ディズニーの長編アニメーション版(1996年)をベースとしながらも、よりヴィクトル・ユゴーの原作の要素を取り入れ、人間の“業”と”希望”を深く描き出すミュージカル『ノートルダムの鐘』。この特集では劇団四季による日本版誕生の軌跡をレポート。またその後の最新情報も随時アップデートしてゆきますので、どうぞお楽しみに!

《目次》

  『ノートルダムの鐘』名古屋公演・観劇レポート:さらに鮮明さを増す人間の“光と闇”

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。カジモド(飯田達郎)(C)Marino Matsushima

東京での日本初演の後、京都、横浜公演を経て18年9月22日、名古屋公演が開幕。さらに円熟味を増した『ノートルダムの鐘』を、撮りおろし写真とともにレポートします。
(配役は筆者が鑑賞した日のものです。また作品分析的な要素がありますので、未見の方はご注意ください。)
 
流麗な芝居の中で光るアンサンブルの個性
 
初演開幕から2年近くが過ぎた『ノートルダムの鐘』。海外スタッフが加わっての直前稽古を経て、名古屋公演ではまず、一分の隙も無くアラン・メンケンの起伏豊かな音楽と一体となり、シームレスに物語を紡ぐカンパニーのチームワークに目を見張らされます。
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

特に人間から背景まで次々と役柄を変え、時には黒子もつとめながら場面を支えるアンサンブルの、流麗な中にもメリハリある演技。石像役としてカジモドに話しかける際のアクションとフリーズの切り替わり一つをとっても、小気味よいほどシャープで、彼らが実際には動くはずのない“石”であり、孤独なカジモドが心の中の声と対話しているさまを示唆する演出を際立たせています。また厳格な神父役で平良交一さん、高慢な男役で高舛裕一さん、酒場のシーンで切れのあるダンスを見せる大空卓鵬さん、幕開けの台詞をしっかりと伝える原田真理さんらが、一瞬の演技にも味わいを含ませ、劇空間に奥行きを与えています。
『ノートルダムの鐘』撮影:阿部章仁

『ノートルダムの鐘』撮影:阿部章仁 (C)Disney


もちろんメインキャストの演技もいっそうの深化を見せ、キャラクターの輪郭や互いの関係性が明確なものに。なかでもこの日、すみずみに役の性根を行き渡らせた表現が光ったのが、エスメラルダ役の宮田愛さんでした。
 
エスメラルダの“まなざし”
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

例えば、“イヴの林檎”という酒場でのシーンに続く、短い場面。本作は聖職者のフロロー、大聖堂に住む青年カジモド、警護隊長のフィーバスが祭りの日にジプシー娘のエスメラルダを見初めることでうねり始める物語ですが、エスメラルダは続く大聖堂内での場面で3人それぞれとコミュニケーションを持った後、この酒場でフィーバスと2度目の再会を果たします。ここで二人は半ば自然な流れで官能的な口づけを交わしますが、その後、エスメラルダは慌ただしくフィーバスのもとを去る。一人になった彼女は立ち止まり……。
 
どこへともなく去ってゆくまでのこのほんの一瞬で、彼女は嬉しそうな表情を見せるのですが、この日の宮田エスメラルダはここで、頬の紅潮がこちらに移ってくるのではというほど生き生きと、輝かしい表情を見せていました。その後の展開を待たずして、エスメラルダとフィーバスはすでに本能的に惹かれあっており、フロローやカジモドには初手から、恋の鞘当てをする余地など無かったことが明白です。
 
にもかかわらずフロローは彼女に執着し、カジモドも彼女に恋い焦がれる。そしてかたや二人のキスを盗み見、カジモドもまたその後の過程で、二人が男女の愛以上の精神的な絆を育む様を目の当たりにして衝撃を受ける。決して愛が手に入らないことを悟った時、人間はどう反応するのか……。
 
フロローが権力をふりかざして彼女を追い詰めるいっぽうで、カジモドはと言えば葛藤しながらも彼女に尽くし、無償の愛を捧げます。一つの境遇に置かれたときに、人間の魂は醜くも、美しくもなりうる。そんな人間の“光と闇”を際立たせるうえで、前述の一瞬の表現は一つの起点となっていると言えましょう。
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

もう一つ、宮田エスメラルダで出色だったのが、道化の祭りでカジモドが人々に虐められたことに責任を感じて大聖堂を訪ね、鐘楼でカジモドと語らうシーンです。はじめは怖がっていた欄干にカジモド同様、腰掛けたエスメラルダは、勇気を振り絞って話しかけてきた彼を見つめ、言葉を待つ。この時の宮田エスメラルダのまなざしの、なんとまっすぐで、真剣であったことか。そこにはうわべの優しさなど、みじんもありません。
 
自分を養育してきたフロローを含め、これまで誰からもろくに人間扱いをされてこなかったカジモド。彼にとってこのエスメラルダの真剣な視線は、自分に生まれて初めて向けられたまなざしのように感じられたことでしょう。こんなにも自分の言葉が待たれている。コミュニケーションを求められている。自分の存在が肯定されたという実感……。
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

口下手な彼はやっとのことで“いいね、二人でいる”と言い、彼の喜びはエスメラルダにもしっかりと伝わります。それが、二人が思わず両手を離し、万歳をしながらのけぞるポーズへと繋がる。もしかしたらエスメラルダのこのまなざしこそが、その後のカジモドのどこまでも献身的な生き方を決定づけたのかもしれない、と思わせる一瞬です。
 
カジモドの中に生まれる潜在意識、フロローの歪んだ愛
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

もちろんこの日のカジモド役・飯田達郎さんの深化も目覚ましく、初演開幕当初は鐘楼で“純粋培養”され、完全なまでの無垢からスタートするカジモド像が鮮烈でしたが、この日のカジモドはユゴーの原作でも強調されているダークな色味を帯びた人物像に。「天国の光」以降のソロ・ナンバーでは憧れや苦悩、絶望の中に、少年ではなく“大人の男”としての屈折もうかがわせます。また後半の或るシーンではかなりゆっくりとした動きで相手に恐怖を与え、悲しくも暴力的な潜在意識がカジモドの中に芽生える瞬間をクローズアップ。
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。フロロー(野中万寿夫)(C)Marino Matsushima

野中万寿夫さんの演じるフロローは、エスメラルダという抗いがたい、そして誰もが恐れる権力にさえ靡かぬ存在を前にした時、彼女を支配、もしくは抹殺しなければならないと信じて、露ほどにも疑いません。たとえそれが歪んだ形であっても、愛のために善悪の判断能力さえ失ってしまう人間の弱さ、悲しさが滲み出た人物を骨太に体現しています。
 
フィーバスの繊細な優しさ、クロパンの乾いた歌唱
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。フィーバス(清水大星)(C)Marino Matsushima

いっぽう清水大星さん演じるこの日のフィーバスには、初演当時より戦争体験で傷ついた彼の心の内が覗き、台詞のそこここにも繊細な優しさが。フロローの命に逆らって松明を水に浸すくだりでは、かつて“弱き者”に対してなすべきことをエスメラルダから学んだ彼が、“今それを自分がするのだ”という決意をこめて行動を起こす。覚悟のこもった歌声が胸を打ちます。
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。クロパン(阿部よしつぐ)(C)Marino Matsushima

阿部よしつぐさん演じるジプシーたちのリーダー、クロパンは、道化の祭りを陽気に盛り立てる間も、その目は一瞬も笑うことなく常に周囲を見渡しており、踏んでいるステップも気楽さからは程遠い。迫害を受けながらようやく生き延びてきた人々の長として、積年の思いを抱えたクロパン役ほど、冒頭と幕切れにこの物語のストーリーテラーとして歩み出るのにふさわしい人物はいないのかもしれません。以前よりもやや乾いた風合いで発する“パリの朝……”が、ジプシーという、感傷を排して生きるしかないクロパンの境遇に思いを致させ、いちだんと感慨深いプロローグ/エピローグとなっています。
 
また舞台後方から劇世界に厚みを与えるクワイヤ(この日は高井治さん、永井崇多宏さん、織笠里佳子さんら)の歌声もいっそう研ぎ澄まされ、重厚にしてきめ細やかな歌声が場内全体を包み込みます。
『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』2018年名古屋公演カーテンコールより。(C)Marino Matsushima

人間の光と闇をいっそうのコントラストをもって描き出し、深い感動へと観る者を誘う今回の舞台。キャストによってカラーも異なれば、その日その時の化学反応によって作品の“決定的瞬間”も異なってくることでしょう。今後も様々な“発見”が期待できそうな『ノートルダムの鐘』名古屋公演です。

*関連記事情報*名古屋公演直前に行ったフィーバス役・佐久間仁さん・清水大星さん・光田健一さんへのインタビュー記事『ノートルダムの鐘』フィーバスが語るもう一つの視点もぜひご一読下さい)
 
 

『ノートルダムの鐘』日本初演・観劇レポート
中世から現代へ、“人間回帰”のミュージカルが問いかける「愛に満ちた世界は、いつ」

(注・キャスト名は筆者が鑑賞した日の出演者です。
作品分析的な要素もありますので、観劇前の方はご注意ください)
『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney

