミゼラブル』で再びマリウスを演じる。(C)Marino Matsushima
(前回16年4月のインタビューは2頁目以降、『ジャージー・ボーイズ』観劇レポートは最終頁に掲載)
苦しみの果てに“希望”があった
『ノートルダムの鐘』カジモドという役
『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ(C)Disney 公演は6月25日まで四季劇場「秋」にて上演中ですが、海宝さんの出演回は終了。
「そうですね。たくさん機会をいただけた一年でした」
――まずは『ノートルダムの鐘』のお話からうかがいますが、稽古場見学会で至近距離で拝見した際、カジモドは極めて肉体的に負担の大きなお役に感じました。例えばお顔の筋肉はずっと歪んでいらっしゃいましたね。
「そうですね。でも回を重ねる中で自分の中では負担が減ってきたというか、体がそこに順応してきた感じはありました」
――背中もずっと丸めていて、あのまま固まってしまわないか、心配になるほどでした。マッサージなどはされていたのですか?
「あの状態がスタンダードだったので、固まっているんだか固まってないんだか、自分でもわからない状態でした。マッサージは通し稽古の直前に一度やっていただいたのですが、ちょっと体のバランスが変わってしまって、高い音が出にくくなってしまったんですね。ちょっと怖いなと思って、この演目の間はがっちりしたマッサージはしないようにしていて、代わりにストレッチを入念にやるようにしていました。ほぐしすぎるのも怖いなと思いまして。何せ特殊なポーズをしながら、体のどこに空気が入って、どこに力を入れたらいいかと考えながら歌っているので、筋肉がほぐれるとまた違うところを使わなくちゃいけなくなってきます。急激に筋肉の状態が変わると体がびっくりするので、あまり大きなほぐしというのはやらないようにしていましたね」
――ほかの演目より自分の肉体に敏感になりましたか?
「なりましたね。あれほど自分の声に対してセンシティブになったのも初めてですし、これまであまり声を潰すことがなかったのに、『ノートルダムの鐘』では稽古中にちょっと声が潰れて出なくなってしまったことがありまして、果たしてどういう声がいいんだろうと模索しましたね。どこにひっかければこの声で歌えるかと、ものすごく研究しました」
――カジモド役はトリプルキャストでしたが、3人で意見交換されたりも?
「発声に関してはそれぞれにやっていました。稽古の一番最初に、姿勢のことも含めて、演出家から、アメリカの初演の俳優はこういうふうにやっていたけど、それぞれの骨格に合った形があるから、自分が3時間やりきれる場所を探してほしいと言われたのです」
――内容の部分ですが、筆者が観ていてとても突き刺さるのが、エスメラルダ救出を諦めて塔にこもったカジモドに、ガーゴイルが“いいよカジモド、好きにしなさい”“どうせ私たち石だものね”と突き放すくだりです。確認ですが、舞台版のガーゴイルというのは“カジモドの心の声”なのですよね。
「そうですね、まさに心の声ですね。だからあそこは、(突き放す言葉によって)すべてを諦め、自分を攻撃し、見放している、という残酷な場面なんです。ガーゴイルたちにそう言われる前に、“うるさい、僕が手を出すとどういうことになるかわかっただろう、ひどいことになるんだ”と言い放っているのも、全部自分自身に向かって言っているんです。自虐的というか。だからものすごくしんどいですよ、あのガーゴイルの歌の部分は」
――その後再び立ち上がるカジモドですが、結果だけを見ればその命がけの努力は報われません。彼は絶望の中であの結末へと向かうのでしょうか、それとも“出来ることはやりおおせた”という思いを持っていたでしょうか?
「うーん、カジモドとしてはやはり、苦しみが大きかったのではないでしょうか。愛した人たちを一人は失い、一人は自分で手にかけるのですから、もうああいう形で抱きしめながら、地下で眠るしかなかったのだと思いますね。でもその後に皆が出てきて、ある仕草をしながら、未来に対する祈りを託していく。とても希望に溢れたシーンだと思います。そこには僕もいますが、カジモドであり、(本作を劇中劇として演じている中世の)会衆の一人であり……という微妙な立場で存在していて、自分の中ではすごく不思議な感覚なんですよね。いつか愛に満ちた時代が来ることを祈ろう、といって立ち上がるまでの中間点で、それはあの作品でしか味わえない感覚でした」
――そうして立ち上がり、肉布団をとって、締めの台詞を語ります。舞台版は原作と異なる部分がたくさんありますが、最後の台詞だけ、原作そのままなのですね。
「そうですね、そのままで、すごく大切な言葉なんだと思います。立ち上がって振り返った瞬間はもう会衆に戻っていて、カジモドを演じた一人の人間として、この後の出来事を語るわけですが、僕はあそこは思いを込めすぎず、努めて淡々と喋るように努めていました。御覧になっている方に、小説を読んでいるような感覚で聞いていただきたい。ページをめくるような存在でありたいなと思いながら、最後の台詞を語っていました」
――『レ・ミゼラブル』と本作でユゴーの作品を2作演じたことになりますが、共通するものを感じましたか?
