『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


1985年のロンドン初演以降、長きにわたって人々に愛されてきた『レ・ミゼラブル』。本作はそもそもどんな作品で、なぜ絶大な人気を誇ってきたのでしょう? この特集では2019年、新たにジャベール役を演じる上原理生さんへのインタビュー、そしてマリウス役を演じる海宝直人さんのインタビュー(2017年)を中心に、作品の魅力を探ります。
 

ミュージカル『レ・ミゼラブル』とは?

ヴィクトル・ユゴーの同名小説をアラン・ブーブリルとクロード・ミシェル=シェーンベルクが舞台化したミュージカル。80年に原型となる舞台がパリで初演、キャメロン・マッキントッシュをプロデューサーとして改作し、85年にロンドン、87年にブロードウェイで初演。トニー賞では作品賞をはじめ8部門を受賞しました。台詞劇に歌やダンスをはめ込むのではなく、全編が歌で表現される形式が特徴。全世界での観客数は7000万人を突破し、2012年の映画版も世界的に大ヒット。日本では87年に初演、2019年3月時点で3172回と、東宝演劇史上最多の上演回数を誇っています。
     

ミュージカル『レ・ミゼラブル』あらすじ

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


1815年フランス、ツーロン。パン一つを盗んで19年間投獄されていたジャン・バルジャンは、仮出獄後、銀の燭台を盗むが司教に許される。8年後、改心した彼が市長を勤めるモントルイユ・シュール・メールでは、工場を解雇されたファンテーヌが娘コゼットに仕送りをするため体を売り、病に倒れる。彼女から娘の身の上を託されたジャン・バルジャンは自分を追う警部ジャベールを振り切り、コゼットが預けられたモンフェルメイユへ。テナルディエ夫妻の宿屋で下働きをさせられていた彼女を助け出し、パリへと向かう。
 
『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


10年後の1832年、成長したコゼットはオルレアン朝打倒を叫ぶ学生たちの一人マリウスと恋に落ちるが、革命(六月暴動)は市民の支持を得られず、失敗。マリウスを慕うエポニーヌやリーダーのアンジョルラスらが次々に政府軍の銃弾に倒れ、マリウスも重傷を負うが、バルジャンに助け出される。途中で現れたジャベールは二人を通してしまい、自己矛盾に苦しみ投身。傷心のマリウスはコゼットの献身で立ち直り、結婚するが、命の恩人がバルジャンであることを知り、妻とともに彼のもとへ。二人に告白の手紙を渡したバルジャンは、彼らに見守られながら息を引き取る。
 

『レ・ミゼラブル』が愛される3つの理由

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

■長編小説を流れるように描き切る“全編歌”という形式
原作は岩波文庫版で4巻にも及ぶ大作ですが、作者たちはバルジャン世代、次世代のドラマをバランスよく纏め、台詞をすべて音楽に乗せることで物語を流麗に展開。休憩を除き3時間弱で描かれる人間ドラマをジェットコースター的に進行させ、飽きさせません。

■鮮烈に浮かび上がる、登場人物たちの懸命な生きざま
神との約束のもとコゼットを守りぬくバルジャン、正義のため彼を追うジャベールはじめ、本作では愛や信仰、欲望、正義など、様々な動機をもって懸命に生きる人々を重層的に描写。観客がそれぞれに心を寄せられるキャラクターが存在するのは、本作の大きな強みと言えます。

■“フレンチ・ミュージカル”ならではの情感溢れるメロディ 近年人気の、フレンチ・ミュージカルの元祖と言えるのが本作。「夢やぶれて」「幼いコゼット」等のメロディには欧州ポップス特有の哀愁がある一方で、「民衆の歌」「ワン・デイ・モア」等の合唱曲も力強く、時代を超えて人間の心を揺さぶります。

ジャベール役・上原理生インタビュー(2019年)

上原理生 埼玉県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業後、11年『レ・ミゼラブル』アンジョルラス役でデビュー。その後『ロミオ&ジュリエット』『ミス・サイゴン』『1789 -バスティーユの恋人たち-』『スカーレット・ピンパーネル』『ピアフ』等の舞台出演のほか、CDリリースやコンサート開催など音楽活動も展開している。(C)Marino Matsushima