『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney


聖堂内部を模した舞台に、僧衣をまとった人々が現れる。舞台上方には男女8名ずつのクワイヤ(聖歌隊)が並び、ラテン語の宗教歌から鐘の音、「アアア、アアア……」そしてオーケストラ、とアニメ版で耳慣れた音楽が聞こえるも、それに続いて映画でクロパンが朗々と歌っていた「ノートルダムの鐘」は、渡り台詞のようにアンサンブルがワンフレーズずつ歌う形で展開。いつしかカジモドの身の上話へと移行してゆきます。そこではアニメ版で語られなかったフロロー(芝清道さん)の過去が再現され、実は彼の奔放な弟が、駆け落ちしたジプシー女性との間にもうけた子がカジモドであり(つまりフロローにとっては甥っ子)、フロローは病死した彼らから託された赤子を、一度は投げ捨てようとするも思い直し、引き取った経緯が明らかに。

赤ん坊の姿かたちに驚き「こんな怪物は人目に触れないようにしてやらなければ、正しく生きていけるよう、導いてやらなければ」と心に決めたフロローは、彼を残酷にも“カジモド”(できそこない)と名付け、大聖堂の鐘楼に住まわせることとする。ここで若く、凛としたオーラの男優(飯田達郎さん)が登場、「どこに違いがあるのだろう」と歌いながら、顔と身体にごく簡単な仕掛けをほどこし、ものの数十秒のうちにカジモドへと変身。この鮮やかな演出に込められた痛切なメッセージ性に、多くの観客は開幕早々、強い印象を受けずにはいられないでしょう。
『ノートルダムの鐘』撮影:阿部章仁 (C)Disney

『ノートルダムの鐘』撮影:阿部章仁 (C)Disney


アニメ版を尊重しながらも、それ以上にユーゴ―の原作に立ち返って舞台化したという、今回の『ノートルダムの鐘』。子供を含めあらゆる年齢層が楽しめるよう、人物像をわかりやすく組み立て、ハッピーエンドにアレンジされたアニメ版と比べると、人物像にいくつものひだを織り込み、なおかつ対話や激しい対立のなかで揺れ動く内面を際立たせたこの舞台版は、ディズニー・ミュージカル史上、最も演劇的かつシリアスな作りとなっています。
『ノートルダムの鐘』撮影:阿部章仁 (C)Disney

『ノートルダムの鐘』撮影:阿部章仁 (C)Disney


とりわけ特徴的なキャラクターであるフロローは、もとは弟思いの生真面目な聖職者見習いでしたが、権力の階段を登るうち、いつしか自分こそが“善”であり“正義”と思い込むように。しかし自由を体現する女エスメラルダに出会い、見下していた人種の一人である彼女に真実を突かれて動揺、カジモドに八つ当たりをして気を紛らわせる。しかし心は収まらず、ついには場末の酒場である光景を目撃(この場面のアラビア・ポップス風の音楽に新鮮味)。

屈辱感の中でエスメラルダ=自由を滅ぼすことを決意……といった具合に、はじめは“種ほど”の大きさでしかなかった邪悪さがいくつもの“揺らぎ”を経て巨大化、彼自身、モンスター的な存在へと変貌を遂げて行くのです。演じる芝さんは『ジーザス・クライスト=スーパースター』のユダ、ジーザス等、激情に駆られる役どころを数多く演じてきた方ですが、その彼をして全身を振り絞り、鬼気迫る形相で演じていることからも、役の要求度の高さは瞭然。彼が(神のために)悪魔にもなろう、と決意するナンバー「地獄の炎」の終わりで両腕を広げ(十字架を暗示)、放心する瞬間は見逃せません。
『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney

『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney


一方、主人公のカジモドについては、純真無垢な造型はアニメ版同様ですが、エスメラルダに出会って初めて“優しさ”を知るも、はじめは彼女に対する感情(=愛)すらフロローに抑え込まれ、彼女の危機を知ってからは助けに行くことも出来ず苦しむさまが、時間の経過とともに痛みを深くしながら描かれます。2幕のナンバー「石になろう(Made of Stone)」では、純白だった心がグレーに塗り固められた彼の悲しみがほとばしるよう。

そんな彼が遂に立ち上がり、フロローと対峙する終盤では、人として生まれた彼がその存在の全てをかけて言葉を繰り出し、思いをぶつけるうち、強者と弱者の構図が逆転してゆく過程を、台詞と身体、双方の表現を駆使しながら、飯田達郎さんが力強く表現しています。

そして本作において唯一“ぶれない”キャラクターと言えるのがエスメラルダ。筆者は以前、地理的にかけ離れた某国・少数民族の人権問題を訴える人物に「なぜこの活動を?」と尋ねたことがありますが、その時の返答が、本作のエスメラルダと同じく「誰かが気に懸けなくてはいけないから」というものでした。「でなければいつか、あなたのことも誰も気に懸けなくなる。そういう世界になってしまう」と続けた彼は、過去に迫害を受けた民族の出身。エスメラルダも彼のように、不条理と闘い、過酷な半生を送ってきたことが容易に想像されます。だからこそ生死の選択を迫られてもなお、エスメラルダはその信念、人間としての“誇り”を守ろうとする。本作の“志”を一手に引き受けるキャラクターを、岡村美南さんは堂々たるたたずまいと美しいダンス、歌声をもって見事に体現しています。

もう一人の重要人物、フィーバス隊長はアニメ版の造型とは異なり、戦争帰りでPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えつつ享楽的に生きようとしていたのが、エスメラルダと出会い、彼女の影響で大きく変貌。演じる清水大星さんは追い詰められ、絶望的な状況に陥ってゆくにつれ“男らしさ”を増し、魅力的です。また渡り台詞でナレーションを担うアンサンブルは、一貫して物語の緊張感を持続。一つの言葉も取りこぼさず台詞を観客に届け、文芸作品に相応しい活躍を見せています。

物語の結末が衝撃的に演じられたのち、カジモド役の俳優は“役”を脱ぎ捨て、一人の俳優としてエピローグを語り始める。その内容から観客はカジモドの愛の深さを改めて知りますが、そこにたたみかけるように、今度はすべての俳優たちが、冒頭でカジモドが行った“仕掛け”を施し、舞台にずらりと並んで歌い始めます。1482年の物語にもかかわらず、そこで歌われる歌詞は2016年の“今”の世界にぐさりと刺さる、ある問いかけ。高橋知伽江さんによる簡明で美しいその訳詞内容は、観る者の心にいつまでも、ずしりと残ることでしょう。
『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney

『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney


巨大な鐘や熱された釜など大振りの装置も存在し、要所要所で印象的な使われ方はするものの、ほとんどの部分を俳優のパフォーマンス(歌唱、演技、身体表現)に委ねた本作。テクノロジーや仮想現実依存は言わずもがな、“不寛容”や“分断”を是とする風潮が不気味な足音を響かせる中で、いつしかクリエイターたち自身の意図も超え、世界が今、まさに必要とする“人間回帰”の舞台が誕生した、と言えるかもしれません。

*2016年12月22日公演観劇レポート*

開幕から二週間弱、初日からしばらくはメインキャストがあまり替わらない劇団四季公演では珍しく、『ノートルダムの鐘』では早くも多数の“別キャスト”が登場しています。この日の公演でも、上記の「開幕レポート」取材時(最終通し稽古とプレビュー)とは、メインキャスト5名のうち4名が異なる配役。作品に加わった新たな色彩を、本稿でレポートします。

まずは11月の公開稽古で既に衝撃的な演技の一部を見せていたカジモド役・海宝直人さん。登場しての第一声“どこに違いがあるのだろう”の“だろう”で声の出どこ(出所)を変え、このフレーズの重要度を印象付けるのに始まって、以前のインタビューでも“声”へのこだわりを語っていた海宝さんらしい、きめ細やかな声表現が光ります。

例えばフロローからの(おまえは)“醜い”“気持ち悪い”という残酷な言い聞かせを無心にリピートし、カジモドの純真さを際立たせたり、外界へ踏み出そうと決意するナンバー「陽ざしの中へ」では“僕は行きたい”辺りで意識がすっかり変わる過程を聴かせ(3頁目の稽古場レポートでこの部分の演出過程を詳述)、屈折した心を歌うナンバー「石になろう」では、くぐもった声色の“台詞”と、心の中の声として何の制約も受けない“歌声”とを、鮮やかに往来するといった具合。

また身体表現においても、祭りの後、フィーバスに冠を渡すちょっとした仕草に“怪力”の片鱗を見せたり、冒頭の“変身”や、曲終わりに鐘の綱を引き客席を向く所作で歌舞伎の“見得”とみまごう間合いと形を見せるなど、あらゆる瞬間、全方位的に、カジモドという人間を表現しています。この緻密で献身的な演技が、終盤にアンサンブルが行う象徴的な演技と対をなし、どれほど観客に力強いメッセージを送っていることでしょう。

