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ローマ歴史地区/イタリア・バチカン(4ページ目)

地中海沿岸部をグルリと征服して空前の大帝国を築いたローマ帝国。首都ローマは世界でもっとも豊かな都市となり、コロッセオ、パンテオン、カラカラ浴場といった奇跡的な建物が次々と建設された。それから千年以上を経た15~16世紀にはルネサンスの中心となり、芸術の都として蘇る。今回はイタリア/バチカン共通の世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」を紹介する。

ローマ歴史地区の7大名所 4. パンテオン

パンテオンとオクルス

パンテオンの天頂部、開口部が「目」を意味するオクルス。パンテオンの偉大さは「ローマを旅し、パンテオンを訪れぬ者は愚者で現れ愚者で去る」ということわざにも表れている

ギリシア風のファサードと直径&高さ43.2mを誇る神殿で、ローマ12神をはじめさまざまな神を祀っていることから万神殿と呼ばれている。紀元前25年にアウグストゥスとアグリッパによって建設されたが焼失し、128年にハドリアヌスによって再建された。

パンテオンのポルティコ

実に壮大なパンテオンのポルティコ

切り出した岩石やレンガ、軽石、ローマン・コンクリートを併用しており、基壇部分は6mもの厚さだが、軽石を用いた天井部分は1.5m程度と、厚みを変えて天井の重みを軽減している。巨大なドームを可能にした理由のひとつに挙げられるのがこのローマン・コンクリートで、現在のコンクリートの寿命が50~200年程度であるのに対し、パンテオンのコンクリートは2000年を経ても健在だ。 

キリトス教が広まったあとパンテオンは教会堂として使用され、ラファエロやヴィットーリオ・エマヌエーレ2世らの墓が収められている。

 

ローマ歴史地区の7大名所 5. 四大バシリカ

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂。4世紀にコンスタンティヌスがキリスト教の使徒パウロの墓の上に築いた教会堂がはじまりで、テオドシウス1世が増築した。美しいモザイク画は13~14世紀のもの

コンスタンティヌスがキリスト教を公認してからローマには多数の教会堂が建設された。やがてローマにはカトリックを束ねる教皇庁が置かれ、9世紀まではサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、その後はサン・ピエトロ大聖堂が主席教会堂となった。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

四大バシリカのひとつで、聖母マリアに捧げられたサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂を四大バシリカといい、すべてが世界遺産に登録されている。

サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市国にあって世界遺産「バチカン市国」の構成資産。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂とサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂はローマにあるが、実質的にバチカン市国の飛び地となっている。世界遺産名「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」の「教皇領」はこのふたつの大聖堂を示す。

 

ローマ歴史地区の7大名所 6. カラカラ浴場

カラカラ浴場

カラカラ浴場。左下の人と比べるとその巨大さがわかる。兵士は無料、奴隷でも入浴が可能で、ローマ帝国の福祉レベルの高さがうかがえる

カラカラ浴場

こちらもカラカラ浴場。カラカラ帝の名を冠しているが、着工したのはセプティミウス・セウェルスだ

3世紀はじめに完成した公共浴場。全長220m・幅110mを超える中央浴場には温水・冷水・サウナをはじめ2000以上の浴槽が設置された。浴場だけでなく、周囲には庭園・集会場・図書館・劇場などを備え、1500人以上を収容する総合保養施設となっていた。

これほどの規模なのに入場料はきわめて安価で、「貧乏人のための浴場」とさえいわれていたという。かつては大理石や彫刻で彩られていたが、現在残るのは石組みやレンガ、一部のモザイクのみ。しかしながら周囲の緑と調和して見事な廃墟ぶりを見せている。

 

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