上原理生 埼玉県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業後、11年『レ・ミゼラブル』アンジョルラス役でデビュー。その後『ロミオ&ジュリエット』『ミス・サイゴン』『1789 -バスティーユの恋人たち-』『スカーレット・ピンパーネル』『ピアフ』等の舞台出演のほか、CDリリースやコンサート開催など音楽活動も展開している。(C)Marino Matsushima


演じる度に発見がある、不思議な作品

――上原さんにとって『レ・ミゼラブル』はどんな作品でしょうか?  「何と言っても、デビューさせていただいた作品なので、出演の度に“帰ってきたな”という感覚がありますね。2年刻みで出演してきて、今回が5回目の『レ・ミゼラブル』です」
 
――5回連続で“挑みたい”と思えるほどの演目なのですね。
 
「ひきつけてやまない魅力がぎっしりなんでしょうね。お客様もそうかと思いますが、僕自身、やるたびに発見があるんです。不思議な力を持つ作品だと思います」
 
――アンジョルラス役については、4回目の前回で“完全燃焼”という感覚でしょうか?
 
「前回の公演中に、もうこれが最後かなという感覚が自分の中でありました。というのは、なぜアンジョルラスたちが革命を起こそうとしたかとか、その理念が“すっかりわかってしまった”感というか、ともすると革命に成功してしまいそうな自分がいまして(笑)。もちろんアンジョルラスたちは勝ちには行っているのですが、結果的になぜ敗北するのかが分からなくなりかけていて、本来、ユゴーが描いた学生たちの思いからは乖離してしまっているのかな、と。
 
(前回の公演では)周りの学生たちのキャストが一新されて、学生運動の中にプロの革命家が一人入っているような感覚もありましたね。学生たちには“青さ”や儚さがあったほうがユゴーが描きたかった美しい姿だと思うし、そこに僕が居座ることで汚してはいけない、僕自身もステップアップしたいという思いもありました」
 
『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


――本来、アンジョルラスは“すっかりわかっている”のではなく、無我夢中感のあるお役なのですね。  

「(自分たちでは)革命と言っているけれど、その活動は歴史上、“鎮圧された暴動”でしかないんですね。国家の力にはやっぱり、勝てない。そして彼らが大きな力の前になすすべもなく散ってゆく、その姿が胸を打つんです。理想を掲げて信念を貫き通したことで。ただ、どんなに信念をもってやっていても、見方を変えればテロリストになってしまう。それは最後に大八車に乗せられている光景に象徴されてると思います」
 
ジャベールという役との出会い

――今回ははじめからジャベール役志望だったのですか?
 
「挑戦だと思って、ジャベールとジャン・バルジャン役を受けました。役どころというのは自分ではなく人がジャッジするものなので、まずは両方受けてみよう、と。最初の選考で演出家の方に“次(の選考)はジャベール役で来て下さい”と言われて、自分はこの役(のタイプ)なんだな、と有難く思いました。余裕などなく、この役の域に自分が達しているのか不安に思っていましたので、最終的に受かって“本当に良かった…”と一安心しました」
 
――今まで共演された中で、印象に残っているジャベールはどなたの演じたものになりますか?
 
「(吉原)光夫さんかな。すごく、“男”なんですよね。牢獄で生まれて、そこから這い上がっていった男であって、そのバイタリティが凄い。にもかかわらず、最後に崩壊してしまう。光夫さんが演じるジャベールが、警部まで上り詰めて自分の中に確固たるもの築き上げていながら崩壊していく様が、とても印象に残っています。今回はその光夫さんがバルジャン役の一人なので、下手な真似はできないなというプレッシャーを感じています」
 
『レ・ミゼラブル』2017年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2017年公演より。写真提供:東宝演劇部


――吉原さんからは早くも何かアドバイスされていますか?  「まずは自分で(役作りを)やらないとダメですよね。その上で救いの手がさしのべられたら有難くいただくけど、まずは自分で作らないと。試行錯誤して、存分に苦しみたいです」
 
――お話は戻りますが、オーディションでは何を歌われたのですか?
 