いっぽう、フロロー役の野中万寿夫さんは、芝清道さんフロローが正邪の狭間で揺らぎ、絶妙な人間臭さを醸し出していたのとは、全く異なる印象。徹頭徹尾生真面目にして清廉な、いわば“二枚目”の発声で、彼が自身の正義を疑うふしは皆無なのです。(ちなみに、彼は特徴的な発声で『美女と野獣』ガストンや『ライオンキング』スカー等の“いかにも”な悪役を手堅く演じてきたベテラン俳優。)

序盤で赤子のカジモドを投げ捨てようとした次の瞬間、とっさに強く抱きしめる様子からは愛情深ささえ伝わりますが、物語が進むにつれて、現代西洋的価値観を持つ観客なら、彼の言動のあちこちに違和感を抱き始めることでしょう。カジモドに「ご主人さま」と呼ばせ、マインドコントロールで外界を恐れさせ、隷属させる。「優しさを与えなければ」と言いながら彼を「これ」呼ばわりする。旧時代的な価値観の中で生きてきた彼の中には、“人権意識”は露ほどもありません。そんな折、自由と平等という“新たな概念”を体現するエスメラルダが登場し、フロローは深層心理的には惹かれつつも、自らの正義のため何が何でも彼女を屈服させ、あるいは滅ぼさなければと思いこむ。

一般的には、狂気に駆られた“暴君”にしか映らないフロローも、彼なりの価値観に愚直に従っていたわけであって、互いに正義と信じて疑わない二つの価値観が共存できず、クラッシュせざるをえなかったことで、本作の悲劇は起こる。古代から人類が抱え続け、特に残酷な事件の連鎖によって昨今、顕在化している“異なる価値観(文明)の衝突”の図式が浮かび上がり、“善悪”を一元的に判断することの危うさも示されるのです。容易には答えの出ない問いを呈示するこの野中フロロー、作品に新たな重量を加えていると言えましょう。

そして意図せずしてカジモド、フロロー、そしてフィーバスの人生を変え、同時にわが身にも災いを招いてしまうエスメラルダをこの日演じていたのは、宮田愛さん。自然体の“優しさ”が台詞や全身に滲み出ていた岡村美南さんと比べ、よりビーンと張りのある歌声と毅然たる台詞を聴かせ、芯の強さが印象的です。祭りでの登場時や大勢で踊る酒場のシーンでは足さばきに妖艶さがあり、ジプシーとしての野性味もたっぷり。

またクロパン役は、吉賀陶馬ワイスさんがジプシーたちの苦節とそれを跳ね返すバイタリティをうかがわせるリーダー像であるのに対し、この日演じた阿部よしつぐさんは歌声が本質的に明るく、フットワークも軽妙。この軽やかさをよすがに、彼らは壮絶な差別を耐えてきたのかもしれない、と感じさせます。衝撃的な結末の後、冒頭同様にクロパンが「ノートルダムの鐘」のメロディを歌いだす瞬間は、阿部さんの明るい歌声が何よりの慰めとなり、染み入ることでしょう。

ところで本作でたびたび言及され、後半に(カジモドの妄想という前提はあるにせよ)その姿を現して彼に啓示を与える聖アフロディージアスは、ヘロデ王の虐殺をおそれてエジプトに逃避したイエスたちを匿い、斬首された人物として言い伝えられてはいますが、キリスト教世界においては決してメジャーな聖人というわけではありません。しかしその啓示シーンには(アフロディージアス役の演技にちょっとした工夫も施され)淡々とした歌物語の中に崇高な美しさがあり、カジモドならずとも胸打たれることでしょう。アニメ版では登場しないこのキャラクターを舞台版でなぜ重用したのか、次にオリジナル・クリエイターたちに会うことがあればぜひ確認したいところ。いっぽうでキリスト教関係者の友人に思い当たる節があるかどうか尋ねていますので、有益な見解を得られれば後日、追記の予定です。

*次頁で「脚本家ピーター・パーネルに訊く“聖アフロディージアス”起用の理由」、「作曲家、アラン・メンケンへの合同インタビュー」をお送りします!

『ノートルダムの鐘』TOPICS
脚本家ピーター・パーネルに訊く
「舞台版『ノートルダムの鐘』に“聖アフロディージアス”を登場させた理由」

(物語のディテールに触れていますので、未見の方はご注意ください)
『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney

『ノートルダムの鐘』撮影:上原タカシ (C)Disney


アニメ版『ノートルダムの鐘』を観た、あるいはユゴーの原作小説『ノートルダム・ド・パリ』を読んだ方の中で、舞台版を鑑賞し、“聖アフロディージアス”という人物が気になった方は多いのではないでしょうか。

1幕ではフロローがカジモドに対し、キリスト教説話の一つとして、エジプトに逃避する聖家族を匿い、異教徒たちに首をはねられた聖アフロディージアスの物語を語ります。そして2幕冒頭、実際にこの聖人が登場。(古代の聖人がタイムスリップしてくるというわけではなく、カジモドが自らの心の声であるガーゴイルたちと語らうなかで、ガーゴイルの一人がアフロディージアスに扮する、という設定。)エスメラルダが窮地に陥ったことを知ったカジモドに対して、行動を促し、鼓舞するのです。

大聖堂を舞台とした作品世界に、自己犠牲の象徴的に聖人キャラクターが登場することには何ら違和感はありませんし、冒頭での彼への言及が後のカジモドの行動(フロローにとっては皮肉な“裏切り”行為)の伏線となる趣向も、物語の“仕掛け”として効果的です。それでは何が“気になる”のかというと、この“聖アフロディージアス”という人物、実はアニメ版はおろか、原作小説にも出てこないキャラクターなのです。キリスト教世界においてあまたの聖人が存在するなかで、いったいなぜ、舞台化にあたって彼が選ばれ、登場しているのでしょうか?

初見時以来、この点がどうにも気になった筆者はまず、知人の英国人宣教師に意見を求めましたが、驚いたことにその返答は「“聖アフロディージアス”という人物を、私はよく知らない」というものでした。一概にキリスト教と言っても、彼女は“聖書のみ”をよりどころとするプロテスタントであり、カソリックの人々が信じる“奇蹟伝説”には詳しくなく、そのため聖アフロディージアスと言われてもピンとこない、というのです。(聖アフロディージアスは史実においては3世紀に、フランスで司祭になったエジプト人で、中世後期になって“(1世紀の人々である)聖家族を匿い、首をはねられ、その首を自ら抱いて通りを歩いた”という“奇蹟伝説”が生まれました。)

いくら宗派が異なり、“奇蹟伝説には詳しくない”とはいえ、同じキリスト教世界に属する宣教師さえ知らないとなると、聖アフロディージアスはよほどの、“マイナー”な人物。そんな彼が敢えて登場するのには、何か特別な意味があるのでは。この謎が解けずして舞台版『ノートルダムの鐘』を理解できたとは言えないのでは……という思いから、先日、本作の脚本家、ピーター・パーネル氏に手紙をしたためたところ、以下のような返信(原文は英語)をいただきました。(こちらからの質問の要旨は「舞台版では、カジモドに行動を促す存在として聖アフロディージアスが登場しますが、彼はアニメ版にも、原作小説にも言及されていない人物です。なぜ、彼を選んだのですか?」というものです。)

「松島さん、素敵なお手紙を有難う。非常に興味深い質問をしてくださいましたね!

おそらくご存知の通り、この新版『ノートルダムの鐘』において、ガーゴイルたちは、アニメ版よりも“語り部”的に、またあなたが推測されるように、カジモドの心の声のあらわれとして、コーラスの役割を担います。そして、そうです、彼らは2幕冒頭でカジモドに対し、立ち上がり、エスメラルダを見つけるのを助け、救い、匿う(かくまう)よう駆り立てる存在として存在するのです。

スティーブン・シュワルツ、アラン・メンケンと私は物語のこの部分を検討するうち、ノートルダム大聖堂の彫像になっている聖人の中から、特定の人物を登場させたら面白いのでは、と思いつきました。そこで、僕らが理解するところでは地元フランスにおいて、ベジエ(フランスの地方都市)の初代司祭で、聖家族のエジプトへの逃避行の際に彼らを匿ったとして伝統的に崇められてきた聖アフロディージアスを選びました。そのような人物なら、カジモドがエスメラルダの救い主として、ある意味、自分を関連付けるのにぴったりではないか、と思えたのです。舞台の冒頭では、カジモドにフロローがキリスト教物語を教えることになっているので、二人の最初のシーンで聖アフロディージアスの物語をスタートさせ、2幕でこの伝説を大きく花開かせるのが適切だろう、とも思われました。

聖アフロディージアスはノートルダムで描かれている「首なし」聖人の一人であり、そのことは私たちに(演劇的な)遊び(注・身体表現における工夫)の機会を与えてもくれました。

ご質問にお答えできたでしょうか。『ノートルダムの鐘』に多大な関心を抱いて下さり、有難うございます!