「そうですね、原作小説はどちらも読みましたが、『ノートルダムの鐘』はもっと若いころに書いた小説なので、翻訳版を読んでいても文体にポップなものを感じます。小説ではグランゴワールという詩人が出てきて、コミカルなシーンが出て来るんですよ。『レ・ミゼラブル』はもっとシリアスですが、でも根本的に世界を鋭く観ていて、祈りがあるという部分はすごく共通していると思います。未来への祈りを強くメッセージとして伝えようとしていると感じますね」
――日本版初演ということで、アメリカ人演出家(スコット・シュワルツ)と緻密に作り上げて行かれたと思いますが、日本の演出家との違いはありましたか?
「日本の演出家も個性はそれぞれですので、根本的な部分ではあまり違いは感じなかったけれど、文化的な違いで“こういう部分が気になるんだ”ということはありました。例えばアメリカでは聖職者の性的虐待が社会問題になっているそうで、フロローにカジモドが対峙するとき、二人の位置によってはそういうものを想起させてしまう。アメリカではこういう部分について物凄く敏感だから、気にしてくださいと言われて、文化の違いがあるんだなと思いましたね。ただ、大聖堂が舞台ということで、(欧米ほどキリスト教が主流であるわけではない)日本だから理解しにくかったり、手直しが必要になった部分はありませんでした。キリスト教についての深い理解が無くても、感じることができる作品だと思います」
――(日本版の)オリジナルキャストとしてこの難役を勤めた経験は、大きな自信に繋がったのではないでしょうか。
「自分の中ではものすごく得難い、大きな経験になりましたね」
“緻密な音作り”を究めた
『ジャージー・ボーイズ』
『ジャージー・ボーイズ』写真提供:東宝演劇部
「ダブル・キャストで、稽古の時間があまりないという状況の中で、4人のハーモニーはこの作品において絶対的なものなので絶対に外せない、と同時にお芝居も大事で、リアリティのない芝居をしてしまったら成立しないという、一点も妥協できない作品でした。歌唱指導の先生がすごく繊細に音を聴いてくださる方で、それは低すぎる、それは高すぎると、細かく言ってくださって、そのご指摘はものすごく生きたと思います。とにかく限られた時間で高いクオリティに行かなくちゃいけないのが大変でしたね。(レッド・チームの稽古を)見ていることが多くて、(僕らも)やりたいよねと言っていたり。でもそういう状況だったからこそ、ものすごく団結しました」
――音の“高すぎる、低すぎる”というのはもしかして、例えば“ド”の音におさまってはいるけれど、その音幅の中で微妙に高い、低い、というようなことでしょうか?
「はい、4人でハーモニーを醸し出すにあたって、同じ音でも微妙にはまる箇所、心地よく聞こえる場所は変わってきますので。声の“色”もそうです。固い声と柔らかい声ではうまく混ざらない。ちょっとでも違うと方向性が変わってきますので、ホワイト・チームの福井さん、中河内雅貴さん、そしてフランキー・ヴァリ役の中川晃教さんとは、コーラス・グループとして本当に緻密な音(声)作りをしました」
――そうしたご苦労を経て、福井さんが3月に発表したCDでは『ジャージー・ボーイズ』の「君の瞳に恋してる」をデュエットされています。この時は作品の枠を離れた歌唱を?