「“スターズ”と“自殺”ですね。演出家の方から、彼はいまこういう気持ちだからこう歌ってみようかと言ってもらってそれをやってみる、というワークショップ方式のオーディションでした。“スターズ”に関しては、ここは祭壇で、君は司教だ。そこで神の教えを宣教するような感じで我々に歌ってほしいと言われ、それは面白いなと思いましたね」
 
――執拗にバルジャンを追うジャベールの原動力というのは、あくまで神との契約であるということなのですね。
 
「そうですね」
 
――原作でユゴーは彼の生まれについて、“社会を攻撃するか守るか、そのどちらかにしかなれない”と書いていて、その(被差別民として)追い詰められてきたことも、バルジャンを追い続けた原動力だったようにも思えます。
 
「そうだったかもしれないですね。生まれながらに身分が決まっていた時代に、彼は迫害を受けるジプシーをお母さんとして生まれた。自分が迫害されないためにはどうしたらとすごく考えて、法を守って規律正しく生きることが一人前の人間と辿り着いたのかな、という気がしますね」
 
改めて原作と向き合い、想像を膨らませる

――今回、これまでとは違う役を演じることで、原作も読み返されていらっしゃいますか?
 
「初出演の時に5巻セットで買って、付箋をつけて書き写して勉強しましたが、今回もジャベール関連の箇所を読み返して、気になったところに赤線を引いたりしています。読んでいると、やっぱりジャベールはコンプレックスの塊だったのかな、と感じます。自分の生まれが嫌でたまらないんですね。性的なものに対しても嫌悪感があって、ファンテーヌたちを一網打尽にしようとしたのかな、と。彼には恋仲の人もいなかっただろうし、家庭を作ってといった普通の幸せにすら嫌悪感を抱いていたかもしれない。原作には書かれていないけれど、そんな想像をすることもあります」
 
――では、彼の生きる目標は何なのでしょう?
 
「悪を根絶やしにすること、ではないでしょうか。法を守らない人間がいるから世間が乱れる。それを私が取り締まるんだ、と」
 
――ある意味、ジャベールは清らかなのですね。
 
「そう、ある意味清らかです。ただそれが本当に正しいことなのかは別の問題で、実際、(罪人だった)バルジャンに、人として正しい行動を見せられてしまい、衝撃を受けるんです」
 
――とは言え、自殺までしなくても……。
 
「そうなんですよね、それでは神様のもとにもいけないんですけれどね。でも彼はバルジャンとの関わりのなかで、人としての愛であったり、人としての正しさということに目覚めてしまったのでしょうね。自分を追い続けた人物に対しても情けをかけるバルジャンを前にして、自分は間違っていたのかもしれないと気付く。そうであれば、これまで間違ったものを罰してきた自分としては、今度は自分自身を罰さなくてはならない。人生という職を辞さなくてはならない、それが神のそばに行けない結果になろうとも。そういう人なのだと思います」
 
――ということは、自殺の段階においては彼の内面は穏やかに整理された状態なのでしょうか。あるいはそれでも生への執着との葛藤があるとか……?
 
「どうなんでしょうね、そこはまだまだ突き止めて行かなくてはいけないところで、突き詰めて考えて構築していきたいと思っています」
 
――以前、バルジャンとジャベールを日替わりで演じた鹿賀丈史さんから、この二役は合わせ鏡のような存在とうかがいましたが、そういう実感はありますか?
 
「最近気づいたんですが、バルジャンが体現している神の意思というのは慈愛の神だけど、ジャベールが信奉していた神は悪いことをした人間を罰する神。コインの表と裏というか、同じ“神”でもそういう違いがあって、結果的にジャベールという人間の哀れさが見えてくるのかもしれません」
 
――ご自身の中にはジャベール的な要素はありますか?
 
「いっぱいありますよ(笑)。彼は非常に不器用な人間ですよね。一本気で頑固で、融通が利かない。僕もこうと思ったら突っ走るタイプで、“人間は正論がすべてじゃないよ”とよく言われます。もうちょっと柔軟に生きなくちゃとは思うのですが。そういうところを演出家は(オーディションで)見抜いたのかもしれませんね」
 
――今回、ご自身の中でテーマにされていることはありますか?
 
「自分なりに真実をくみ取って、それを得て動きたいですね。原作は膨大で偉大な大河小説で、そこには一人一人のキャラクターが全部描かれている。それとちゃんと向き合って、ユゴーが描こうとしたものをきちんと表現したいです」
 
――5度にわたり『レ・ミゼラブル』に関わられている中で、改めて、本作の魅力は何だと感じていらっしゃいますか?
 
