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ダンサーズ・ヒストリー ABT 相原舞

“世界一ゴージャスなバレエ団”、アメリカン・バレエ・シアターで活躍する相原舞さん。同団へ入団が許された日本人は3人目と、狭き門を突破して正団員入りを叶えた新進気鋭のダンサーです。相原さんが歩んできたバレリーナへの道程とは? ここでは、相原さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します!

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


ダンサーズ・ヒストリー ABT 相原舞

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ニューヨークを拠点に活動する名門バレエ団、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)。“世界一ゴージャスなバレエ団”と呼ばれる通り、きら星のごときスター・ダンサーがずらりとそろう、アメリカ最大のカンパニーだ。人種の坩堝・ニューヨークだけあり、メンバーの国籍は実にさまざま。裏を返せば、世界中のダンサーがこのカンパニーを目指し、凌ぎを削っている証でもある。

相原舞さんがABTの一員になったのは2013年12月。加治屋百合子さん、小川華歩さんに続き、日本人として3人目の入団を叶えている。


かわいい衣裳に憧れて

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1歳のころ

山梨県で生まれ、幼少期を東京・国分寺で過ごした相原さん。3歳のとき友達の姉が出ていた発表会を観に行ったのをきっかけに、バレエとの出会いを果たす。
「みんながかわいい衣裳を着て踊っているのを観て、“いいな、私もやりたい!”と思ったのを覚えています。親にお願いしたら、“幼稚園生になったらいいよ”と言われ、入園を待って習いはじめました」

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3歳のころ

幼稚園入園と同時に、当時幼稚園の体育館で教えていた中原麻里のバレエ教室に入門。幼稚園が終わるとそのままバレエのレッスンに参加した。週2回のクラスにはじまり、小学校に上がる頃には週3~4回稽古に通うようになる。

小学校4年生のとき山梨に移転。同時に、ユミクラシックバレエスタジオに移籍する。ユミクラシックバレエといえば、コンクール入賞者も多く輩出している県下有数の名門スタジオだ。
「県内に甲府ともうひとつスタジオがあって、曜日ごとにそのどちらかに
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小学校3年生

通っていました。家からスタジオまでは車で45分くらい。稽古が終わるとお迎えに来てくれたりと、両親もすごく応援してくれましたね」

放課後は連日稽古に打ち込み、土日は終日スタジオにこもってレッスン三昧。クラスは週5~6日、朝から夜までバレエ一色の日々を過ごした。
「とにかくレッスンがしたかった。ちょうど私と同じ年の子たちが頑張っていて、ライバル意識もあったし、お互いに刺激し合ってました。同期のひとりが現在Kバレエカンパニーで踊っている小林美奈さん。今もいいお友達です」

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小学校3年生

コンクール出場は小学校5年生から。NBA全国バレエコンクールを皮切りに、オールジャパンバレエユニオンコンクール、東京新聞全国舞踊コンクールと、年間5~6回に渡りコンクールに出場し、精力的に挑戦を続けた。

日々のクラスレッスンにコンクールのための練習も加われば、当然稽古時間は増える。
「小学校6年生くらいになると毎日24時までレッスンをしてました。帰宅するのはいつも深夜1時ごろ」
同年代の子供たちのように、遊びに費やす時間は一切ない。



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