福井晶一さんのファースト・ソロ・アルバム『Blessings-いつもそばに-』(2017年3月リリース)では「君の瞳に恋してる」をデュエット。
歌い手、俳優として
憧れる“あの人”のように
――そろそろお時間ですので、最後に一つ。以前、今後のヴィジョンをうかがいましたが、今回は海宝さんが“目標”とされている存在がいらっしゃれば、お話いただけますか?「海外の方ですが、ノーバート・レオ・バッツ(05年『Dirty Rotten Scoundrels』と11年『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』でトニー賞主演男優賞を受賞した米国人俳優)が好きです。シリアスもコメディも得意な俳優で、なんでも歌える。僕が出た『キャッチ・ミー~』にも出ていましたが、常に“次はどんな作品、どんな役をやってみせてくれるんだろう”と思わせてくれて、目標でもあり、すごく好きな役者さんです」
――ちょっと意外なお名前です。
「最近日生劇場で上演していた『ビッグ・フィッシュ』のブロードウェイ版にも主演していて、CDを愛聴していました。面白くて、哀愁も漂わせる。聴いててすごく好きだなあと思います。彼のように、人生のペーソスを表現できる俳優になれるよう、頑張っていきたいです」
*公演情報*『レ・ミゼラブル』5月25日~7月17日=帝国劇場、8月1~26日=博多座、9月2~15日=フェスティバルホール、9月25日~10月16日=中日劇場
「海宝直人 Birthday LIVE Home My Home in ICHIKAWA 2017」7月21日=市川市文化会館小ホール 「海宝直人 Birthday LIVE 2017 Home My Home in TOKYO」7月25日~7月26日=よみうり大手町ホール
「海宝直人LIVE NAOTO at home」公演レポート
(2017年3月9日)
『海宝直人LIVE NAOTO at home』3月9日公演より。(C)Hideo Nakajima
後半は“僕はドラえもんとディズニーで出来あがっています”という海宝さんらしく、ディズニー・メドレーにてスタート。「星に願いを」~「Can you feel the love tonight(『ライオンキング』。サビの高音“Can”が伸びやか)」~「The Beauty and the beast(『美女と野獣』日本語)」~「A Whole New World(『アラジン』日本語、サビの“自由~”の音の上昇が実に滑らか)」と、ゆかりの作品の楽曲を歌い、続いて『ヘラクレス』の「Go the distance」と『トイ・ストーリー』の「You’ve got a friend in me」を披露。前者は“なぜかリクエストの多い”楽曲とのことで、確かに海宝さんの雰囲気にぴったりですが、“持ち役”の楽曲とはどこか違う、フレッシュな歌唱。後者はジャジーなアレンジですが余裕たっぷりに歌い、たちまち場内を大人の空間に染め上げます。続いては“日本のアニメも”と『銀河鉄道999』のテーマと映画『ドラえもん のびたと太陽の伝説』から「この星のどこかで」。前者もお父様のコレクションを“荒らして”いる中で発見した曲だそうで、“新しい風に心を洗おう”という歌詞をそのまま立体化したような、躍動感溢れる歌唱。最後の“stars”も力強く、本当に星に届く勢いで伸び、この日のベスト歌唱ではないでしょうか。後者のドラえもん映画のテーマ曲は海宝さんが“ぐっとくる曲”だそうで、思い入れたっぷり。
『海宝直人LIVE NAOTO at home』3月9日公演より。(C)Hideo Nakajima
そしてラストナンバーは、数日前まで演じていた『ノートルダムの鐘』から、意表をついて……エスメラルダのナンバー「いつか(Someday)」。“いつか夢はかなう 祈ろう世界は変わると”という歌詞のこのナンバーを、海宝さんは本作のテーマではないかと思っているそう。“(亡くなった)エスメラルダをおろして、そこにフロリカ(の亡霊)のソプラノ(が歌うSomedayの旋律)が響いてくるのを、カジモド役として、何とも言えない気持ちで聴いていました”という彼の歌唱は透明感に満ち、本編の感動がよみがえったのか、周囲の座席には涙を拭う方もちらほら。出演を終えた今、海宝さんの中にはこの役を自分が演じたことが信じられないような不思議な感覚があるのだそう。“、いったん(上演)劇場に役を置いてきたけれど、人間として役者として転機になった作品なので、(また機会があれば)体が許す限りチャレンジし続けていきたい。そして原作者ユゴーの社会風刺と観察眼を丁寧にくみ上げて(次は『レ・ミゼラブル』で)表現していきたい”と熱く語ってくれました。
そして“聴いてくれる方がいなければ、独り言でしかないので、皆さんが集まってくださることは奇蹟のようです”と感謝の言葉を述べ、アンコールを2曲。『Smash』の「Big finish」とディズニーランド・カントリーベア・ジャンボリーの「Come again」(←本当にディズニーお好きですね)で明るく、ゆるりと締めくくります。その高度なテクニックと誠実な人柄はもちろんですが、何より海宝さんの“歌うことの喜び”に溢れた時間は、爽やかのひとこと。彼の“歌遍歴”とも言えるレパートリーを聴きながら、こちらも彼の半生を楽しく振り返らせていただいたような気分で、会場を後にしました。
*次頁で16年4月の海宝さんへのロング・インタビューを掲載。『ライオンキング』『アラジン』やこれまでの歩みについて、丁寧に語っていただいています!