『レ・ミゼラブル』2017年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2017年公演より。写真提供:東宝演劇部


「やはりそれぞれのキャラクターが豊かに描かれているということではないかなと思います。バルジャンの慈愛であったり、アンジョルラスや学生たちがいくら力が及ばないとわかっていても理想のために戦って命を落とす姿。テナルディエが体現する、人間のバイタリティ。そういったものが僕らの心をつかんで離さないのだと思います」

 ――現代の、ここ日本で上演する意義としては?
 
「これだけ情報が溢れていろいろな人がいる社会の中で、正しいことって何なのか。人として、どう生きるべきなのか。そんなことを教えてくれるのが『レ・ミゼラブル』なんだと思います」 
 
*公演情報*4月19日~5月28日=帝国劇場、6月7~25日=御園座、7月3~20日=梅田芸術劇場メインホール、7月29日~8月26日=博多座、9月10~17日=札幌文化芸術劇場hitaru 公式HP
 

マリウス役・海宝直人インタビュー(2017年)

その“男らしさ”、自身で持て余すほどのエネルギーが
マリウスの全ての行動に繋がってゆく
『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


――『アラジン』『ライオンキング』『ノートルダムの鐘』等、近年、目覚ましい活躍を見せている海宝さんですが、そのきっかけとなったのが15年に初めてマリウスを演じた『レ・ミゼラブル』です。主人公ジャン・バルジャンの養女コゼットと恋に落ちるマリウス役ですが、前回は公演を終えて“もっとこうできた”と心残りな部分があったそうですね。どんな部分だったのでしょうか?

「キャラクターについてですね。前回は(演出補の)エイドリアン(・サープル)から求められた、マリウスの男らしい部分や情熱的な部分を追い求めてはいましたが、それをもっともっと自分の中で説得力をもって演じたいなという思いがあります。マリウスは革命に身を投じたり(注・ここでの革命とは“フランス革命”ではなく、その後の“オルレアン朝打倒を掲げた動き”のこと。原作者ユゴーは1832年6月に起きた“六月暴動”の銃声を実際に聴き、マリウスたちが闘ったという設定で物語に取り込んだ)、恋に走ったりと、いろいろなベクトルが次々でてくる人物ですが、なぜそうなるのか。それを見たお客様に“なるほどな”と共感を持って観ていただきたいので、今回はその瞬間瞬間に出会う人と、出会う感情をさらに丁寧に掘り下げて演じていきたいと思っています」

――前回は“男らしさ”が一つのテーマだったのですか?

「そうなんです。2年前は稽古中盤くらいから、自分がどういう方向性を目指すべきなのか、考え過ぎてしまっている時期がありました。マリウスはトリプルキャストだったので、稽古で他の方が演じているマリウスを観ながら、自分が向かっている方向が正しいのかなと迷ってしまったんです。それをエイドリアンが見抜いて、“悩んでる?”と声をかけてくれて。“マリウスは歌う旋律も甘いメロディが多いから、甘くやわらかな存在というイメージにとらわれてるんじゃないかな。でも僕がオーディションで君をとったのは、君の熱くてまっすぐで男らしい一面を見て、そういうマリウスをやってくれるんじゃないかと思ったからなんだよ”と話してくれ、“ああそうか、その方向で作っていいんだな”と腑に落ちました。それがマリウスの行動すべてに繋がってゆくという前提で、今回さらに深めて行けたらと思っています」

――コゼットに出会う前のマリウスは、そもそもどんなスタンスで革命を志していたのでしょうか。ミュージカル版を観ていると、革命を志す一派のリーダー、アンジョルラスの影響が大きかったようにも見えますが…。
 
『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


「原作では、祖父との確執だったり亡くなった父との関係だったりといろいろ背景が描かれていますが、演じるにあたって、僕はマリウスという人物は、自分の中で持て余しているエネルギーがすごく大きかったのではないかと思っています。アンジョルラスがエネルギーを放出するタイプであるのに対して、マリウスは同じようなサイズのエネルギーをもっていても、それをどこに向けるべきか、はっきりしていない状態だったのではないでしょうか。だからこそ、アンジョルラスと出会ったときに彼の持つ熱量にものすごく共感したのでは。アンジョルラスとしてもマリウスの内面に熱量を感じたからこそ、何か特別な関係というか、二人の中には他とは違う、密な信頼関係が生まれたのではないかと思っています」

