Kバレエ カンパニーの舞台には2005年から度々出演されてきました。長くお付き合いされてきて、カンパニーの雰囲気をどう感じますか?
祥子>熊川さんとの最初の出会いは16歳のころ。ローザンヌ国際バレエ・コンクールに出たとき熊川さんが審査員を務めていて、一緒に記念写真を撮っていただいたのを覚えています(笑)。きちんとお話したのは、その後しばらく経ってから。ウィーン国立歌劇場バレエ団にいたときに青山劇場で開催されたローザンヌ・ガラに出演する機会があり、その舞台を観に来ていた熊川さんから“一度Kバレエ カンパニーへレッスンしに来てみませんか”と声をかけていただいたのが縁で舞台に出演するようになりました。(C) TOKIKO FURUTA
昔から思っていたことだけど、Kバレエ カンパニーのメンバーは本当に一生懸命だし、成長していきたいというエネルギーをすごく感じます。だけどみんなが同じ方向ばかり見ていると、同じような踊りになってしまったり、吸収できなかったり、刺激しあえない部分も出てきてしまうかもしれない。私としては、自分が海外で身につけてきたものを少しでも見せることで、こういう踊り方があるんだ、こういう伝え方があるんだと、刺激になれていたらという気持ちがあって。ひとつの環境にいながら自分でそれを見つけていくのはとても大変だし、バレエダンサーはお互いを見ながら成長していく必要もあると思います。
ただ私自身はスタジオでいい格好をしようとは考えてなくて、失敗しようがヘンなところを見せようが構わない。日々どれだけ自分に向きあえるかで成長が違ってくるから、レッスン中は自分が磨きたいことをやるだけ。それを見て学びたいと思ってもらえたら学んでもらってもいいし、自分は違うと思えばその方のやり方があるということ。自分を磨いていくためのレッスンであって、人と競争している訳ではない。どうしたらきれいなラインを見せられるんだろう、どうしたらテクニックができるようになるんだろう、と日々模索する。レッスンというのは誰のためでもなく、自分のために行うものですよね。その上で、みんなと刺激を分かち合えたらと思っています。
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昨年秋に拠点を日本に移されています。きっかけは何だったのでしょう。
祥子>日本の方たちに私の舞台を観てもらいたい、ゲストとしてひと作品だけ踊るというのではなく、いろいろな役柄であり舞台を観て欲しいという気持ちが年々高まっていて。ブタペストにあるハンガリー国立バレエ団には一年半いましたが、その間とても多くの作品を踊りました。このままブタペストに留まって踊り続けるべきかと考えたとき、今が移る時期かもしれないと直感で思ったんです。バレリーナとしていい状態でいる内に、日本のお客さまにいろいろな作品を観てもらいたいと考えたのが一番の理由でした。主人のヴィスラフとも相談しましたが、“祥子はまだ踊れるんだから、君が日本のお客さまに観せたいと思うなら日本に行くのは問題ないよ”と言ってくれました。彼自身はもう十分踊ったからと、今はバレエの指導をしていきたいと考えています。息子のジョエルは5歳になりました。日本語と英語とポーランド語を話しています。なので日本での生活は問題ないですね。
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もちろん不安はありました。ただそれはどこに行くときもそうで、ベルリンからブタペストに行くときもすごく不安でした。でもそこで行動を起こすダンサーと起こさないダンサーを見ていると、行動を起こすダンサーは大変なことはあっても何かしらのものを得ているし、実際に行って良かったと言ってる。やっぱりダンサーである以上、安心したらダメですよね。新たな環境に自分を置いてプッシュしていかなければ気分も上がっていかない。ダンサーは前向きでなければやっていけないし、精神的に強くないと闘っていけない、舞台には上がっていけないと思います。
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久しぶりの日本での生活はいかがですか? 海外にいた頃と違いを感じる部分はありますか?
祥子>16歳のとき日本を離れ、その後19年間海外で過ごしてました。長いこと海外にいたというのもあるけれど、生活に充実感がありますね。時間を見つけてはヴィスラフと散歩をしたり、おいしいレストランを探してみたり。そこで落ち着いて話をするだけで、身体も心もリラックスできる。お休みの日に子どもを連れてディズニーランドに行ったり、恐竜レストランを見つけて行ったり、そういう時間が楽しくて、だからこそ新鮮な気持ちでまたバレエを頑張れる。もちろんバレエも楽しいけれど、どこかでリセットする時間も必要になる。舞台のためにやらなければいけないことって本当に沢山あって、あれもしなきゃこれもしなきゃと考えていると、それがストレスになって身体がガチッと固まってしまう。けれど、どこかで遊びだったり家族の時間があれば、また新しいエネルギーが吸収できる気がします。(C) TOKIKO FURUTA
海外のダンサーはみんなオンとオフがはっきりしていて、仕事は家に持ちこまない、持ち帰らない。リハーサルが終わったらバレエのことは忘れて、ショッピングに行ったり、お茶したり……。でもあの頃の私はみんなと違って、リハーサルをして、ストレッチをして、家には帰るだけ。一年365日ずっと劇場にいたので、よく“祥子はまだ稽古場にいるよ”って言われてました(笑)。
若い頃の自分にとってそれはすごくいい環境だったと思うし、あの時間があったからこそ今がある。行き過ぎるくらいストイックでないと、掴めないものってありますよね。どれだけの人がプロを目指しているかといったら大変な数だし、なかでもプリンシパルになれるのは数人しかいない。それを勝ち取りたいのなら、やり過ぎをやるしかない。でも私の場合いやいややっていたのではなく、バレエが好きで、夢中だったから手に入れてこれたんだと思います。
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10代、20代のころはもう本当にバレエしか頭になくて、そのために生きてる感じでした。とにかくバレエが上手になりたかった。何かあっても朝のクラスを受ければ自然と忘れられたし、気持ちもリフレッシュできた。悩みはバレエに関することしかなかったから、それがクリアできたら解消される。“できない……、できない……。あ、できた!”の繰り返し。頑張ったからクリアできたし、だから諦めないという精神が身に付いたのかもしれません。ひとつの課題に何年もかかることもありましたけど、信じてやり続けてきたからできた。バレエはやるしかない。諦めなければ、必ずどこかで見えてくるものがある。ずっとやり続けていれば、いつかできる瞬間が必ずある。
もちろん今もバレエは好きだけど、関係性は変わったかもしれません。昔は本当にバレエしかない、これがないと生きていけないという感じでしたが、ある程度年齢がいって、家族もできると、それだけでは満たされない。バレエにだけエネルギーを注いでいると、空っぽになっちゃう。他に何か大切な時間があるからこそバレエにも新鮮なエネルギーや表現が出せるし、本当に楽しめる気がします。