ピーター・パーネル」

まとめると、
*ノートルダム大聖堂の彫像になっている聖人である
*(物語の)地元フランスで崇められている
*「匿う」という行為において、カジモドが自身を重ね合わせることができる。そのモチーフが2幕に生きてくる


といった理由から聖アフロディージアスが選ばれ、結果的に(首なし聖人という特徴から)演劇的な工夫も加えることができた、というのです。歴史上の人物が多数言及されている原作小説ではなく、実際の大聖堂の彫像群からインスピレーションを得た、というのも面白いのですが、このアイディアが、舞台版から新たに加わり、ユニークなアプローチで演出を手掛けたスコット・シュワルツではなく、パーネル氏ら3人の、アニメ版からの続投クリエイターたちによるものだったというのは少々、意外でした。一度は“完成”させ、愛着もひとしおであるだろう形にとらわれず、作品を新たに生まれ変わらせるべく、積極的に新たなアイディアを盛り込む。この柔軟性こそが彼らを長年、クリエイターとして成功に導いてきたのかもしれません。

実は今回、パーネル氏からの返信は、欧米との仕事上のやりとりにおいては未曽有の速さで届き、そのスピードからも、作者の『ノートルダムの鐘』に対する愛情の深さがうかがえたのでした。ノートルダム大聖堂の首なし聖人と言えば聖ドニが有名ですが、もう一人、重要な首なし聖人がいたとは。今度パリを訪れる機会があれば、ぜひぐるり一周しつつ、聖アフロディージアスを探してみたいものです。
(2017年3月追記)

 

作曲家アラン・メンケン 合同インタビュー
「『ノートルダムの鐘』によって
“ディズニー・ミュージカル”の新たな系譜が誕生した」

アラン・メンケンundefined『美女と野獣』『リトルマーメイド』『天使にラブソングを』『ヘラクレス』他多数の舞台・映像作品を手掛け、アカデミー賞、トニー賞など受賞多数。(C)Marino Matsushima

アラン・メンケン 『美女と野獣』『リトルマーメイド』『天使にラブソングを』『ヘラクレス』他多数の舞台・映像作品を手掛け、アカデミー賞、トニー賞など受賞多数。(C)Marino Matsushima

16年12月、日本版の開幕にあわせて来日したアラン・メンケン。前日にプレビューを観たという彼は「心から(日本版の舞台を)気に入った。他言語で舞台を観るときには言葉ではなくエモーショナル・ランゲージ(感情という言語)で観るが、その点、この舞台はとても良かったし、日本人(の民族性)にも合っている作品ではないかと思った。キャストも情熱的だったねえ」とほくほく顔。劇団四季とは『美女と野獣』からの長いお付き合いということもあり、いたってリラックス、和やかな表情で語ってくれました。(読みやすいよう、話の流れや質問の順番など、若干編集しています)

――アニメ版から舞台版へと立ち上げるにあたり、どのような過程があったかお教えください。

メンケン(以下同)「この『ノートルダムの鐘』舞台版は、実はこれまでかかわったどの作品よりも紆余曲折があったミュージカルです。本作は大人数の聖歌隊と大編成のオーケストラを使っていますが、90年代にドイツ・ベルリンで舞台化した際には、より小さな規模での上演でした。その後TVミュージカル版を作ろうという話になり、準備はしたものの実現には至らず。ただ、ベルリン版とこの時の試行錯誤が今回の舞台版に繋がっているのです。

例えば1幕でフィーバスが歌う「息抜き」やカジモド、エスメラルダが歌う「世界の頂上で」は、ベルリン版のために書き足したナンバー。後者は優しい曲で、これが歌われるシーンは私のお気に入りです。

アニメ版に無い新曲としては、ジプシー(ロマ)音楽のメロディを取り入れた「酒場の歌」や3人の男たちがエスメラルダを思って歌う1幕終わりの「エスメラルダ」、そして2幕でカジモドが自身の内面の声であるガーゴイルを拒否する「石になろう」などがありますね。「奇跡御殿」は新曲のように聞えるかもしれませんが、実際にはアニメ版のために書き、録音もしておきながら採用されなかった曲。復活して採用され、とても嬉しく思っています。また、反対にアニメ版でガーゴイルたちがコミックリリーフとしてモーリス・シュバリエ風に歌った「A Guy Like You」はカット。音楽的には鐘の音をアクセントとして、教会音楽、ジプシー音楽、クラシックと多様なジャンルを取り入れるのが挑戦でした。今までかかわったミュージカルの中で最も野心的な作品ですが、今の形に満足しているし、とても誇りに思っています」

――1幕にフロローが歌う「地獄の炎」というナンバーがありますが、アニメ版と舞台版ではどのようにイメージして作曲されましたか?

「私はビジュアル・アーティストではないので、アニメ版の作曲時には自分なりのイメージで曲を書き、そこからアニメーターたちが絵を起こしていました。思い描いていたのは、フロローは深く宗教的だが、同時に己の欲望と格闘中の人間であるということ。神への“祈り”から“煩悶”へと移り変わるさまを曲の中で表現したつもりです。そうそう、この曲を聴いて作詞のスティーブン・シュワルツは、オペラ『トスカ』のアリアのようだと感じたそうです。パワフルで、極めて不安を喚起する曲ですね。ディズニー的には珍しいというか、挑戦的なナンバーです。舞台版にあたって変更した部分はそうありません。

――舞台版はとても感動的でしたが、アニメ版に愛着を持つ方もたくさんいると思います。舞台版ではアニメ版の根幹ともいえる“楽観主義”が失われており、アニメ版が大好きだった子供たち(そして“かつての”子供たち)は、舞台版の内容にショックを受けるかもしれませんが、メンケンさんなら彼らにどんな言葉をかけるでしょうか。(質問・松島)

「この舞台はお子様向けではないでしょうね(笑)。もっとも、アニメ版の公開時ですら、ガーゴイルたちが“怖い”と言われていたけれど(笑)。それはさておき、確かに僕もアニメ版をとても気に入っていました。特にラスト、人々の前に現れたカジモドに女の子が近寄り、ぎゅっと抱きしめる光景が非常に好きですね。ただ、今回は原作小説のメッセージをきちんと伝えよう、というところから出発したので、万一“憎しみ”を伝えるミュージカルに見えてしまったら、僕的には大問題(笑)。他者を受け入れること。カジモドがエスメラルダを救うためにわが身を犠牲にしようとしたこと。そしてマイノリティ(少数派)に対する偏見は間違っている、といったところを感じていただけたらと思います。
アラン・メンケンundefined(C)Marino Matsushima

アラン・メンケン (C)Marino Matsushima


さきほど子供向けではない、と言いましたが、子供たちは実際のところ、大人が思うほど怖がりではありません。以前作曲した『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』は僕の感覚では(植物が人間を食べてしまう)とても怖い話ですが、子供たちは喜んで観ていました。また作品が“欲望についての警告”物語だということも彼らは認識していた。ご家族ごとに、作品を吟味したうえでお子さんに見せるかどうか、お決めになるといいかもしれません。

今回、最初に『ノートルダムの鐘』を舞台化しよう、と言ったのはディズニーのマイケル・アイズナー会長で、僕らクリエイターたちはその情熱的なアイディアのもと集まったのです。ディズニーというブランドについては特有の(ファミリー的な)イメージがある中で、原作に寄せた(=つまり救いのない)『ノートルダムの鐘』を作り上げるのは大きな挑戦でしたが、結果的には通常のディズニー作品とは異なる、新しい系統が誕生したのでは、と思います。アーティスティックでダークだが美しい、舞台版の『ノートルダムの鐘』。それを日本でこれほど熱心に演じて下さり、劇団四季に非常に感謝しています」

――ジプシーのくだりが(シリアなど)難民問題を想起させたりと、本作は“今の時代”に非常にマッチしているような気がします。

「悲しいかな、まさにその通りで、本作は非常にタイムリーな作品となってしまっています。フロローが自分でフィーバスを刺し、エスメラルダに濡れ衣を着せて憎しみを広める場面がありますが、それに似たようなことは今、“フェイク・ニュース”として日常茶飯事。フェイスブックで誰かが偽のニュースを流し、それがあっという間に広まるといったことが起きています。私たち一人一人に、なすべきことがあります。責任あるメッセージを伝えていく。クリエイターも、マスコミも、そして観客も、ね」

――新作のご予定は?

「最近、ブロードウェイで僕が手掛けた『ブロンクス物語』という舞台が開きましたが、なかなか好評だと聞いています。あとはアニメ映画の実写版映画も撮られています。『アラジン』や『リトル・マーメイド』、それに、もともと実写で作られた『魔法にかけられて』の続編です。ほかにもあるのですが、ここでお話してしまうとまずいことになってしまいます(笑)」

*次頁では11月、あざみ野稽古場での公開稽古の模様&出演者・演出家インタビューをレポートします!
 