――エネルギーを持て余す中で、革命に向かっていったのですね。

「革命を絶対的に正しいと信じ、成功させたいという熱い思いがあったと思います。ただアンジョルラスと違って、彼には見えているものが、マリウスには見えていなかった。自分たちがやろうとしていることに対して漠然としたイメージしかなく、それが具体的には命がけのことで、何かあれば自分たちは命を落とすかもしれないという認識がなかったのではないかな。だからエポニーヌやガブローシュが目の前で死に、“死のう、僕らは”と仲間たちが覚悟を固める中で、マリウスは愕然とするんです。

マリウスはこういう場面が全編を通して多い人物で、コゼットとの出会いもそうです。生まれて初めて女性に惹かれ、出会ったことのない感情に襲われます。それまでは女の子の前で恥ずかしがっていたような青年が、コゼットと街で出会ったあの瞬間、恋に落ち、自分でもどうしていいかわからないなかで、小石を拾って彼女の家の窓に投げ、愛を語るというところまで行ってしまう。そんな、自分の中で出会ったことのない感情に彼は何度も出会って行くんです。マリウスは観方次第で“ぶれている“ように見えることもあるそうですが、そうではなくて“人間味に溢れた”人物として感情移入していただけたら、と思います」

“受け継がれてゆく精神”を象徴するのが
マリウスという役なのだと思う
『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


――つまり本作はマリウスの“成長物語”でもあるわけですね。

「そうだと思います。エポニーヌに助けられ、自暴自棄になって自分が弾を拾いに行くといった時にはアンジョルラスに制止され、闘いの中で瀕死の重傷を負うとジャン・バルジャンに助けられ……と、皆に守られるマリウスですが、その彼が成長し、最後にはコゼットを守る。次の世代を守る。受け継がれてゆく精神を体現するマリウスは、(作品においても)とても大きな役割を担っているような気がします。そしてそれを表現するのがあのラストの構図……マリウスとコゼットがいて、その後ろにマリウスを愛したエポニーヌとコゼットを愛したファンテーヌ、二人を守ったジャン・バルジャンがいて、さらにその後ろには死んでいった民衆がいる。彼らの思いが次の世代に受け継がれ、希望が残る……ということなのだと思います。その希望の象徴になっていくマリウスは、すごく大事な役だと痛感します」
 
『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』2015年公演より。写真提供:東宝演劇部


――2010年のリニューアルに際して、本作のプロデューサー、キャメロン・マッキントッシュがマリウスとコゼットの描写にさらに力を入れたがっていましたが、その真意がつかめたような気がします。ちなみに、マリウスはコゼットのどこに惹かれたのでしょうか?

「それまでマリウスの周りにいた女性とは違って、ピュアでありながら、すごく自立している。その凛としたものが、街なかで彼女とぶつかった瞬間に感じられた。具体的にはよくわからないけれど、この女性は今まで出会った女性とは違う、というのが出会ってすぐ、マリウスにはわかって、ひきつけられたではないでしょうか。そして彼女のそういう部分は、ジャン・バルジャンに育てられてこそだったと思います。新演出版ではとりわけ、“ただ守られるだけのキャラクターではない”ことが明白だと思います」

――もう一つちなみにうかがいますが、マリウスはコゼットの家を訪ね、小石を窓にぶつけて彼女を呼び出した後、彼女としばし、舞台上から姿を消します。その間、何をしていることになっているのでしょうか?

「原作だと愛を語らっている描写があるので、そうなのかなと思いますが、あそこはお客様次第かなという気がします。小石を窓にぶつけてからは、バルコニーの上下で会話をするというシェイクスピア(『ロミオとジュリエット』)を意識した演出に(新演出版では)変わっているので、ようやく会えた相手に言葉で愛を伝えるということを、大事にしていた時間だったのかもしれません。原作では、マリウスは現代人には歯が浮くような(熱烈な愛の言葉を)手紙をたくさん書いているので、そういう(ロマンティックな)ひとときだったのでは。実際のところ、演出家からその箇所についての指定はないので、お客様の想像に委ねられていると思います」

――前回公演で回を重ねるなかで、マリウスについて“見えてきた”ものはありますか?

