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ダンサーズ・ヒストリー ABT 相原舞(2ページ目)

“世界一ゴージャスなバレエ団”、アメリカン・バレエ・シアターで活躍する相原舞さん。同団へ入団が許された日本人は3人目と、狭き門を突破して正団員入りを叶えた新進気鋭のダンサーです。相原さんが歩んできたバレリーナへの道程とは? ここでは、相原さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します!

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


夢はプロのバレリーナ

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小学校5年生

稽古の成果が実り、小学校6年生のとき埼玉全国舞踊コンクールで初入賞。ローズアダージオを踊り、毎日新聞社賞を受賞している。

結果が付いてくると、より一段と張り合いも増す。
「同年代のコンクール仲間たちが頑張る姿を目の当たりにして、すごく触発されたし、大きな励みになりました」と相原さん。中学に入る頃には、自然とプロのダンサーを目指すようになっていた。

しかし、中学生ともなれば、友人との付き合いも大切になる時期。バレエ以外の誘惑はなかったのだろうか?
「遊びたいという気持ちはあまりなかったです。ただ夏休みや冬休みもコンクールのための稽古があったので、家族旅行は全然行けなかったですね。休みといえば、唯一お正月の1日だけ」

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中学校2年生

まさにバレエ漬け、コンクールを目指す日々。中学三年生になると、ユース・アメリカ・グランプリに挑戦。『眠りの森の美女』 3幕のオーロラを踊り、初出場ながら見事ニューヨーク・ファイナルの切符を掴んでいる。
「ユース・アメリカ・グランプリが一番楽しかった記憶があって。他のコンクールと違ってワークショップ形式だったので、友達もできるし、コンクールという感じがあまりしなかった。それが良かったのかもしれません」


生まれて初めての大ケガ

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中学校2年生

結果も出し、良い思い出で終わるはずだった。しかし、ファイナルに向けた練習の最中、腰を骨折するという大ケガを負う。
「コンテンポラリーの練習で腰をひねる動きを何回も繰り返していたら、ぼきっと折れてしまったんです。でも折れた瞬間は全然気付かなくて、最初は筋肉痛だと思ってました。だけどだんだん腫れてくるし、脚も上がらなくなって、座るのも痛い。病院に行ったら、“折れてます”と言われて、“えっ?”って感じでした」

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2006年ユースアメリカGP NewYorkFinal

バレエ人生で初めて経験する大きなケガだ。医者からは、ここできちんと治さなければ将来踊れなくなる、ボルトを入れることになる、と告げられる。それでもニューヨークのファイナルには出場した。痛み止めを飲み、踊る直前にコルセットを外し、何とか最後まで踊り切った。だがスカラーが決まっていた英国ロイヤル・バレエ・スクールへの留学は諦めざるをえなかった。

コンクールを終え、帰国後本格的に治療をはじめる。コルセットを付ければ普通の生活は送ることができたが、バレエの稽古は不可能だ。骨がつく
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2006年ユースアメリカGP NewYorkFinal

まで運動は一切厳禁と言われ、最終的に一年もの間バレエから離れることになる。大人になってからの一年と、15歳の一年は大きく違う。
「レッスンができないのがイヤでイヤで、毎日泣いてました。ちょうど一番頑張っていた時期だったし、当時の一年は本当に大きかったですね。それに高校生になって体型が変わるときにバレエを休んでいたので、ちょっと太ってしまって、戻すのに一年くらいかかってしまいました」

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