『ノートルダムの鐘』公開稽古&演出家・キャスト共同インタビューレポート

『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より、カジモド、フィーバス、フロローが同時にエスメラルダを見染める瞬間。(C)Marino Matsushima


2016年12月11日の初日に向け、着々と準備の進む劇団四季『ノートルダムの鐘』。11月24日午前、あざみ野の稽古場では演出家を始めとする海外スタッフを交えた抜き稽古が取材陣に公開、続いて演出家スコット・シュワルツ、主人公カジモド役3名の俳優の合同インタビューが行われました。衣裳をつけての稽古は臨場感に溢れ、取材陣は束の間、中世の荘厳な世界へといざなわれました。

“声の厚み”と“濃厚な人間ドラマ”が圧倒的
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より、カジモド(海宝直人)。(C)Marino Matsushima


「54年ぶりの雪」で交通網にも支障が出るなか、ほとんどの取材陣が集合時間前に集まり、注目度の高さがうかがえた本日の稽古。はじめに劇団四季・吉田社長より「2か月前より日本人のみで、1か月前から海外クリエイティブ・チームを交えて稽古をはじめ、今週から(オリジナル演出家の)スコット・シュワルツさんを迎えての稽古が始まったところです」と挨拶があり、早速稽古がスタート。披露されるのは物語前半、カジモドが鐘楼で外の世界への憧れを歌うナンバー「光の中へ」から、地上へと降り、“道化の祭り”の喧騒に巻き込まれてゆく「トプシー・ターヴィー」~「息抜き」~「タンバリンのリズム」までの一連のシーン。そして後半、聖職者フロローがエスメラルダに対する愛憎を制御できず、神に歌いかける「地獄の炎」です。
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より。アニメ版へのオマージュのような構図。(C)Marino Matsushima


まずは「光の中へ」。打ちのめされたように、床に膝をついて歌いだすカジモド(海宝直人さん)の、口を歪め、表情にも声にも苦悩が見て取れる表現がまず衝撃的です。歪んだ口はこの後も終始キープされ、通常とは全く異なる姿勢で歌うこの役の要求度に圧倒されますが、海宝さんはこれまで演じたどのお役よりも力強く、ダークな世界で僅かな希望を掴み取ろうと変化してゆく青年の心模様を歌います。(その後のダメ出しでは、スコットさんから「死ぬまで独りぼっちと決めていたカジモドが一日だけ、下に降りて人々の中に入って行こうと決意するポイントをどこにするか。トリプルキャストそれぞれ、ポイントは違っていいので、めいめい決めてそれを分かるように演じてほしい」とのリクエストがありました)。
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より、フィーバス(佐久間仁)。(C)Marino Matsushima


続く道化の祭りのシーンでは、人々が集まる中で、物乞いを装って高慢な金持ちから財布を盗むクロパン(阿部よしつぐさん、アニメ版より若々しく、行動的な風情のジプシーのリーダー)、戦帰りでちょっとはめを外したいフィーバス(佐久間仁さん、『ミス・サイゴン』のGIたちを彷彿とさせるようなリアルな軍人像で、アニメ版の人格者的なフィーバス像とは異なる印象)、彼に威厳を見せる聖職者フロロー(芝清道さん)、そしてジプシーの踊り子エスメラルダ(岡村美南さん)が順に登場。

彼女のはっとさせるような生命感と美貌にカジモド、フィーバス、フロローが同時に振り向き、魅了されるというシーンですが、岡村さんは輝くばかりに美しく舞い踊り、説得力たっぷり。(スコットさんからはアンサンブルに対して、聖衣を脱ぐ仕草に、一年に一日だけ日々の義務を脱ぎ捨てる、その解放感を出してほしい、というリクエストが。)
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より、エスメラルダ(岡村美南)。(C)Marino Matsushima


そして「地獄の炎」では、後方の聖歌隊(クワイヤー)16名と聖衣をまとったアンサンブル8名をバックに、フロローが情欲と歪んだ正義感の間で悶える様を歌い、その声の厚みに圧倒されます。最後にフロローは両手をいっぱいに広げたまま歌い終わるのですが、それはスコットさん曰く、十字架と重ね合わせた動きであるのだとか。

「神に対して“私をお守りください”と祈っていたフロローが最後には“あなたが望むなら、(エスメラルダに死を与える)悪魔になろう”と決意する、そういう変化を表現して下さい」とスコットさんからリクエストがありましたが、フロロー役の芝さんとしてはかつて演じた『JCS』のジーザスにも、ユダにも通じるものがある役どころだけに、思い入れも格別では、と想像されます。
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より、フロロー(芝清道)。(C)Marino Matsushima


スコットさんのダメ出しを受けて一度、二度おさらいをし、公開稽古は終了。熱気の中、取材陣はスコットさん、カジモド役共同インタビューの会場へと移りました。作品を通しての披露というわけではなかったものの、先進技術より“人間力”に依存する今回のプロダクションに必須の“圧倒的な歌声”と“人間ドラマとしての深さ”が既に備わっていることは明らか。これから数週間、稽古場所を劇場に移して芝居がどのように深まってゆくのか、またその全貌はと、さらに期待が増すひとときとなりました。

【スコット・シュワルツ、カジモド役俳優 共同インタビュー】
(読みやすいよう、話の順序を入れ替えています)
『ノートルダムの鐘』カジモド役の3人と演出のスコット・シュワルツ。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』カジモド役の3人と演出のスコット・シュワルツ。(C)Marino Matsushima


――本作の重要なテーマとして「分断の無い社会への願い」というものがあるかと思いますが、先だっての米国大統領選ではまさに「社会の分断」が公然と主張され、世界は危険な方向に進んでいるように思えます。そうした中でこの作品を上演する意義について、スコットさんはどう捉えていらっしゃいますか?(質問・松島まり乃)

スコット「ちょうど来日してすぐ、俳優たちにはその話をしたところです。僕自身がこの作品を通して政治的な主張をしようとは思いませんが、最近は政治的リーダーが“壁を作らなければならない”などと、排他的な主張をしています。これは実は、『ノートルダムの鐘』でフロローが考えていることなのです。2年前に米国で世界初演を行った時より、本作は世界にとってタイムリーな作品になってしまったと言えます。悲しいことですが。本作では、様々な問いかけをしていますが、たやすく答えを出そうとはしていません。御覧になった方一人一人が、自分と異なる者に出会ったときどう対処するべきかを考えていただくきっかけになれば、と思っています」

――舞台版の演出ポイントを教えてください。
スコット「ユゴーの原作、そしてディズニー・アニメ版双方に基づいて作ろうと思いました。原作は西洋文学の中でも卓越した作品ですが、非常に残酷な物語。ユゴーの世界観はシニカルかつ悲観的で、ディズニー的には難しい部分もあります。しかしその中核には瞬く淡い光のような“希望”もあり、それを表現したいと思いました。また本作は4つの愛が絡み合う、非常に複雑なラブストーリーでもあり、ミュージカルでは珍しいと言えます」

――演出の見どころは?
『ノートルダムの鐘』稽古より、クロパン(阿部よしつぐ)。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より、クロパン(阿部よしつぐ)。(C)Marino Matsushima


スコット「演技と歌にフォーカスした演出です。伝統的な手法を使い、テクノロジーには頼らず、人間の真髄を表現しようと考えました。具体的には、聖歌隊がずっと舞台上に存在し、彼らにスコアを表現させます。お客様の想像力に訴えかけることで、完成された演劇を観ながらも小説を読みほどくような感覚を楽しんでいただければと思います」

――日本版の手ごたえは?また、開幕までの抱負は?
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima


スコット「劇団の皆さんは準備、献身ぶりが非常に素晴らしく、これまでのところとても楽しく仕事が出来ています。今後は各登場人物からより、深みや複雑さを引き出したい。上演する秋劇場を先日見学しましたが、“壮大にして親密”なものを目指す本作にぴったりだと感じています」

――キャストの皆さんに。今回の音楽で、お気に入りは?

海宝直人「アラン・メンケンの音楽は小さいころから好きでしたが、とりわけ本作は重厚感があり、音楽が役の気持ちを引き出してくれます。“陽ざしの中へ”はカジモド野思いが表現されている曲。大事に歌っています」

飯田達郎「“石のように”という曲は舞台版のオリジナルで、映画版だと10秒くらいで終わるシーン。自分に対する怒りを外に出す難しさを感じながら歌っています」

田中彰孝「どの曲にもストーリーがあるのが本作の魅力。さきほどの稽古でスコットさんの言葉を聞きながら、改めてそう感じました」

――役作りについてお聞かせください。
『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』稽古より。(C)Marino Matsushima


海宝「カジモドはとにかくピュアで、真っすぐな心を持った青年。そのために傷つく繊細さと、肉体的にはパワフルである点を表現したいです。歌が多いので、しっかり聴いていただけるよう、稽古しています」

飯田「僕は通し稽古を観る度、涙が出ます。心のボリュームがエンディングに連れて上がってくる。それを自分が演じる時にも伝えたい。海宝さん、田中さんはテノールの役をやってきたけれど、僕はこれまで低音域の役が多かったので、今回は新境地にトライしています」

田中「どこまで役に近づけるか。思い切りやることで、メッセージが伝わるのかなと思います。とにかく一生懸命やるのみ、です」

――これまでの稽古の道のりを振り返ってみて。

海宝「稽古が始まるまで不安な部分もありましたが、スタッフにも応援していただき、例えば自分でもどんな発声なら喉に負担がかかりすぎないか研究したりしてきました。今は通し稽古をするたび、精も根も尽き果てて(笑)、どれだけ濃密な作品なんだ!と思える作品です。自分の中では大きな転換点になるかもしれません。とにかく作品のメッセージを伝えきれるよう、頑張りたいです」