「マリウスはもともとトリプルキャストでカラーが様々でしたが、自由度があり、演じる役者次第でいろいろできる役でした。一つ、自分の中で不思議に思っていたのが、マリウスが瀕死の重傷を負う直前の行動です。(六月暴動の折に)仲間たちが“死のう、僕らは”と決意を固めるなかで、マリウスはバリケードを降りようとして撃たれ、落ちてそこにアンジョルラスが駆け寄ってくるというミザンス(動き)がついていて、なぜあの瞬間にマリウスは降りようとしていたんだろう、と思ったのです。稽古を重ねる中で見えてきたのが、彼はあそこで初めて、死を覚悟できてない自分に直面した、ということ。死を恐れはしないアンジョルラスも別人に見えたのかもしれません。その瞬間、自分はこういう状況になるようなことをしてたんだと戸惑い、ここから離れなきゃいけないという感覚に襲われ、それがバリケードを“降りる”という行動に繋がったのかもしれません。

ところがその咄嗟の行動のために彼は結果的に生き残ることになって、彼の心にはものすごく罪悪感が刺さっていたのではないでしょうか。降りる途中で撃たれ、そんな自分にアンジョルラスが駆け寄る、それを止められず、目の前で仲間たちがどんどん撃たれていくのに何もできない……。それが自分を責めるソロの「カフェ・ソング」へと繋がっていって、そして「心は愛に溢れて」(リプライズ)で立ち直り始める、という流れが、稽古を重ねる中で次第に腑に落ちていったんです。

前回はこうした解釈で演じていましたが、今年(2017年)の公演ではそれに限定されず、稽古を通してまた新たな気持ちで様々な方向性、解釈を模索したり、深めていきたいと思っています」

“歌う”よりもしっかりと“語れる”
歌唱を目指したい
製作発表では3人のマリウスが並んで歌唱披露。左から海宝さん、内藤大希さん、田村良太さん。(C)Marino Matsushima

2017年公演の製作発表では3人のマリウスが並んで歌唱披露。左から海宝さん、内藤大希さん、田村良太さん。(C)Marino Matsushima


――海宝さんの歌唱は非常に演劇的で、心の動きが生き生きと伝わって来ますが、それは今、お話いただいたように役の行動を細やかに分析し、心情を考えながら歌詞を組み立てて歌っていらっしゃるからなのですね。

「そうですね、『ノートルダムの鐘』のカジモドもそうでしたが、僕の中では“いかに気持ちよく歌わないか”というのが一つのテーマです。ミュージカルではどうしても、美しい旋律とオーケストレーションがあって、大きなホールでマイクで歌うという状況に飲み込まれて、気持ちよくなってしまいがちなのですが、それではいけない。歌うというより、しっかりと語ってゆく、喋ってゆくということを大切にしなければいけない。そこが勝負どころだと思ってやっています。

そのきっかけになったのが、この作品との出会いでした。もともと歌はすごく好きで、自分で練習もしていたけれど、2年前に本作に出演させていただいて、音について求められる繊細さ、緻密さにカルチャー・ショックを受け、まだまだ足りない、自分は甘いと思い知ったのです。例えば「心は愛に溢れて」には半音階の部分と全音階の部分があって、ちょっとした違いに聞こえるけれど、それにはちゃんと意味がある。それを外して歌ってしまうと、どんなにエネルギーを持って感情で歌おうとしても、それはこの作品の歌としては成立しないんだよ、と音楽監督のビリー(山口●=王へんに秀 也)さんがおっしゃっていて、衝撃を受けました。(ジャン・バルジャン役の吉原)光夫さんもおっしゃっていましたが、この作品では楽譜が台本なんですよね。譜面を読み解く、ということに直面出来たのは、自分が俳優として、芝居として歌を歌う上で、ものすごく大きな転換点になったと思います」

――本作はもともとフランス発ですので、どうしてもフランス語の抑揚に影響を受けた旋律になっている部分もあると思います。日本語の歌詞を乗せると、やりにくいと感じる部分があったりしませんか?

「それは翻訳ミュージカルの宿命ですが、現場では柔軟にやっていただいています。例えば『ノートルダムの鐘』では日本初演に関わらせていただきましたが、英語の原詞で手に言及している部分があって、振付もそれに即して手を動かそうとした時、“ここの訳詞では手という言葉は出て来ない”となれば、違う動きを相談するというようなことが、海外のスタッフとのやりとりの中でありました。『レ・ミゼラブル』でも、エイドリアンから細かく“ここの日本語訳は(英語に直訳すると)どうなっている?”と確認され、それに応じて“それなら、こういう表現は合わないね”と違う歌唱表現を相談したりと、柔軟に、細やかに作っています」

『レ・ミゼラブル』のテーマとは。

――原作者のユゴーがこの作品で伝えたかったメッセージを、どうとらえていらっしゃいますか?

