今こそコミュニティの意義を再確認しましょう
今年のレインボー祭りの1シーン。あたたかくて二丁目らしいお祭り。思わず笑顔がこぼれます。
人は、たとえお金持ちでなくても、友人や恋人や家族に恵まれていれば幸福感や満足感を感じながら生きていけると思いますが(もちろん、一概にそうだとは言えませんが、一般的に)、セクシュアルマイノリティの場合、実家の家族に理解してもらえず、距離を置くことが多い(都会で一人暮らしの方が多い)傾向にあります。それでも、友達が多かったりパートナーがいたりすれば、まだやっていけるのですが、社会的に満たされず(「承認」不足)、ゲイ的にも満たされない(「モテ」不足)方たちの中には、ネット上でうさを晴らそうとしたり(気に入らない人を叩いたり)、自暴自棄になったり(クスリに手を出したり)、挙げ句の果てに…という悲しい話も聞きます。
ネットがなかった(出会いが雑誌の通信欄とかだった)牧歌的な時代は、出会いそのものが奇跡みたいなもので、ありがたみがあったのですが、今はあまりにお手軽になりすぎて、ダメだったら次のと取り替えればいいや、という感覚になりがちです。そんななかで、モテる方はよりモテて(消費されまくり)、そうじゃない方は空気同然という、シビアな格差社会化が進み、しかも序列が見えやすくなっているため、「自分はとても恵まれている」「満たされている」「幸せだなあ」と思える人が激減してるんじゃないかな…と思うのです。
そういう状況で疎外感を覚えている方たちが幸福感や満足感を得られるようになるためにはどうしたらいいのだろう…と考えていて、やっぱりそれは「コミュニティ」の力を高めるしかないんじゃないかと思いました。
社会人として(あるいは学生でも)昼間はノンケさんたちに混じって頑張って仕事し(勉学に勤しみ)、ノンケさんたちと同じように仕事上のつらさや悩み、ストレスを抱えているゲイやバイの方たちが、週末、ゲイバーで仲間と会い、ホッと一息ついて、自分を解放し、ストレスを癒す。ゲイバーでは春になればお花見、夏はビーチやプールにお出かけ、秋はBBQ、冬はクリスマスパーティ(そしてお店ごとの周年パーティ)などの行事があり、友達の輪が広がり、誕生日会をやったり、たとえば入院した時にはお見舞いに行ったり、支え合える関係性ができていく。本名も住所も知らないかもだけど、それでもLINEのグループとかでつながり、仲間意識をもち、お店が居心地のいい「ホーム」だと実感している。日々、「あなたはそのままでいいんだよ」「あなたはウチらの大事な仲間だよ」と言ってくれる。それがコミュニティだと思うんです。
ひとくちにゲイといっても本当に多様ですから、お店によっては、テニスやバレーなんかのスポーツを熱心にやってるところもあるし、ママさん、ミセコさん、お客さんがパフォーマンスしたりする華やかなイベントを開催するお店もあります。若い子が集まるお店、吹奏楽ファンが集まるお店、アイドル好きな人のお店、褌イベントなんかをやるお店…それぞれのお店ごとに、特色あるコミュニティができあがっています。そのメンバーにとっては、かけがえのない居場所です(なので、お店が閉店ということになると、その悲しみたるや…言葉では言い表せないほどです)
そういう小さなコミュニティが、二丁目のようなゲイタウンで寄り集まって、二丁目振興会のような組織ができて、レインボー祭りをやったりもする。そういう大きなコミュニティになると、aktaのようなコミュニティセンターもできて、パレードにも協力したり、二丁目という街自体を大切に守っていくためにママたちが率先して清掃活動を始めたりもします(素晴らしいですよね)
繰り返すと、コミュニティとは、(共通の属性や趣味をもつ)メンバーを承認し、支援する共同体です。(たまに人に迷惑をかけて出禁になる人とかもいたりはするものの)基本的にメンバーを否定しない、受け容れ、歓迎する場所です。なんかこの人変わってるなあっていうことはあっても、ニックネームがついて、気づけば仲間として受け入れられてたりする。そういう人が、イベントの時に大活躍したり、みんなを喜ばせたりもする。いっしょにご飯を食べたり、同じ時間を過ごすうちに、いつの間にか絆で結ばれ、大切な友達になっていくのです。
究極を言えば、たとえ彼氏がいなくても、モテなくても、実生活でさまざま苦労しているような方でも、こういうコミュニティに参加できていれば、幸福感を感じながら(承認を得ながら)やっていけると思うのです。何か困ったことがあった時、手を差し伸べてくれる仲間がいること。老後の問題、自死の問題などにも深く関係してくると思いますが、そういうことがいちばん大切なんじゃないかな、と思います。
もっと言うと、たとえば高齢だったり、太っていたり、クローゼットであったり、HIV陽性者であったり、女装する人であったり、マイナーなフェチをもつ人であったりしても、自分らしくいられる居場所を見つけることができます(どんな人でも、必ずどこかのコミュニティには所属できます)。たとえば褌好きという共通属性をもつお店だったら、週末は褌イベントで盛り上がっていることでしょう(ある意味「いかがわしい、性的な空間」かもしれません。でも、当人たちにとってみれば、このうえなく開放的で楽しい、癒しの機会です。ゴトウはそういうコミュニティを愛しています)
世間的に見れば、有名企業に勤めていたりするクリーンなイメージのイケメンや美女の方が見栄えがいいし、そういう方たちにどんどん活躍してほしいと思います(LGBTの騎手として)。でも、同時に、肩書きがパッとしなくても、見た目がイマイチでも、カミングアウトしていなくても、性的に奔放でも(実際はほとんどの人がそうですよね)受け容れられ、幸せを感じながら生きていけるようなベースとなるセクシュアルマイノリティの個々のコミュニティを守っていくこと、エンパワーしていくことも大切だと思う今日この頃です。