飯田「(海宝さんと)ほぼ同じです。(背を丸めるので)腰が痛くなると自然に上がってきてしまったり、いろいろと気をつかうことが多いので、クリアしていかないといけません。僕は芯の役を務めるのが初めてで、思えば人生で初めて買ってもらったビデオがアニメ版の『ノートルダムの鐘』でした。そんな点でも、ご縁を感じる作品です」

田中「オーディションの時、(歌審査だったので)カジモドの動きも求められているとは誰も思っておらず、スコットさんに“まず、やってみてください”と言われた時には本当に驚いたし、緊張しました(笑)。それから(今日にいたるまで)ずっと、彼の動きも、内面も探し続けている気がします。これまで演じたどの役より、内向きな役と感じていますが、そこに存在するだけで彼の哀しさや喜びが伝われば。それによって感動をお届けできればと思っています」

*次頁で6月の製作発表、最終ページで4月のオーディションのレポートを掲載しています。

『ノートルダムの鐘』製作発表記者会見レポート

劇団四季『ノートルダムの鐘』キャスト候補の皆さん。(C)Marino Matsushima

劇団四季『ノートルダムの鐘』キャスト候補の皆さん。(C)Marino Matsushima


6月8日、年末に開幕する劇団四季の新作ミュージカル『ノートルダムの鐘』の製作発表が行われました。去る4月に手に汗握る高レベルのオーディションが行われ、その結果発表も兼ねた会見とあって、会場は大盛況。熱気漂う中、まずは劇団四季の吉田智誉樹社長、ディズニーシアトリカル・プロダクションズのフェリペ・ガンバ氏から挨拶。(今回は訳詞が『アラジン』と同じ高橋知伽江さんが担当することも発表。)

ガンバ氏はユゴーの原作本挿絵を掲げつつ「原作はヨーロッパの芸術の波が合理主義からロマン主義へと移行した時代に描かれた。その複雑で、矛盾を抱える人物描写こそが人々の心を掴んできたことを考えると、ファミリー向けに作られた(ハッピーエンディングの)アニメ版はユゴーのダークな原作からは離れてしまったかなという話になったのです」と、舞台版のアプローチがアニメ版とは大きく変わった背景を、そして今回、見せ方としては中世の宗教劇のようなイメージで、コーラスを活用、観客のイマジネーションにも訴えかけた演劇的手法で表現するに至ったと語りました。
原作『ノートルダム・ド・パリ』の挿絵を映し出しながら原作の魅力、舞台化までの道のりを語るディズニー・シアトリカルのガンバ氏。(C)Marino Matsushima

原作『ノートルダム・ド・パリ』の挿絵を映し出しながら原作の魅力、舞台化までの道のりを語るディズニー・シアトリカルのガンバ氏。(C)Marino Matsushima


質疑応答では、アニメ版をご存知の観客に対して「本作を観ることで新たな層(理解)が生まれるのでは」とガンバさん。今後の上演展開については「東京公演は竹芝の再開発という事情もあり、来年6月までを予定。その後地方にゆくか、首都圏の別な劇場で上演するかは未定(券売状況を見て考慮)」、今後の(劇団四季の)方向性について、「『アラジン』等はファミリーに楽しんでいただける演目だが、本作はドラマ部分を重視した演目で、シンフォニックな音楽も美しい。大人の観客層にも訴求できると思う。米国で観た際にはカジモドがはじめ美青年としてあらわれ、肉襦袢(にくじゅばん)などを使いながらハンチバックの姿になってゆく演出が非常に演劇的だと感じた」と吉田社長からの回答がありました。
米国での上演舞台。The Pape Mill Playhouse Company Photo by Jerry Dalia (C)Disney

米国での上演舞台。The Pape Mill Playhouse Company Photo by Jerry Dalia (C)Disney


続いてプロモーションビデオの放映に続き、本作の楽曲披露。3人の候補たちによって披露されました。

「Out There」カジモド役候補 海宝直人さん
海宝直人さん。コンサート等では気持ちよく歌いあげられることの多いナンバーですが、今回は笑顔は殆ど無し。カジモドの自由への憧れの強さを切々と歌い、既に“役”に入っていらっしゃいます。(C)Marino Matsushima

海宝直人さん。コンサート等では気持ちよく歌いあげられることの多いナンバーですが、今回の披露で海宝さんは笑顔は無し。カジモドの自由への憧れを力強く、切々と歌い、既に“役”に入っていらっしゃいます。(C)Marino Matsushima

「God Help The Outcasts」エスメラルダ役候補 岡村美南さん
岡村美南さん。長身が生きる素敵なドレス姿でしっとりと歌唱。本番では一転、ワイルドでセクシーな衣裳をどう着こなすか、も注目されます。(C)Marino Matsushima

岡村美南さん。長身が生きる素敵なドレス姿でしっとりと歌唱。本番では一転、ワイルドでセクシーな衣裳をどう着こなすか、も注目されます。(C)Marino Matsushima

「Made of Stone」カジモド役候補 飯田達郎さん
飯田達郎さん。オーディションでも役への入り込み方は抜群でした。カジモドの屈折と苦悩を描いたこの曲を飯田さんの熱唱で聴けたことで、本作のアニメ版とのカラーの違いを体感した記者も多かったのではないでしょうか。(C)Marino Matsuhima

飯田達郎さん。カジモドの屈折と苦悩を描いたこの曲を飯田さんの熱唱で聴けたことで、本作のアニメ版とのカラーの違いを体感した記者も多かったのではないでしょうか。(C)Marino Matsushima

そして待望のキャスト候補発表です! 登壇者は以下の方々。

カジモド・・・海宝直人さん、飯田達郎さん、田中彰孝さん
フロロー・・・芝清道さん、野中万寿夫さん
エスメラルダ・・・岡村美南さん、宮田愛さん
フィーバス・・・佐久間仁さん、清水大星さん
クロパン・・・阿部よしつぐさん、吉賀陶馬ワイスさん

(上記の方々について、オーディションでの様子を交えつつ解説しましょう。海宝直人さんは『美女と野獣』のチップで子役デビュー、『ライオンキング』ヤングシンバも演じ、成長されてからも『アラジン』タイトルロール、そして『ライオンキング』シンバとディズニー・ミュージカルで大活躍。甘さとシリアスを兼ね備えた持ち味と確かな歌声を武器に、今回の大役に体当たりしてくれそう。飯田達郎さんは劇団屈指のボーカリストの一人として、『キャッツ』ラム・タム・タガー、『オペラ座の怪人』ラウル等で活躍。オーディションでは苦しい体勢も厭わず身体表現も工夫しながら歌い、台詞審査ではオーディションであることを忘れさせる、感動的な演技を披露。この気迫が本番でどう結実するか、楽しみでなりません。田中彰孝さんは当たり役『ライオンキング』シンバのイメージが強いかもしれませんが、『マンマ・ミーア!』スカイ、『コーラスライン』ポールと順調にレパートリーを広げ、今回も力強く物語の芯を演じてくれそうです。

エスメラルダ役の岡村美南さんはオーディション時、『ウェストサイド物語』公演真っ只中。演じていたアニタ役のラテンの空気感を活かしながら、“誰もがひとめで引き寄せられずにいられない”エスメラルダの魅力を見事に漂わせていました。アニタに続く当たり役となる予感・大。宮田愛さんは『美女と野獣』ベル、『クレイジー・フォー・ユー』ポリー等で活躍。台詞審査での一言、一言の説得力が素晴らしく、言語が異なるにも関わらず米国の審査員たちも感じ入っている様子でした。クライマックスでのフィーバスとの対話シーンにご注目を。

その他の方々のオーディションは未見ですので、簡潔に。フロロー役は芝清道さん(『JCS』ユダ、『オペラ座の怪人』怪人)、野中万寿夫さん(『美女と野獣』ガストン、『ライオンキング』スカー)。演技において様々な工夫を重ね、諸役を練り上げて来られたベテランのお二人がキャスティングされたことで、この役が単なる悪役ではない、非常に複雑なキャラクターであることが予感されます。エスメラルダの恋の相手フィーバス役は佐久間仁さん(『JCS』シモンが鮮烈でした)、清水大星さん(『リトルマーメイド』エリック)。男らしさ溢れる二人のフレッシュな存在感に期待しましょう。ジプシーのリーダー役クロパン役には阿部よしつぐさん(入団前には『マザー・テレサ 愛のうた』で好演。入団後は『JCS』等に出演)、吉賀陶馬ワイスさん(『ウェストサイド物語』グラッドハンド役での好演が記憶に新しいところ)。音域が幅広いだけでなく“曲者”キャラクターのこの役をどう演じるか、注目されます。)
 
芝清道さん。(C)Marino Matsushima

芝清道さん。(C)Marino Matsushima

その後、キャスト候補を代表して、芝さんから挨拶。「私自身、本作の音楽を初めて聴いたとき、心が震え、鳥肌が立ちました。原作を読んだとき、胸がいっぱいになりました。このような素晴らしい大作にかかわることができ、光栄です。初日というスタートラインに向かってスタッフ、キャスト一丸となり、全身全霊で稽古に臨み、この作品の感動を多くの皆様にお届けできるよう、全力を尽くしていきたいと思います。12月の開幕をぜひ楽しみにお待ちください」

そして写真撮影の後、お開きとなりました。ますます期待が高まる公演、今後も機会をとらえて様子をレポートしてゆきます!

