夜中にひっそり戦闘アニメを楽しむお父さんの気持ち
ヒーローものをじっと見つめるお父さんの一人時間。そっとしてあげましょう
このように、現実との折り合いをつけた男性にとって、永遠の少年は、ふと一人になったときに現れる“懐かしい自分の一部分”なのです。少年の頃に夢に描いていたヒーロー像と同化し、空へ宇宙へと羽ばたいていく自己をイメージしながら空想に浸るひとときこそ、永遠の少年になれる至福の時間。そんな時間は、現実世界のストレスから解き放って希望と夢を掘り起こし、明日への活力を与えてくれることでしょう。家族が寝静まった夜に、戦闘もののアニメに没頭する世の父親たちなどは、永遠の少年との回合を楽しむ好例だと思われます。
しかし、永遠の少年に振り回され、現実社会に適応できない人々は、いくつになっても夢のような自己イメージを空想し、ファンタジーと空虚感の間を行ったり来たりして生きていくことになります。そんななか、現実社会から取り残されるあせりは確実に強化され、「いまさらやるなら、もっとビッグなことを!」と取り組むべきハードルを上げながら、適応的な生活からますます遠のいてしまう人もいます。
永遠の少年から卒業し、適応的に生きるには?
では、こうした永遠の少年にとらわれた男性は、どのようにそこから脱皮し、現実社会に適応していけばいいのでしょう。永遠の少年を研究したフォン・フランツは、「何かを最後までやり通すこと」だと言いました。合わない仕事を無理に押し付けても、現実への拒否反応が強くなるだけで、適応的な生活は遠のくばかりです。そこで、まずは本人がやりたいと思ったことを、どんなことでも最後までやり遂げることです。そして、ゴールから見える景色をじっくり味わうことです。何かを最後までやり通せば、そこから見える世界は、いままでの生活では得られないものです。その地平から自分なりに何かを感じ、考えることが次のステップに進むために必要となります。
小さなことでもかまいません。まずは、何かを最後まで成し遂げ、夢見る少年から本物の大人へと一歩進んでいきませんか?