「一つの大きなテーマが“愛”なのだと思います。(ジャン・バルジャン役のヤン・)ジュンモさんもおっしゃっていますが、本作の歌詞にもある“愛することは神様のおそばにいることだ”というフレーズは、この作品の大きなテーマではないでしょうか。映画版の『レ・ミゼラブル』では、(死の床にある)バルジャンを最初に(ファンテーヌでなく)司教様が迎えに来るというのがラストシーンになっていて、それも好きではあるんですけど、僕はミュージカル版の演出が、あるべき形なのかなと思っています。バルジャンがファンテーヌに迎えられ、マリウスとコゼットの後ろに彼らを愛した人々と、さらには愛の力で社会を変えようとした民衆が立ち、民衆の歌を歌う。決して“戦い”ではなく“愛”がテーマの作品なのだと思っています」

*海宝直人プロフィール*88年千葉県生まれ。95年『美女と野獣』チップ役でデビュー、99年から『ライオンキング』初代ヤングシンバを3年間演じる。08年『ミス・サイゴン』以降、大人のミュージカル俳優として活躍、『レ・ミゼラブル』『アラジン』『ライオンキング』『ノートルダムの鐘』等で大役に挑戦。17年5月からは『レ・ミゼラブル』で再びマリウスを演じる。(『ノートルダムの鐘』等、最近手掛けたお役についてのインタビュー記事はこちら
 

『レ・ミゼラブル』2017観劇レポート
“混迷の時代”を疾走する人々が生き抜きながら渡す“魂のリレー”

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


2011年に初登場し、2015年、そして今回と上演を重ねてきた新演出版『レ・ミゼラブル』。リアルな表現を追求した新版は今回、続投組、新規参加双方のキャストを得、キャラクター一人一人の人物像と関係性がよりクリアなものとなる一方で、新たな解釈の余地を加え、ダイナミックな人間群像劇として客席へと迫ります。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


主人公のジャン・バルジャンは改心後の“神のような”善行の数々が印象に残りがちな人物ですが、この日のキャスト、福井晶一さんのバルジャンは一貫してアグレッシブ。不条理に翻弄され、社会への復讐を誓っていたものの、司祭の無償の愛に触れて衝撃を受けて改心。神の意志に叶う人間に生まれ変わろうと決意するナンバー「独白」での、言葉の一つ一つが思いを含んで粒だった歌唱、そして仮出獄証を破り捨てる姿の力強さがまずは出色です。

その後も、荷馬車の下敷きになった男をとっさに助け、自分と間違われて囚われた男を助けるため正体を明かし、ファンテーヌの娘コゼット救出のためジャベール警部と対決、パリに出てからは娘の恋人マリウスを守るため戦いに身を投じ、銃弾に倒れた彼を渾身の力で助け……と、劇的状況に見舞われる度、福井バルジャンは決して受け身にならず、自ら奮然と立ち向かう。外見こそ次第に齢を重ね、マリウスについて“彼は若い”と歌ったりもしますが、その声は決して老け込まず、無我夢中で行動してゆくのです。そんなバルジャンだけに終盤、自らの死を予感し、“精も根も尽き果てた”姿との落差は激しく、彼が人生を懸命に生ききり、その灯が消えようとする瞬間、場内は厳かな感動に包まれるのです。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


そんなバルジャンを脱獄犯として執念深く追い続けるジャベール警部は、表面的には“敵役”に見えますが、原作者ユゴーはもともとバルジャンとジャベールを“合わせ鏡”的な存在として描写。本作でもバルジャンと時に同一の旋律を歌うことでその関係性が示されています。この日演じた川口竜也さんは特に前半、清廉な高音を響かせ、その行動がバルジャンと同じ“神のために”という動機によるものであることを提示。バルジャン逮捕を誓うナンバー「星よ」では、薄暗い場面の連続から一転、神々しいばかりの白い光が舞台を包み込み、“彼もまた正義の人である”ことが演出的にも強調されます。生真面目な中にも冷徹さではなく体温を感じさせる川口ジャベールは、彼がなぜ苦しみ、最終的に“敗者”とならなければならなかったのか、彼の間違いは何だったのかと観る者に問いかけ、漆黒の彼方へと消えてゆきます。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