*次ページで4月18日に行われた本作オーディションの模様をお伝えします!
 
『ノートルダムの鐘』海外版ロゴ(C)Disney

『ノートルダムの鐘』海外版ロゴ(C)Disney


96年の映画『ノートルダムの鐘』と言えば、ヴィクトル・ユゴーの名作『ノートル・ダム・ド・パリ』をディズニーらしいハッピーエンドにアレンジ、アラン・メンケンによる美しい音楽もあいまって世界的ヒットとなった作品です。日本版吹き替えは劇団四季(カジモド=石丸幹二さん、エスメラルダ=保坂知寿さんら)が担当したことでも話題を呼びましたが、それから実に20年。ディズニーが舞台事業を始めてからもなかなか実現しなかった本作の舞台版が14年に米国カリフォルニア州サンディエゴで初演、ついに今年、劇団四季がその日本版に乗り出すこととなりました。

16年12月の開幕を目指し、4月18,19日に行われたのが、メインキャストとアンサンブルのオーディションです。書類応募総数1600通の中から書類審査、予選を通過し、本選に臨んだのはメインキャスト5役38名、アンサンブル47名、クワイヤ(聖歌隊)48名。今回はメインキャストのうち、主役男女カジモドとエスメラルダの本選(18日午後)がマスコミに公開されました。

開始前のオーディション会場に入ると、ちょうどエスメラルダ役本選に臨む6名(岡村美南さん、三平果歩さん、平田愛咲さん、松山育恵さん、宮田愛さん、吉田絢香さん)が課題曲をさらっているところでした。フィギュアスケートの“6分間練習”のように、ピアノ伴奏に合わせ、自身の発声を最終確認する彼女たち。重なり合う声は美しくも、それぞれに情感を込める箇所が微妙に異なり、一人一人の工夫の跡がうかがえます。練習は数分で終わり彼女たちは退出、予告された時間ぴったりに審査員団(演出・スコット・シュワルツ、音楽スーパーバイザー・マイケル・コザリン、プロダクションスーパーバイザー・クリフォード・シュワルツ)が現れ、再び先ほどの6名が呼び入れられました。
 

自立し、積極的であるいっぽうで純粋さを覆い隠したエスメラルダ役

『ノートルダムの鐘』オーディションより。撮影:阿部章仁

『ノートルダムの鐘』オーディションより。撮影:阿部章仁


審査員席の前に並んだ彼女たちを前に、スコットが挨拶し、エスメラルダという役の概要を説明。「今回、皆さんにお会いできることにわくわくしていました。エスメラルダという女性は自分の面倒は自分で見てきた人で、非常に積極的でオープン。15世紀末という時代を考えると女性らしいというよりも男性のような人物です。そして純粋な部分を覆い隠しているのです。何か質問はありますか?」審査員席後方の2階部分からの取材のためスコットの表情は見えませんが、熱心に語りながらも、笑顔は絶やさなかったのでしょう。会場には過度な緊張感が張り詰めることはなく、受験者たちは存分に実力を発揮できそうです。

早速、審査開始。エスメラルダ役の課題は歌が2曲(「God Help The Outcasts」「Rhythm Of The Tambourine」)と台詞が3シーン。一人10分ほど、じっくりと歌唱力、演技力が披露されます。「God Help~」はアニメ版でノートルダム寺院内部を歩きながらエスメラルダが歌っていた曲。自分は大丈夫、でも周りにいる不幸な人々を助けてほしい、“人は誰でも神の子”と、社会の不公平を見てきた彼女が神に訴えかけるナンバーです。ゆったりとして心地よい曲調ではありますがそれに流されず、エスメラルダの強さ、正義感、純粋さを表現し、最後に高音に辿り着かなくてはならず、歌い手の表現力が試されそう。もう一つの「Rhythm~」は舞台版のための新曲で、おそらく序盤、広場に集まる人々の前で歌うナンバーなのでしょう。“みんな傍に来て、刻めリズム、タンバリン”とパワフルに声を出し、人々、とりわけ男たちを魅了する内容で、ジプシーの踊り子である彼女の日常が集約されています。瞬間的に大勢の目をくぎ付けにするようなパワーと色気が求められそう。

台詞の課題シーン一つ目は、フィーバスとの出会い。祭りで騒ぎを起こしたエスメラルダの逮捕を命じられたが、彼女の気骨あるふるまいに興味を持っていた警備隊長フィーバスに話しかけられ、男性であり権力の側にある彼に対して対等に話す彼女の強さと機智があらわれるシーンです。二つ目はカジモドとの出会い。自分がきっかけで悲惨な目に遭ってしまったカジモドに詫び、彼の言葉を引き出す中で、彼女の飾らない優しさが垣間見えます。そして3つ目は本作のクライマックス。フィーバスとの対話の中で、エスメラルダが徐々にある思いを固めてゆくシーンです。ネタバレになってしまうため詳述はしませんが、作者の時代を超えた人類に対するメッセージもエスメラルダの台詞に含まれ、担うものが非常に大きな役であることがうかがえます。

審査は一人ずつ入場、歌と台詞を披露し、退出するという流れ。受験者は全員、大作ミュージカルの経験があり、歌にも台詞にも凛とした芯が。エスメラルダという役柄は既に掴んでいる模様です。“Hi, I’m ~”と名乗った後に“I’m nervous.(緊張しています)”と続け、場を和ませていた方もいましたが、この方、歌唱ではびーんと高音を響かせていて、こういう形で自分もリラックスし、実力を発揮するというのもアリなのかも。一曲、一シーン終わるごとにスコットは「Very Good」と声をかけますが、終始声量豊かな方には「あなたはとてもいい声ですね。でもはじめは囁くように、神に対して遠慮がちに歌うことはできますか?」ともう一度歌わせるなど、一人一人の可能性を見極めていることがうかがえます。台詞審査ではこの日、田邊真也さんが相手役を担当。実際よりも若干抑え目ながらも、フィーバスやカジモドの雰囲気を確実に醸し出した台詞を聞かせていて、受験者たちの迫真の演技を引き出していました。

そんな中でスコットを含め、おそらくその場にいた誰もが釘づけになったエスメラルダが。歌唱においても低音を野性的・男性的に強調し、美しく響かせがちな高音のクライマックスも強く置くといった工夫が光っていましたが、台詞審査に入ると一言喋る度にエスメラルダの孤高さ、精神の自由、愛情深さが溢れ、引き込まれずにはいられません。3つ目のクライマックスシーンでは、思わずここがオーディションの場であることを忘れさせるような感動に場内が包まれました。終了後、スコットは隣席の音楽スーパーバイザー、マイケルとすぐに頷き合い、即決の雰囲気。改めて、高度な歌唱力を求められるオーディションであっても、決めては演技力以外の何物でもない、と痛感させられます。エスメラルダ審査は予定より5分早く終了し、5分の休憩後、カジモド役審査へ。 
 

歌唱力、演技力に加えて“高度な身体表現力”を求められるカジモド役

『ノートルダムの鐘』オーディションより。撮影:阿部章仁

『ノートルダムの鐘』オーディションより。外部からの参加者の中には四季ファンとしては懐かしいお顔も。撮影:阿部章仁


カジモド役審査本選に臨んだのは劇団員7名(飯田達郎さん、飯田洋輔さん、笠松哲朗さん、神永東吾さん、厂原時也さん、鈴本務さん、田中彰孝さん)、外部3名(一和洋輔さん、海宝直人さん、李涛さん)の合計10名。全員が会場に招き入れられると、スコットさんはエスメラルダ役の時よりも若干詳しく説明をします。

「カジモドはチャレンジングな(挑戦しがいのある)役で、様々な側面があります。まずは肉体的に他と違って、障害を持つ人間です。しかしその一方ではパワーを持つ人間でもある。その二面性を表現するというのが一つ。今回の演出では、カジモドは特殊メイクを施しません。彼の身体的特徴は俳優が演技で表現しますので、皆さん、それぞれに身体表現を試してください。とはいえ、一度にいろいろなことをするのも大変ですので、ヒップを落とす、足を左右不揃いに動かす、どちらかの肘を後ろに引くなど、通常にはない動きやポーズを二つ三つ考えて行ってください。また彼には発語に関しても障害があり、ガーゴイルとの会話や歌においては軽減されます。幼いころから耳も聴こえにくくなっています。ただ、それらの表現についてこうあるべきというものはなく、自分ならどう表現するか、というところを見せてください」。

取材する側としては今回のカジモド役がアニメ版よりさらにシリアスな障害を負った造形であることが分り、興味深い説明でしたが、受験者からすれば身体表現に対する期待値の高さがうかがえ、おおいなるプレッシャーとなったのでは。いったん退場する彼らの表情は心なしか(?)、ひきつっているようにも見受けられます。

カジモドの課題は歌が「Out There」と「Made Of Stone」、そしてシーンが3つ。「Out~」は寺院の塔の中で生きてきたカジモドが外の世界への憧れを歌う、おそらく本作で最も有名なナンバー。陰から陽へとダイナミックに転じるメロディが美しく、ミュージカル俳優の中でもソロコンサートでこの曲を選ぶ方がたくさんいらっしゃるほど、人気があります。「Made~」は舞台版のオリジナル曲で、ガーゴイルに慰められたらしいカジモドが“石になれたら、何も感じなくなれたらどんなにいいか”と自身の苦しみを吐き出すダークなナンバー。その苦しみがとんでもない高音(3か所ほど)によって表現される難曲です。

シーンの一つ目は鐘やガーゴイルたちと会話していたカジモドが育ての親で(実は仇でもある)フロローの不意の訪問で慌てるシーン。それまで滑らかに喋っていたのが、フロローの登場でどう変化をするか、がポイントのようです。二つ目はさきほどエスメラルダの審査でも登場した、エスメラルダとカジモドの初めての対話シーン。おそらく初めて女性に話しかけられ、少しずつ彼女に心を開く過程を、彼のコンプレックスと純粋さを含めて表現します。そして3つ目は本作のラストシーン。衝撃的な内容のため詳述は控えますが、初見の方は必ずや、激しく心揺さぶられることでしょう。カジモドと某人物ががっぷり四つに組んだ演技を見せます。一人目の審査が終わったところで、スコットさんがこのシーンは少々長いからということでカット。続く9人はさきほどの2シーンのみの審査となりました。

歌審査では1曲目、2曲目とも大曲ということで、曲間に水を飲んだり、軽くジャンプをしたり腕を振って間をとる受験者がほとんど。後ろから見ていると歌の途中、高音ポイントが過ぎるたびにマイケルさんはメモをとっていて、高音をどう出したか、は重要なチェックポイントであることがうかがえます。さきほどのスコットさんの説明を受け、背中を丸める、右の肘を引くなどカジモドらしい身体表現を工夫している方がいらっしゃるいっぽうで、若手の中には緊張のあまり(?)完全にそれを忘れているらしい方も。そんな方にはスコットさんが立ち上がり、「こういうことはできますか?」と具体的な動きをつけて次のシーンを行わせ、ここでも受験者の“可能性”を第一に見ようとしているらしいことがうかがえます。

エスメラルダの審査に比べると、カジモド審査に臨んだ10名はフレッシュな若手から劇団の看板俳優的な立ち位置の方まで個性豊かで、おそらく世代的にも様々。カジモドの背負うものを表現するという意味ではやはりベテランに分があり、いっぽうカジモドが20歳くらいの設定であれば、若さでぶつかってくる若手が圧倒的に有利に見えます。いったいどんな人材が選ばれるのだろう、と思いながら見ていると、スコットさんは一人の受験者に対して具体的な指示を付け始めました。こういうポーズで、台詞は口の半分からしか出てこないというふうに喋るというのはできるか?という指示に、誇張した動きでくらいつく彼。この方は身体表現が求められる役であることを認識した服装で臨んでいて、全身から気合が感じられます。何かを求められた時に、応えることができるか。どんな姿勢で応えるか。それが今回の審査ポイントの一つなのだとうかがえる瞬間です。

個人的には、ポーズを工夫するだけでなく、歌唱の際に一語一語に説得力を持たせ、カジモドの悲しみを懸命に表現されていた方に胸を打たれました。歌唱力の高さがもはや“前提”である場では、歌詞をどう膨らませて聴かせるか、そこで大きな差がつくように感じられます。この方はいわゆる“ボーカリスト”ですが、メロディを聴かせたその先にあるものを追究している様子。ぜひ彼のカジモドを観てみたいけれど、先ほどの審査では追加課題などはなかったなあ…と思っていると、全員の審査が終了した後、スコットさんが関係者に「この人とこの人とこの人、追加でこれをやって見せてほしいのだけど」と声をかけ、その中に彼の番号があるのが聞こえました。マスコミ公開時間はここで終了。席を立ちながら、追加審査に呼ばれた方々の健闘を祈らずにはいられませんでした。
 

ファミリー向けではなく“大人向け”の『ノートルダムの鐘』へ

スコット・シュワルツさん。74年NY生まれ、ニューヨーク州ベイストリート劇場芸術監督。00年にジョン・ケアードと『Jane Eyre』を共同演出。

スコット・シュワルツさん。74年NY生まれ、ニューヨーク州ベイストリート劇場芸術監督。00年にジョン・ケアードと『Jane Eyre』を共同演出。


さて取材陣はここで別室に移動し、おそらくはその追加審査を経て、スコットさんが登場。あまり情報がなく、ややヴェールに包まれている感のある本作について、いろいろと語ってくれました。

スコット「(父・スティーブン・シュワルツが本作の作詞を担当していたため)映画版が制作されている時からその様子を観てきましたが、舞台版に関わることになったのは14年のラ・ホイヤ劇場での初演の5年前。私は原作であるヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』のrich(豊か)でmature(成熟している)な点が好きで、ディズニー・シアトリカル社長のトーマス・シューマーカーと話していた時、以下のようなコンセプトで舞台化をしてはどうだろうと提案したのです。

一つは、『ノートルダムの鐘』は何度も舞台化が企画されて(は流れて)来ましたが、何度も話が出てきたのはとりもなおさず、アラン・メンケンの美しい音楽ゆえ。このスコアを最大限に生かした「音楽のショーケース」にしたい。また、一般的なミュージカルではキャラクターの造形は比較的シンプルだけれど、今回はユゴーが書いたとおりのダークな小説に忠実に、襞のある人物造形を試みたい。また、個人と社会が他者に対してどう関係を持つか、あるいは恐れや不安を抱くか、また愛がいかに“救い”にも“破壊”にもなるかといったことを描きたい。そのため必然的に“大人向けのミュージカル”、それも典型的ミュージカルの内容からはほど遠いものになるが、と話したところ受け入れられ、演出にとりかかりました」

――エスメラルダ、カジモド、フロローについてはどんな俳優を求めていますか?

スコット「エスメラルダはまず、ビッグナンバーを歌うので美声の持ち主であること。同時に一度にいろいろな側面を演じられる人であることが求められます。彼女はとても純粋な精神を持ち、人生に対する敬意を抱いているが、ストリート・ライフを送ってきたのでタフな人間でもある。女性性を通して自分を防御してきた部分もあります。また自分を顧みず他者を守る。ビッグ・ダンスナンバーもあるのでダンス力も必要ですし、皆が一目ぼれする役柄ですので美貌も要求される。本日はそういう人材がいたかって? いましたよ、誰かとはまだ言えませんが(笑)。

カジモドは肉体的な要求度の高い役です。舞台上でシンプルにメイクを施し、麻袋のようなものを背負うだけなので、自分の身体で(障害を)表現しなければならないのです。感情の葛藤もあり、小さいころから塔の中に閉じ込められ、関わってきた人間はフロローだけなので子供のように未熟であるいっぽう、大人としての欲求もある。怒りも持ち合わせ、光と影の両面を表現できることが重要です。作品の中心に存在し、観客が一緒に心を寄り添わせ、一緒に歩みたいと思える人物を求めます。

フロローは魅力的な“病んだ男”です。彼なりに善行を積もうとしているが、うまくいかず鬱積している。カジモドの面倒を見ようとするがうまくコントロールできず、またエスメラルダを愛することで彼が考える“善”の中に彼自身がはまらなくなり、そのことを受け入れられない。そのテンションの高さゆえに、彼は破滅してしまうのです。いわゆるディズニーらしい悪役ではなく、一人の人間。かなり原作に基づいていると言えるでしょう」

――ディズニーらしい要素はありますか?

スコット「もちろん、たくさんあります。ガーゴイルのナンバー以外のアニメ版の曲は全て使っています。大人向けのミュージカルということで、歌って踊るガーゴイルは出てこないのです。教会の精霊とカジモドの会話は登場しますが、それはアンサンブルたち全員との会話であって、“ガーゴイル3人組”ではないのです。原作小説に“声が帰ってきて……”という描写があるので、それをヒントに、今回は舞台上にクワイヤ(聖歌隊)がおり、ほぼ全篇にわたって歌っています。非常に壮大な舞台を想像していてください」

――今回、本作のテーマをどう据えていますか?(質問・松島まり乃)

スコット「人間性と、登場人物の関係性を中心に据えました。私は古代演劇や中世の秘跡劇のテクニックに感銘を受けており、今回はもちろんマイクや照明といった現代的要素も用いていますが、なるべく“人間発信”の演劇にしたかった。ノートルダム寺院にも実際に行って研究し、キャストが群衆として儀式を行うような環境で寺院の中にあるようなものを動かしながら物語を進めるようにしました。ステンドグラスや鐘、祈祷の際に膝をつく台などです。究極的に目指したのは、観客と物語の距離を縮めること。お客様には、群衆の一人として物語を体感してほしい。そのためにモノをなるべくなくし、キャラクターたちに集中してもらおうと思いました。親密なストーリーを壮大なスケールで観てほしい。台詞のほとんどは、原作小説と同じものです。それらの言葉によって語られた物語を体験することによって、私たちはどのように変わるだろうか。そこがこの舞台の中心にあるものです」

 
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