バルジャンを筆頭に様々な人間模様が展開する本作ですが、彼らが放出するエネルギーは最終的に一つに束ねられ、フィナーレを迎えます。そのキーパーソンとなるのが、ファンテーヌから娘コゼットを託され、大切に育てあげたバルジャンが、次に彼女を託そうとするマリウス。ナイーブなこの青年が生きることの真の意味を知り、“父世代”からバトンを受け継いでゆくさまを通して、人間とはそのように“魂のリレーをしてゆくものだ”という、作品のメッセージが放たれるのです。この日の海宝直人さん演じるマリウスは、エネルギッシュではあるが決して器用なタイプではなく、序盤は大いに頼りない。コゼットと出会って恋に落ちると、実際に飛び跳ねたりと喜びを全身で表現しますが、いざ二人きりになるとどぎまぎし、彼女が空気を変えようと咳ばらい……という、コミカルな描写もあります。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


そんな彼が出会ったばかりの彼女との仲を裂かれて自暴自棄となり、さらに目の前で次々と仲間たちが倒れてゆく様を目の当たりにし、心身に深い傷を負う。革命仲間がほぼ全滅となり、一人残された孤独を歌う「カフェ・ソング」では、歌詞の意識の折れに沿った海宝さんならではの細やかな歌唱が胸を打ちます。その後コゼットの献身によって回復した彼は、自分を助けた恩人が誰であるかを知り、急ぎ彼のもとへと駆け付ける。“恩人”に見守られながらコゼットと手を取り合う幕切れの彼の、今度は自分がバトンを持って懸命に生きる番なのだと悟った厳粛な表情は、本作の希望そのものなのかもしれません。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


上記の3人は続演、あるいは3度目の出演ですが、新規参加キャストで新たなカラーを醸し出しているのが、アンジョルラス役の相葉裕樹さん。“革命”を起こそうとする学生グループのリーダー、アンジョルラスはこれまで頼もしい“兄貴”タイプの方が演じてこられましたが、相葉さんが演じるアンジョルラスは長身だがスレンダーで若々しく、海宝さん演じるマリウスの“兄貴分”というより、知的な同級生といったオーラ。二人が並んだ時の、言葉を超えた信頼感が清々しく、海宝さんがインタビューで言っておられた「(アンジョルラスとマリウスは)本質的には同じものを持っているが補完し合う関係でもある」ことが容易に納得できます。そんな彼が論理的なスピーチで学生たちを束ね、革命を起こそうとするが、武器の量も、訓練も十分ではなく、“実戦”の行方は目に見えている。それでも最後まで“市民に見捨てられたとしても、僕らは見捨てない”と宣言し、バリケードの頂で旗を振る。敵の攻撃を受け、旗が落ちても今度は拳固を高らかに掲げ、力の限り“志”を見せようとする……。客観的に見ればあまりにも青く、無鉄砲な若者の”儚い生“の象徴として、相葉アンジョルラスは強い印象を残します。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


もう一人、興味深い“新キャラ”として登場したのが、橋本じゅんさん演じるテナルディエ。客からとれるものは何でも掠め取ってやろうとする宿屋の亭主から、強盗、果ては死体から金目の物をとる泥棒になり下がり、その過程で何度もバルジャンの人生と交錯する役どころです。強烈なバイタリティの持ち主ではありますが、橋本テナルディエにはどんな状況にあっても人生を楽しんでしまえという思い切りの良さが漂い、陽気ですらある。実際、動乱続きの状況ではこういう生き方もあっただろうと思わせる、不思議なリアリティを醸し出しています。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


また同じく新キャストの二宮愛さん(ファンテーヌ)は病床でコゼットの幻影を見る姿に愛が溢れ、松原凜子さん(エポニーヌ)の、諦観を抱えながらマリウスへの恋心を歌う地声の歌唱には情感と聡明さが。生田絵梨花さん(コゼット)は愛されて育った少女のオーラが歌声にも反映されています。
 
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部

『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部


もちろん、エネルギッシュで憎めないマダム・テナルディエ役の谷口ゆうなさん、荘厳な低音の司祭役・増原英也さん、生活感ある工場長役・伊藤俊彦さんら、そのほかのキャストも見逃せません。登場人物の一人一人が混迷の時代をどのように生き抜き、死に、そして次代へと魂のリレーを行ってゆくか、現代を生きる観客として真摯に向き合い、体感したい舞台です。

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